第二五章 ダーグナスリイト解囲作戦

 六月二四日夕刻、首都シュタインズベルクへもどったリックはすぐに大公宮殿イーグルライズへ向かった。エリーゼは状況が把握できず混乱していたが、リックが語った奇跡──天使の降臨──にたいそう驚き、突如巻き起こった天変地異により帝国軍が粉砕された謎を理解した。ユリエッタが起こした最後の奇跡によってローライシュタイン大公国は国家存亡の危機から脱したのだ。エリーゼは無言で涙を流した。

「姉上、我々にはやるべきことが一つ残されています」

 エリーゼはうなずいた。

「ええ、第六師団、アーヤたちを救わなければ ────」

 疲れを見せず、リックは作戦会議を即時開催した。参加メンバーは君主エリーゼ、軍司令官リック、参謀長クライスト、第七師団長臨時代理ラドム・ゼンの四名だった。

 リックが口を開いた。

「首都に迫っていた帝国軍部隊は壊滅・敗走した。だが、ダーグナスリイト要塞で第六師団を包囲している帝国軍部隊はまだ健在と思われる。そして第六師団も同じだ。かれらが降伏していれば、帝国軍は当然こちらに兵力を向けるはず。今に至ってもそれがない以上、第六師団はなお彼の地で戦い続けている。我々は敵の大軍を引きつけてくれた第六師団を何としても救出しなければならない。しかし、我が軍で現在動けるのは第七師団だけだ。疲労困憊だろうが、あと一働きしてもらいたい」

「なんの、ジェネラル閣下」

 ラドム・ゼンが応じた。

「二週間も包囲されながら戦い続けている第六師団の苦しみに比べれば、我々の疲労など物の数ではありません。今すぐ準備に入りましょう!」

「そう言ってもらえると助かる。実はもう早馬による伝令を送り、六月二六日午後、救出作戦を敢行するという暗号文を持たせてある」

「六月二六日午後!」

 クライスト参謀長が驚きの声を上げた。

「これから出発しても師団がダーグナスリイトまで到達するには丸二日かかります。六月二六日午後には間に合いません」

 リックはニヤッと不敵な笑いを浮かべた。

「策がある。それと、アーティラリーも二基、牽引していく。これは一日遅れだが ────」

 人馬が総出でやっと移動させているアーティラリーをどのように牽引していくのだろうか。その場にいただれもがそう思ったが、リックは自信ありげだった。

「姉上、協力をお願いします」

「もちろんよ。わたしにできることがあれば、なんでも手伝うわ」

 かくして、第六師団救出作戦会議は滞りなく終わった。


────リック様がわたしたちを助けに来てくださる。それが可能ということは首都防衛に成功した!?

 師団司令部で大隊長たちと協議したアーヤはそう結論付けた。本日(六月二六日)正午、両軍の停戦合意が解けて、戦闘が再開される。そこからあと少しだけ耐え抜けば、大公国軍第七師団が救出にやってくるというのだ。これほど大きな希望がほかにあろうか。アーヤは全将兵にこの報せを告げ、第七師団の到着まで現地を死守するよう命じた。

 正午、停戦切れの時間が来た。まるでこれまでの和平が嘘だったかのごとく、壮絶な戦闘が再開された。南西方面の帝国軍が攻勢に出た。第六師団が守るかつての工場跡地を奪取しようと戦闘班が幾重にも連なって連続攻撃を繰り返し、第一陣が押し返されたら第二陣、それでも駄目なら第三陣と、第六師団に楔を打ち込むまで集中攻撃は続いた。

 帝国軍側がこの工場跡地を奪おうと計画したのには訳があった。旧市街北部に第六師団の野戦病院があり、容易に撤退できないと分かっていたからである。工場跡地、野戦病院ともに、比較的広い空間があって防御側には守りづらい。さらにいえば、野戦病院には数多くの重傷者が収容されており、移動させることは困難である。つまり第六師団はなにがあっても、ここに踏みとどまって戦わなければならない理由があったのだ。

