第二六章 ダーグナスリイト攻防戦 結

 第七師団の救援部隊がダーグナスリイトに設営された野戦病院へ到着した。そこでは第六師団の重軽傷の兵士たち千人以上が救出を待ちわびていた。満足な手当てを受けられなかったにもかかわらず、かれらは不平不満を口にせず、皆が師団長への感謝の念を示した。重傷なのに妙に元気のよいドーラが軽口をたたいた。

「あたしはシュタインズベルクに帰ったら、すぐにアーヤと結婚式を挙げるんだからね。なにせアーヤのほうからあたしに“ドーラ、愛してる”って言ってくれたんだ。これはもう相思相愛って間柄だよね♪」

 担架に載せられてすれ違ったラフィーがぼそっとつぶやいた。

「それって単に憐れみをかけられただけでしょ」

「なにィ────────ッ!」

 ドーラは立腹したが、左脚がまだ不如意のため、ラフィーを追うことができなかった。


 リックはアーヤの最後の姿を見たという兵士の証言に基づき、瓦礫に埋まった工場跡地の一角を探し回った。だが、アーヤの足跡を示す断片さえも見つけられなかった。

 撤退の時間が迫っていた。第七師団は帝国軍の包囲を突き破ることに成功したが、実際には細い回廊を作り出しただけである。今この瞬間でさえ、その回廊を維持するために第七師団将兵は生命を懸けて戦っているのだ。参謀長クライストの予想では日が落ちる前に撤退を完了しなければ、第七師団までも再包囲されてしまう危険があるとのことだった。もう日没までそれほど間がない。これ以上アーヤの捜索に時間をかければ、第六師団、第七師団全ての将兵を失い、ローライシュタイン大公国は命脈を絶たれてしまう。

────もはやこれまでか・・・・。

 リックは天を仰いだ。絶望に打ちひしがれて捜索を打ち切ろうとした矢先、わずかながら金属の反響音が聞こえてきたことに気づいた。

「皆、そこで立ち止まれ、動くな!」

 アーヤの捜索を手伝っていた兵士たち全員が凍りついたように動きを止めた。金属音はリックの右側にある瓦礫付近から響いていた。しかしそこは何度も痕跡を見極めた場所であり、なにもないことは確認済みであった。

「んっ、これは?」

 リックは瓦礫の下に四角い窪みがあることを発見した。

「この瓦礫を全員で動かそう。これだけの人数がいれば問題ないはずだ」

 その場にいた男たち総員が力を合わせた。ジェネラルも一兵卒も関係なかった。皆で瓦礫を押しのけた結果、そこにハッチらしきものが埋め込まれているとわかった。金属の反響音はその中から聞こえてきた。緊張に震えながらリックはハッチの把手をつかみ、それを力任せに引き上げた。ギギギッと錆びた蝶番の嫌な音が鳴り響き、ハッチは一八〇度回って地面にぶつかった。

 土埃が舞い、少しだけ視界が遮られたが、リックは視線をそらさなかった。粉塵の漂う先にあかがね色の髪が見えた。視界が開けたところで、不安げな面持ちのアーヤが竪穴から顔を出し、あたりをうかがっているようすがはっきりと確認された。

「アーヤッ!」

 リックは無意識のうちにアーヤを抱きしめていた。周囲の目も自分の立場も何ら気にならなかった。

「えっ? リ、リック・・・様?」

 なにが起きたのか見当がつかず、アーヤはきょとんとしていたが、わずかな時間で状況を把握した。アーヤに続いて、一七名の兵士たちが竪穴に設けられた梯子を登ってきた。そこはかなり大規模な地下室だった。何の目的で造られたのか不明だが、炎に囲まれたアーヤたちにとっては格好の退避場所になったらしい。だが、瓦礫が崩れ落ちてハッチが開かなくなったのは想定外であった。そこで自分たちの存在を知らせるために音を出し続いていたのだ。まさに間一髪のタイミングだった。リックがわずかな金属音に気づかなければ万事休すだったのだ。


 地下室から出てきた兵士たちを観察した結果、なんと帝国軍の将校が三名混じっていると判明した。だが、かれらは素直に武装解除に応じた。指揮官と思しき端正な顔立ちの青年がリックの前に歩み出て、直立不動の姿勢で敬礼を捧げた。

