第二四章 ユリエッタ 奇跡の白騎士

 六月二四日早朝、帝国軍は散開隊形を取りながら再びシュタインズベルクへ接近した。この状況を城壁に建てられた尖塔から実際に目視したリックは拳を握り締めた。

────まずい。帝国軍は自軍の損害覚悟で接近戦に持ち込むつもりだ。こうなった以上、接近される前にどれぐらい敵軍を叩けるか、それが勝敗の鍵となるだろう。

 リックは敵軍がアーティラリーの射程内に入ったら、すぐに炸裂弾で攻撃するよう命じた。一〇基のアーティラリーがフル稼働した。だが、帝国軍は散開隊形を取り、全速力で大公国陣地へと突撃をかけているのだ。一撃を放ち、次の装填・発射までには数分を要する。とても数万人の敵軍をアーティラリーだけで迎撃できる状況にはなかった。

 いよいよ最終決戦のときが来た。もはや運を天に預けるしかない。全軍で首都防衛に死力を尽くすのみ。両軍がシュタインズベルク近郊で激突した。すでに何度も剣を交えている相手だけに奇策は通じない。ローライシュタイン大公国軍は陣地で待ち構えて、突撃してくる帝国軍を一人でも多く倒す、まさにそれだけだった。

 兵力比は三対一、どんなに善戦してもローライシュタイン大公国軍の敗北は不可避の状況であった。リックはエリーゼと大公宮殿で協議を重ねた。今のまま戦い続ければ首都は炎に包まれ、領民全員が路頭に迷う結果になるだろう。屈辱を甘んじて受け入れ降伏すべきなのか、徹底抗戦を選択すべきなのか、結論は出なかった。

 そこへユリエッタがやってきた。

「大公閣下、ジェネラル閣下、お話しの途中で割り込んでしまい。申し訳ありません」

「いや、気にすることはない。それより何か相談でも?」

「はい。この戦いは率直に申し上げて、かなり厳しい情勢にあると考えています。しかしわたしに秘策があります」

「秘策?」

 エリーゼの表情が少しだけ明るくなった。

「帝国軍がこれだけ臨機応変に戦えるのは司令部が近くにあるためと予想します。よって、第七師団は敵中を突破し、北方に位置すると予想される帝国軍司令部を強襲、指揮命令系統を破壊して継戦能力を断つという作戦です」

 これは大きな賭けだった。帝国軍司令部が戦線後方の捕捉できる場所になければ、第七師団は敵中で孤立し、補給もなく壊滅してしまう。だが、今のまま戦い続けたとしても、希望はほとんどない。ならば、この計画に乗るしかないのだろうか。

 リックとエリーゼは顔を見合わせた。エリーゼが首を縦に振った。

「・・・わかった。ユリエッタ、作戦を許可しよう。ただし、わたしも同行する」

 リックの言葉にエリーゼ、ユリエッタ、両者が同時に驚きの顔を見せた。

「なにを驚いている? バイヤーオベルン大公国への遠征ではわたしが第六師団を直接率いたのだ。今回の作戦こそ、ローライシュタイン大公国の未来をつかみ取る最後の機会、軍司令官が直接指揮を取らずにどうする」

 エリーゼは心配そうに見つめていたが、やがて覚悟を決めたように告げた。

「リック、行きなさい。この戦いの結末はあなたとユリエッタが握っている。わたしはあなたたち二人に懸ける」


 ただちに前線で戦い続ける第七師団の将校に命令が伝達された。

「本日正午を期し、第七師団は首都防衛戦から一時離脱、楔形陣形を取り、帝国軍前線を一点突破したのち、後方の敵司令部へ強襲攻撃をかける。以上」

 この命令に第七師団将校は色めき立った。絶望的な消耗戦を続けるよりも一か八かの決戦を挑んだほうがよい、そんな空気が支配的だった。まもなく甲冑を着たザイドリックがユリエッタとともに登場したことで、第七師団の士気はいやがうえにも高まった。連隊長ラドム・ゼンは前衛を務めさせてほしいと願い出て、了承された。