 包囲した相手を消耗させるのにこれほど適した場所はなかった。帝国軍兵士は決死の覚悟で連続した肉弾突撃を敢行した。第六師団の張る薄い防衛線は何度も破られたが、その度にアーヤの指揮で敵を撃退した。とはいえ、第六師団は徐々に野戦病院を中心とする半径数百メートルの地域に押し込まれていた。第六師団中、戦っている兵士の数はすでに半数以下に落ちており、残りは皆戦死・戦傷・行方不明という惨状であった。軍事常識でいえば、とうの昔に壊滅していてもおかしくない状態にありながら、なお士気を保ち、戦い続けている、これを奇跡と呼ばずしてなんというのか。それは第七師団による救出作戦が通知される以前の絶望的な状況でさえ同じだった。


 六月二六日一五時過ぎ、突如何の前触れもなく、帝国軍第三軍団南方に一群の騎兵を主力とした軍勢が現れた。その数おおよそ五千名。大公国第七師団の先遣隊に他ならなかった。なぜかれらが全二日の行程を半日も縮められたのか。それは甲冑、盾、剣といった重量のかさむ武器防具を外し、平服のみで乗馬したからである。通常、会戦に備えて将兵は完全装備で乗馬するが、それでは重くなって馬の走力が落ちてしまう。今回の場合、移動途中に会敵する確率は相当低いので、装備を外し、別途荷車に載せて輓馬に引かせることにより移動時間短縮が図られたのだ。そして敵影を確認したところで、急ぎ装備を身につけたわけである。

 第七師団長臨時代理ラドム・ゼンと旧近衛騎士団の精鋭は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。首都防衛戦は予想外の結末により予期せず終了してしまったが、今度は違う。しかももっとも得意とする騎兵突撃なのだ。

「かつてのバイヤーオベルン大公国の騎士たちよ、帝国側に国土を奪われた怨み、さらには我らの姫君ユリエッタを失った痛み、それらを今こそぶつけるときが来た。友邦ローライシュタイン大公国のためにも死を超えて戦うことをここに誓え!!」

「オオォ────────ッ!!!」

 五千名の雄たけびが平原に響いた。

「突撃────────ッ!」

 大公国第七師団の勇士たちが猛然と騎兵突撃を開始した。雄たけびが上がった時点で帝国軍側は当然気づいたが、第六師団を包囲殲滅することに注力した戦闘隊形はすぐには変えられなかった。そこへ鬼神の勢いで第七師団先遣隊が突入したのである。帝国軍側は大混乱に陥った。後方の支援部隊は蹴散らされて四散・潰走した。戦闘部隊は急遽一八〇度態勢を変えて迎え撃ったが、その対応は後手後手に回った。大公国軍は見事楔を打ち込むことに成功し、恐るべき勢いで解囲をめざして前進を続けた。

 六月二六日夜になっても戦闘は続いていた。通常夜間に野戦部隊は戦闘を行わない。適度な休息と食事は戦士にとって欠かすべからざるものだからである。だが、その日は違っていた。なんとしても包囲の輪を破る、もしくはなんとしてもそれを阻止する、意地と意地がぶつかり合い、双方ともに退けなくなっていたのである(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図8参照)。

https://yahoo.jp/box/4aObLM

 夜が明け、黎明の光が差し込んできても、両軍は戦うことをやめなかった。ここに至って、戦況に変化が表れ始めた。大公国第七師団の勢いに陰りが出てきたのだ。帝国軍第三軍団南方の兵員数は約一万五千名、対して大公国第七師団先遣隊は五千名程度。これではどんなに力を尽くしても解囲は難しい。後方で師団全体の指揮を取るリックは先遣隊が攻勢限界点に達しつつあると悟った。ダーグナスリイト旧要塞へ到達するためにはあと一キロ弱を突破しなければならない。