「ジェネラル閣下! 自分は帝国軍の騎兵連隊長ハインドラー・ミルンヒックと申します」

「ミルンヒック?」

 リックは驚いて青年の顔を見た。わずかに寂しげな表情を見せたのち、ハインドラー・ミルンヒックは言葉をつないだ。

「自分は帝国長官レムハイル・ミルンヒックの弟です。しかし兄弟だからといって同じ思想ではありません。兄は兄、弟は弟、別個の人間です。地下室でも貴軍の師団長にお伝えしたことですが、自分たち三名は帝国軍を辞め、ローライシュタイン大公国軍に加わりたいと思っております。どうかご承認をいただけますでしょうか?」

 なにゆえかれらがそう願い出たのか、リックにはまったく分からなかった。

「ミルンヒック騎兵連隊長、貴官はなぜ輝かしい経歴を捨ててまで我が軍に加わろうとするのか。わたしにはそれが理解できない」

「ジェネラル閣下がそう思われるのはもっともなことです。にわかには信じがたいと言われるのも想定の範囲内。ですが、自分はここにおられるアーヤ・エアリーズ師団長の統率力、指揮官としての器の大きさに惹かれました。我々の上官はやみくもに突撃しろと命ずるだけで、その命令には一片の説得力もありません。しかしエアリーズ師団長は違った。部下を鼓舞し、自らは最激戦地に身を投じ、文字通り模範となって戦い抜いたのです。我々の同僚にもエアリーズ師団長の部下になりたいと口にする者はたくさんいます。どうかご承認を ────」

 味方だけではなく敵軍までも魅了してしまうアーヤのカリスマ性に改めてリックは驚きを感じた。とはいえ、今はそれを議論するときではない。

「ミルンヒック騎兵連隊長、貴官の希望は聞いた。だが、貴官も一度は帝国軍に忠誠を誓った身のはず。正式な除隊手続きを経て、なおローライシュタイン大公国軍に加わりたいというのであれば、そのときは希望をかなえよう」

 リックの言葉に満足したのか、ハインドラー・ミルンヒック帝国軍騎兵連隊長と二名の部下は右手を九〇度に掲げて敬礼した後、去っていった。

────帝国側も決して一枚岩ではない。

 リックはこれから先起こるであろう帝国との再戦にしばし想いをめぐらせたが、やがて現実に立ち返った。そう、気になることがあったのだ。

「アーヤ、その左頬の傷は?」

 尋ねるべきではなかったのかもしれない。ヴァイクス将軍とのデュエルで負った傷は決して癒えておらず、アーヤは左の頬にひどい傷痕を残していた。それをリックに見とがめられたと思ったか、アーヤは恥ずかしそうに首を傾けた。

「ジェネラル閣下! 師団長は我々のために命を懸けて敵の将軍と一騎打ちを果たされたのです。我々は一生あの戦いを忘れません」

 兵士の一人が口をはさんだ。

 リックはそれ以上なにも訊かなかった。そんな傷を負ってまで戦友のために闘い続ける、それがアーヤなのだから。


 事態は一刻の猶予もないほどに切迫していた。日が落ちれば防衛戦も撤退も事実上不可能になってしまう。すでに野戦病院の戦傷者は全員救出したと報告があった。戦死者の遺体は残念ながら持ち出せなかった。戦争が終わったあと、丁重に葬ることをリックは心に誓った。

 あとはしんがりを務めるリックたちが脱出するのみである。走り出したかれらの後ろで、回廊を防衛していた第七師団の兵士たちも潮が引くように一斉に撤退を開始した。当然、帝国軍による激しい追撃戦が始まるものと覚悟していた。

 ところが、あにはからんや、帝国軍に追撃のようすはまったく見られなかった。それどころか、かれら自身も撤収の準備に入っていた。これはどういうことだろうか。

 司令部に戻ってクライスト参謀長と合流したリックはそこで予想外の報告を受けた。帝国軍側が使者を派遣し、恒久の停戦を伝えてきたのだ。ハルツ・フェルドナー参謀総長直筆の停戦通知を前にリックは驚きを禁じえなかった。

────シュタインズベルク防衛戦で帝国軍司令部は壊滅したはず。あの天使の降臨を確かにわたしはこの目で見た。それに、フェルドナー参謀総長が健在だとしてもなぜ停戦を選択する? ローライシュタイン大公国軍を掃討する最大のチャンスではなかったのか?