 ついに第七師団の捨て身の総攻撃が開始された。陣地の奪い合いに終始していた帝国軍側からすれば、寝耳に水の事態だった。首都防衛戦に従事している敵の最精鋭部隊が突如、騎兵を先頭に戦線を一点突破していく。これは兵法の常道からすれば、ありえないやり方であった。しかし、相手の虚を衝く作戦だからこそ成功する確率が上がるのだ。また、帝国軍第四軍団と第五軍団の作戦境界線を狙い撃ちした計画だったことも功を奏した。大公国軍第七師団は敵陣を突破、ついにその後方へと進出した。めざすは帝国軍指令部ただひとつ。

 軍事作戦遂行の際、最善を追求するフェルドナー参謀総長にとって、麾下の部隊に適時、的確な指示を出すための司令部の位置決めは重要な要素であった。司令部が遠すぎてはならず、また中央から偏った位置にあってもならなかった。

 ならばこそ帝国軍司令部は北北東にある。ローライシュタイン大公国軍にとってそれは十分に期待できる推測であった。果たして、その予想は当たった。第七師団が北北東へと駆け上がって数時間、警戒態勢を取る帝国軍陣地が見えてきた(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図7参照)。

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 リック、ユリエッタは強襲の成功を確信した。司令部にも当然守備兵力が配備されている。だが、通常の場合、それは一個大隊程度であり、第七師団の戦力からすれば、蹴散らせるぐらいの相手で間違いなかった。

 帝国軍司令部も大公国軍に気付いたのだろう。戦闘部隊が正面に集まり出した。しかしその兵力は尋常ではなかった。大隊規模ではない。間違いなく一個師団相当の戦力を持っている。これは想定外だった。侵攻軍として九個師団を派遣し、なお司令部には戦略予備が一個師団残されている。リックは帝国の底知れぬ力にまたも圧倒された。

 だが躊躇すれば、追撃を始めたであろう帝国軍第四軍団、第五軍団の一部と司令部付の師団に挟撃されて、第七師団の命運は尽きてしまう。このまま突入するしかない。

 ユリエッタが馬上から声をかけてきた。

「ジェネラル閣下、わたしが部下とともに突入します。閣下はハリネズミの陣を敷いて、後方から来る敵軍の追撃を遮断してください」

「わかった」

 攻撃の指揮はユリエッタがもっとも秀でている。ここは彼女に任せるのが上策だとリックは判断した。


 ユリエッタの指揮で連隊長ラドム・ゼンを始めとした第七師団の将兵が下馬し戦闘隊形を取った。前方で待ち構える帝国軍司令部付師団は連弩、複合弓で狙いを定めている。射程内に入ったところで一斉射撃を開始するつもりだろう。

 ユリエッタはラドム・ゼンが率いる旧近衛騎士団を先頭に立てた。かれらはローライシュタイン大公国に移籍してから、その体力面の優位性を評価されて、実質的に重装甲騎兵部隊と同等の装備を支給された。重装甲騎兵と命名しなかったのはバイヤーオベルン大公国出身のかれらに対する配慮だった。重装甲騎兵の甲冑と盾であれば、複合弓でも貫けない。まして連弩の矢などは只の棒にすぎなかった。

「大公国の戦士たちよ、我らの勝利はこの一戦にかかっている。命よりも名誉を重んじて戦え!」

 ユリエッタの号令とともに怒号ともつかぬ喚声が沸きあがった。騎兵連隊を先頭に第七師団は突撃を敢行した。壮絶な戦いが展開された。帝国軍司令部付師団は完全装備、かつ完全戦力である。それに対して大公国第七師団は連戦の疲弊がピークに達している。いかに重装甲騎兵が精強であろうとも、苦しい戦いになることはあきらかだった。

 しかしその予想は会戦が始まってすぐにくつがえされた。第七師団には戦況を「読める」ユリエッタがいたからである。ユリエッタの的確な指揮により、第七師団は敵中深くまで斬り込んだ。楔形陣形を取りながら突き進み、あと一歩で敵司令部が見えるところまで前進した。

 だが、それすら帝国軍の罠だったのかもしれない。あるときを境に帝国軍はユリエッタだけを徹底して狙い始めた。陣中深くで指揮を執る口髭を生やしたホフマンという将校の言葉が聞こえてきた。