 六月二七日昼前、ついに第七師団先遣隊は行き詰まり、攻撃続行か撤退かの決断を迫られる状況が近づいてきた。リックは動かなかった。この瞬間にも“切り札”が到着することを願って。

 一三時を少し回ったときだった。伝令から急報が届いた。クライスト参謀長の指揮する増援部隊およびレスペル・ブレート博士と砲術班、アーティラリー二基が到着したとのことであった。機動力に欠けるアーティラリーをどのように輸送したのか。答えは「88(ハチハチ)」の八頭立て牽引馬の転用であった。通常「88」は予備を含めて二セットの八頭立て牽引馬を待機させている。今回リックはエリーゼの許可を得て、その両方をアーティラリー輸送に使ったのである。君主専用車である巨大な「88」を動かせるのであれば、アーティラリーも同様と考えたが、首尾よく運んだ。

 ただちにアーティラリーの砲撃準備が開始された。と同時に、据え置き型の大型複合弓で第六師団に暗号文が送られた。


 六月二七日一四時、新型投石器によりダーグナスリイト内の帝国軍を集中攻撃する。第六師団は自軍の保持する支配地域を明示するために赤色信号弾を上げよ。

 その後、第七師団による解囲攻撃を敢行する。


ローライシュタイン大公国軍司令官ザイドリック・ローライシュタイン


 第七師団司令部でリックが望遠鏡を覗いていると、一四時ちょうどに赤色信号弾が上がった。それはわずか数百メートル四方の範囲だった。

「あんな狭い地域に押し込まれながら、なお戦っているのか・・・・」

 リックは絶句した。胸に熱いものがこみ上げてきた。

「アーティラリー、砲撃開始ッ!」

 ブレート博士の指揮により砲術班が徹甲弾、炸裂弾を上手に使い分けながら攻撃を始めた。アーティラリーの正確無比な目標捕捉はここでも絶大な威力を発揮した。石造りの建物を粉砕し、わずかに平坦と見える場所には炸裂弾を叩き込んだ。

 帝国軍は未知の兵器に対して右往左往し、第六師団を締め上げる力も第七師団を押し返す力も大幅に低下させた。ここが勝負どころだった。

「クライスト参謀長、最後の予備兵力を投入せよ。一点集中で敵軍を崩し、包囲を解いた後、第六師団を救出する」

「ハッ! かしこまりました」

 リックは最後のカードを切った。運命は天に委ねられたのだ。


 六月二七日一三時過ぎ、第七師団から二通目の暗号文を受け取った第六師団司令部は希望に胸をふくらませて攻撃開始時刻を待った。丸二週間包囲されて、一時は全滅覚悟で戦っていたのだ。その間、第六師団には次々と悪夢が降り注いできたが、アーヤの卓越した統率力により崩壊を免れてここまで生き延びてきた。あと少しでその悪夢も終わりを告げるのだ。第六師団将兵は皆それを信じた。

「二人一組で信号弾を持ち、我々の支配地域外延部まで進んだのち、一四時ちょうどに赤色信号弾を上げることを命じます。志願者は?」

 アーヤが尋ねたところ、その場にいた全員が手を挙げた。

 一四時に上がった信号弾はかなり正確に第六師団の支配地域を表していたが、ひとつだけ判断に迷いが生じていた。帝国軍と奪い合いになっていた工場跡地の北半分を支配地域に含めてしまったのである。

 ちょうどその頃、帝国軍側は大攻勢をかけて、工場跡地の完全奪取および野戦病院の制圧により第六師団を降伏に追い込もうと画策していた。そして帝国軍の攻撃も一四時に予定されていた。

