第二七章 叙勲式

 六月三〇日、シュタインズベルクでは、とくに告知も出していないのに市民が総出で大公国軍を出迎えた。大通りでは大歓声が上がり、紙吹雪とテープが舞った。整列して行進する兵士らに女性たちが次々と花束を手渡した。感動的な光景だった。

 シュタインズベルクへ戻った大公国軍はただちに再編成の準備に入った。外敵はこちらの都合に合わせてくれないのだ。戦力が低下しきって再編成が不可能な第一軍団は解体され、新生第六師団、第七師団の基幹部隊となった。第六師団長は変わらずアーヤ・エアリーズ、第七師団長代理にはラドム・ゼンが就いた。リックはゼンに対して師団長を要請したのだが、ゼンは頑としてそれを受けなかった。「わしにとって師団長はユリエッタ・バイヤーオベルン、それ以外はありえません」と語って。

 第六師団の負傷兵は軍専用病院に入院となった。アーヤも大事をとって一週間ほど入院したが、致命的な怪我はなく健康状態も早期に回復したので退院となった。

 七月七日朝、一ヵ月半ぶりにアーヤは国軍兵舎へ帰ってきた。いつもと変わらず、二人組みの衛兵が門前で剣を掲げ、敬礼した。中に入ると、賄い婦の一人として将兵の生活を支えている太っちょで気立てのいいエミリア・ベッカーがアーヤの姿を見て、声を上げた。

「まぁまぁ、お帰りなさい、アーヤ。チャチャは元気にしているわよ」

 そうだった。五月二四日、出征の一日前、アーヤはエミリアにチャチャの世話をお願いしたのだ。

「チャチャは主(あるじ)想いのいいネコだよ。夕方になると必ず玄関まで出てアーヤの帰りを待っているんだ。そして夜になると淋しそうに戻ってきてニャーンと鳴くんだよ。きっと分かっているのさ、主(あるじ)のアーヤが遠くへ行ってるんだって。今連れてくるからね」

 ほどなくエミリアはチャチャを抱いてもどってきた。

「チャチャ、お母さんが帰ってきたよ」

 そう言って、アーヤはチャチャを抱きしめた。チャチャは嬉しそうにウニャーンと鳴いた。


 七月三〇日、大公国軍が首都に戻ってちょうど一ヵ月後のこの日、大公宮殿イーグルライズにて、エルマグニア南北戦争と名づけられた今次の戦役における叙勲式が開催されることとなった。

 その数時間前、エリーゼは事前に正装させるつもりでアーヤを宮殿に呼んだ。六月三〇日に帰投したアーヤを見たエリーゼは絶句してしまった。左頬の傷痕があまりにも痛々しかったからである。叙勲式にあんな傷痕のまま出席させるのは不憫だ。少しでも化粧で隠せるのなら力を貸してあげようと思い、アーヤに来てもらったのである。

「さあ、アーヤ、こっちに来て ────」

 エリーゼは自分の専用化粧室にアーヤを招き入れた。三面鏡の前に置いた椅子に座らせて、自分もその脇に腰掛けた。

────えっ?

 最初、エリーゼは自分の目がおかしくなってしまったのかと不安を感じた。その後、左右両方、それと鏡も使ってアーヤの顔をまじまじと見つめたが、やはり目の異常ではなかった。アーヤの左頬の傷は跡形もなく治癒していたのである。

────あの傷が痕跡も残さず治るなんて・・・

「ア・・アーヤ、左頬の傷が治ったのね。よかった」

「はい。傷痕が残ったとしても受け入れるつもりでしたから、今はとても安堵しています」

 屈託のない笑顔を見せるアーヤに釣られてエリーゼも微笑んだ。

「じゃあ、まずドレスを着てみましょう。服を脱いでもらえるかしら」

「はい」

 アーヤは着ていた平服を脱ぎ、全裸になった。さすがに恥ずかしいのか、胸を両手で隠した。

────このコ・・・キレイだ。

 「大公国一のクールビューティー」と謳われるエリーゼの時間がその刹那、止まっていた。陽の光を浴びて輝くアーヤのしなやかな肢体に心を奪われてしまったのだ。細身の引き締まった躰に対して胸が大きすぎるのだが、それが却ってアンバランスな魅力を引き出していた。柳腰から臀部にいたるラインは芸術的な弧を描いており、エリーゼさえも羨望を覚えるほどだった。