 まもなく帝国側が再度使者を送ってきた。なんとフェルドナー参謀総長がこの場にやってくるのだという。停戦の通知といい、参謀総長本人の来訪といい、なにからなにまで異例尽くめで、リックは混乱してしまった。だが、断る理由はない。


 六月二七日夜、リックが陣取る野営テントに帝国軍の実質的最高指揮官ハルツ・フェルドナー参謀総長が数名の部下を伴ってやってきた。ローライシュタイン大公国側はジェネラルのザイドリック、参謀長クライスト、それに野戦指揮官としてアーヤが同席した。

 用意された椅子に腰掛けるなり、フェルドナーは口を開いた。

「なぜこちらから停戦を提案したのか、貴殿はまずそれを知りたいのではないのかな?」

 リックがうなずくとフェルドナーは続けた。

「現在の戦況を客観的に分析した結果、我が軍の目標は達成不可能になったと言わざるをえない。貴国の首都を制圧する作戦は失敗に終わり、主力部隊は潰走。ダーグナスリイトを包囲した第三軍団は指揮官を失い、戦力は大幅に低下。この状況でなお兵力をすり減らす必要性はまったくない。いやむしろ、続行は愚か者の選択だ。以上の軍事的な理由から、わたしは停戦を選んだ」

 論理的な思考を旨とするフェルドナー参謀総長らしい結論だった。

「わかりました。停戦に異存はありません。しかし戦争遂行を帝国軍総司令官であるフォイエル・ドラス元首が命じた場合、どうなるのでしょうか」

 リックの質問は理にかなったものといえた。

「それは政治的な決定によるな。小官の扱える範疇ではない。ただ、軍は職業軍人によって指揮されるもの。実行不可能な命令が出ても、遂行できる指揮官がいないのだから無意味だ」

 フェルドナーは皮肉っぽく嘲った。リックは全てを理解した。

「では、別の質問をさせてください。参謀総長は我が国の首都攻略作戦において、司令部で指揮を取っておられたのではありませんか?」

「んっ? 質問の意図が分からぬな。わたしは常時司令部に詰めておる。前線視察はしない」

「我が軍の第七師団が帝国軍司令部に接近した折、偶然起きた天変地異によって司令部は壊滅したと受け止められました。ですが、参謀総長はこうしてご健在のご様子。率直に申し上げて合点がいきません」

「ふふふ・・・ 偶然起きた天変地異? まあ、そういうことにしておこう。ドラス元首への報告が楽になるからな。それと、だ。貴殿が見た司令部とは参謀部のことだ。一〇万名もの将兵を指揮するためには参謀だけでも一〇〇名は必要だからな。わたしは数名の作戦部長とともに東部の山岳地帯にいた。そのおかげで奇跡を見損なってしまったが、運不運はだれにでもある」

 フェルドナー参謀総長は最初からあの司令部(実際には参謀部)にいなかったのだ。偶然か必然か識別できないが、洞察力は超一流であると改めて認めざるをえない、リックはそう痛感した。

「ところで ────」

 参謀総長が話題を変えた。

「アーヤ・エアリーズ師団長、貴官の戦いぶりは我が軍でも最高クラスの評価を得ている。エルマグニアが再び一つになったときにはぜひ同胞のために尽くしてもらいたい。貴官の力は小国の中だけで終わらせるにはあまりにも惜しい」

 突然話題を振られて、アーヤは困惑した表情を見せた。肯定も否定もしないことで停戦合意が壊れないよう配慮するのが手一杯だった。


 フェルドナー参謀総長が帰ったあと、ローライシュタイン大公国軍は即時帰投の準備に入った。大量の負傷兵をできるだけ早く入院させる必要があり、かつ疲弊した戦力を再編成しなければならなかった。この戦争で帝国軍は六個師団を失い、ローライシュタイン大公国軍は実質的に四個師団の戦力を二個師団以下に減らした。客観的にみてダメージがより大きいのは大公国側で間違いなかった。

 フェルドナー参謀総長はローライシュタイン大公国を「小国」と表現したが、その言い回しが決して誹謗でないことは確かだった。アレイアウス大陸にはテッサーラビウス帝国、フェスランキシュ王国のような大国が群雄割拠の状態にあり、国力を減らした小国などは占領・解体・併合の憂き目に遭うのが当然の時代となっていた。

 初代エルマグニア連邦元首リヒテック・ディカート大王が一五〇年前、五ヶ国で連邦を建設しようと尽力したのは合理的な選択だった。しかし一五〇年後にフォイエル・ドラスのような野心に満ちた男が現れるとは予想できなかったのだろう。時代は乱世覇道の方向へ動き出した。


 帰途の道すがら、リックはジェネラル専用の四頭立て馬車に同乗させたアーヤに、シュタインズベルク防衛戦の一部始終をくまなく説明した。アーヤは静かに聞き入っていた。そしてユリエッタが起こした最後の奇跡に目頭を熱くさせたのであった。

────ユリエッタ、あなたは最後までこの国を護ってくれたのね。ありがとう。

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