 同時刻、帝国軍の大攻勢により工場跡地が制圧されつつあるとの急報が第六師団司令部に届いた。アーティラリーによる攻撃がすでに始まっていたが、帝国軍側が想定以上の進出を果たしたため、工場跡地の北部は攻撃対象から外れてしまった。このまま手をこまねいていれば、工場跡地は帝国軍に占領されて、隣接する野戦病院もかれらの手に落ちる。戦傷者を人質にとるような真似はしないと思われたが、抵抗力の低い野戦病院を制圧されれば、第六師団の支配地域は事実上消滅し、降伏を余儀なくされてしまう。

 アーヤは即行動を起こした。動ける将兵一個中隊を率いて、危機的状況に陥っている工場跡地へ向かったのだ。そこは地獄の戦場と化していた。死力を尽くして防衛を図る第六師団兵士たち、死を恐れず突撃をくり返す帝国軍兵士たち。工場跡地南部に落ちた炸裂弾の火炎と崩壊した建物の粉塵が舞い上がり、もはや敵味方の識別さえ困難な状況だった。それでも両軍は剣と連弩を駆使してあくなき戦いを続けた。

 アーヤの指揮で崩れつつあった第六師団の防衛線に一本の筋が通った。あと一撃を受けたら破綻する最弱点を的確に補強して、アーヤ率いる大公国軍は再度、工場跡地中央付近まで帝国軍を押し返した。

 そのときだった。アーティラリーの炸裂弾が工場跡地の真ん中に着弾した。瓦礫が飛び散り、炎が一帯を覆い尽くした。その場で戦っていた両軍の将兵全員が姿を消した。


 最後の予備兵力によって増強された第七師団は楔形陣形を強化して一点集中攻撃に全てを懸けた。第七師団長臨時代理ラドム・ゼンと旧近衛騎士団の精鋭たちは文字通り命を燃やし、ついに帝国軍陣地を突破、工場跡地へと前進したのだった(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図9参照)。

https://yahoo.jp/box/VkRSpk

 解囲成功の報を受けて、リックはアーティラリーによる攻撃中止を指示した。もはや居ても立っても居られない心境だった。司令部付きの一個小隊を率いて、リックは前線へと足を運んだ。解囲が成功したといっても、細い回廊が一時的に維持されているだけである。いつ帝国軍が再攻勢に出るのか分かったものではない。早期に第六師団の将兵を救出して撤退する、それ以外の選択肢はなかった。

 四半刻ほどでリックは徹底的に破壊し尽くされた工場跡地に到着した。そこここに両軍兵士の屍骸が放置されており、その土地は死びとの町と化していた。まだ炎は鎮火せず、いたるところで煙を上げている。痩せ衰えた第六師団の兵士たちと思しき者たちが座り込んでいる姿が見えた。かれらはリックの姿を見ると驚き、姿勢を正して敬礼した。

「よく戦ったな。ローライシュタイン大公国は諸君らの奮戦により救われた。感謝するぞ」

「いえ、ジェネラル閣下、それを言うなら、エアリーズ師団長に対してです。師団長がいなければ、我々はとっくの昔に全滅していました」

「うむ、それでエアリーズ師団長は今どこに?」

「それが・・・・」

 兵士たちは皆、下を向いた。

「帝国軍が大攻勢をかけて、この工場跡地を奪取しようとしたのです。ここを失えば我々は分断されて各個撃破されてしまう。それが分かっていたからこそ、師団長は炎上する工場の中で戦い続けて、行方不明になってしまわれました。我々のミスです。師団長の代わりに我々が死ねばよかったんだ ────」

 その場にいた兵士たち全員がむせび泣いた。

────アーヤが行方不明!? そんな馬鹿な! なぜこんなタイミングで・・・

 リックはうめいた。しかし遺体を確認したわけではない。もはや大公国軍司令官などという仰々しい肩書きになんら遠慮するところなく、リックは大声を張り上げた。

「アーヤァ! どこだ? 助けに来たぞッ! ザイドリックがおまえを助けに来たんだァ────ッ!」

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