 アーヤの印象といえば、ふだん甲冑をまとって土埃にまみれ戦っている姿しか浮かばなかったので、これはエリーゼにとって驚き以外のなにものでもなかった。しかも、女工出身と聞いていたのに、アーヤにはなにか表現できない気品のようなものが感じられた。

────リック、あなたはこのコになにを見たのかしら。

 エリーゼはフッと微笑み、自分の時間を取り戻した。

「アーヤ、これを着てみてくれる?」

 用意されたブルーのドレスはかつてバイヤーオベルン知事の就任祝いにエリーゼが着用したものだった。背丈や体型が近いアーヤであれば着こなせると思ったが、その予想は当たった。

「エリーゼ様、こんな高級なドレスをわたしなどに・・・」

 とまどって脱ごうとするアーヤを止めて、エリーゼは言った。

「アーヤ、あなたに着てほしいの。駄目かしら」

 君主にそこまで言われて断ることはできない。やむをえずアーヤは了承した。

 次は化粧だった。アーヤは生まれてこのかた一度も化粧をしたことがなかった。だから、どうやって化粧したらよいのか、なにも分からなかった。エリーゼはそんなアーヤに優しく化粧を施した。アーヤは目鼻立ちがはっきりしており、顔の彫りが深い。ゆえに厚化粧は彼女の魅力を減じてしまう。素材の美しさを引き立てる薄化粧が最適と判断して、至高の結果を導き出した。一時間後、アーヤは「師団長」と呼ばれるのが不自然なほど美しく生まれ変わっていた。


 七月三〇日午後、イーグルライズの中庭に軍楽隊の演奏が鳴り響いた。厳かな雰囲気がただよう中、壇上に上がった君主エリーゼは冒頭、国を救い、天へと還っていったユリエッタ・バイヤーオベルン第七師団長の功績を讃えて、その場に集った全員に黙祷を捧げるよう求めた。主賓として招かれたバイヤーオベルン知事夫妻はハンカチで目元を拭い、娘の貢献に嗚咽をこらえた。

 続いて、二週間の包囲戦を戦い抜いた第六師団の将兵全員に新設のダーグナスリイト盾章授与が発表された。それは盾型の勲章で上から順にローライシュタイン大公国の紋章である鷲、「ダーグナスリイト(dargnaslit)」の文字、大陸暦九三八年を表す「938」、剣を二本交差させた絵柄が象られており、甲冑の左袖に固定して佩用される。

 その後、軍楽隊によるファンファーレが高らかに響き、壇上で受勲者の表彰が行われる運びとなった。大公国の危機を救った殊勲に対しては高位の勲章である大公国銀鷲章が贈られた。それは銀メダルの中に星をつかんだ鷲が象られた勲章であり、ローライシュタイン大公国の長い歴史においても過去数十人しか受章したことのないたいへん栄誉ある勲章であった。受勲者はユリエッタとザイドリック、もちろん壇上にはザイドリックのみが上がった。エリーゼから大公国銀鷲章を受け取った瞬間、整列した兵士たちが一斉に「ザイドリック・ローライシュタイン! ジェネラル閣下、万────歳ッ!」と歓声を上げた。

 そしていよいよ叙勲式のクライマックス、ローライシュタイン大公国において過去数名しか受勲したことがない伝説の勲章、大公国金鷲章の授与が行われた。受勲者はもちろんアーヤ・エアリーズ第六師団長、衆目の一致する結果だった。

 壇上に上ったドレス姿のアーヤを見て、一同はどよめきを発した。そこに「戦の女神」ではなく「美の女神」を見たからである。大公国金鷲章の金メダルをアーヤが押し頂いたそのとき、第六師団の将兵たちは堪えきれず涙声になって、ありったけの声を振り絞り叫んだ。

「アーヤ・エアリーズ! 我らの姫さま! アーヤ・エアリーズ! 我らの希望!」

 アーヤはびっくりした表情で居並ぶ兵士たちをながめていたが、しだいに高揚感に囚われていった。アーヤにとって人生最良の日といえた。無意識のうちに大公国銀鷲章を受章したリックの隣に立ち、腕を組んで肩を寄せたのだった。歓声が半分やっかみを含んだ声援になるまで時間はかからなかった。

「なにこれ! どういうこと!?」

 本気で怒っているドーラが第六師団の将兵に混じっていたのはもちろんのことであった。そしてもう一人、真逆の意味からルージュ・ローライシュタインも腹を立てていた。小さな波紋が巨大なうねりに変わる、時代の転換点には常にきっかけがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る