「あのユリエッタという白い女をねらえ。あいつは人間の行動を先読みする怪物だ。あの女さえ葬ってしまえば、我々の勝利は確実となる。研究した通りの戦術で対抗せよ!」

 帝国軍側は徹底した諜報活動により、勝利の確率を格段に上げるすべを知っていた。フォイエル・ドラスが作り上げた軍事国家は帝国内の隅々にまで間諜を送り込み、日夜情報収集と分析を進めていたのだ。勝利か死か、ローライシュタイン大公国に運命の時が迫った。

 帝国軍が長尺槍兵の集団を繰り出した。かれらは一糸乱れぬ統率された動きでユリエッタを取り囲んだ。ホフマンが命令を下した。

「槍兵は完全な等間隔を取り、全周から同時に突けッ!」

 ユリエッタの先読み能力を無効化するため、研究を重ねた成果がそこにあった。

 槍兵の三六〇度からの一斉刺突攻撃にユリエッタは一瞬ひるんだが、すぐに対応した。上空へと高く飛び上がり、槍兵の全周攻撃を凌いだのだ。

「かかった! 連弩部隊、射撃開始ッ!」

 槍兵の後方に控えていた弓兵が連弩を構え、円周から中心へと全員同時に連射し始めた。上空にあっては態勢を自在に変えることができない。ユリエッタは最初の数本の矢を体(たい)の動きでかわしたが、それが限度だった。初めに肩を撃たれた。続いて腹部、脚部に次々と矢が刺さった。命中した矢の数は一〇本を下らなかった。

「ユリエッタァアァアァアアァァ────────!」

 リックの絶叫が戦場にこだました。


「あ・・あぁあ・・うぁあぁぁ・・・・」

 ドサッと地に落下した白騎士は激痛に身を震わせて、その場にうずくまった。

「よーし、完璧だ。槍兵! このままトドメを刺せッ!」

 ホフマンが最後の命令を発した。

「うっ・・ああぁ・・・ムッ・・・ター(お母さん)・・・・」

 口から大量の血を吐きながら、ユリエッタがなにかをつぶやいた。

「・・ムッター・・・ファータァァ(お父さん)──────!!」

 その刹那、晴天の空に突然の稲妻が走った。耳をつんざく大音響に戦っていた兵士全員が息をのみ、戦闘を停止したほどだった。晴天が一挙に曇天へと変わり、それから一条の光明が差した。それはスポットライトのごとくユリエッタだけを照らし、そしてなにか光り輝くものが二体、ユリエッタの元へとまっすぐ降りてきた。男女の姿をしていたが、それが人間などではないことはだれの目にもあきらかだった。ホワイトゴールドの髪、褐色の瞳はユリエッタと瓜二つ、二人とも白いローブをまとっていた。

 女の姿をした何者かがユリエッタを抱き上げた。

「やっと見つけた。わたしたちのかわいいユリエッタ」

 男の姿をした何者かが手をかざしただけでユリエッタの傷も矢もすべて消え去った。

 ユリエッタが二人に囁きかけた。

「お父さん、お母さん・・・ありがとう ────」

 二人はユリエッタを抱きしめたのち、突如として鬼の形相に変わった。瞳が真紅に燃え上がっていた。

「わたしたちの子を傷つけた愚か者どもよ、焼かれ砕かれよッ!」

 男が右手を上げた瞬間、帝国軍の真っ只中に巨大な火柱が何本も噴き上がった。紅蓮の炎が帝国軍将兵を燃やし尽くした。続いて女が左手を横に振った。すると、大公国第七師団を追撃してきた地平線の彼方にある帝国軍に幾筋もの雷(いかずち)が落ちた。それは人間が触れてはならぬ領域のものだった。炎と雷はますます勢いを増し、帝国軍第四軍団、第五軍団の大半を破壊し尽くすまで止まなかった。だが不思議なことに、大公国軍には熱、衝撃、それらが何一つ伝わらなかった。

 あたり一面を焼け野原にして、やっと満足したのか、男女二人は柔和な表情を取り戻した。再びユリエッタを抱きしめると、三人で光明の中をゆっくり昇っていった。かれらが天へと消えたそのとき、曇天もまた消失し、再度晴天へと姿を変えた。

「・・・なにが起きたんだ。あれはいったい ────」

 リックを始めとした大公国軍は呆然と立ち尽くすのみだった。

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