第二三章 アーティラリー
首都シュタインズベルク南方の郊外、SR社の工場から続々と鋼でできた口径五〇〇ミリの長筒を装備した兵器らしきものが前線へと輸送され始めた。指揮を執るのはSR社本社工場長のレスペル・ブレート博士。その兵器はブレート博士の構想をリックが採用し、実用化を図ったものであった。
これまで攻城戦の主力兵器といえば投石器以外存在しなかった。しかしブレート博士はその固定観念を覆し、実用化が徐々に進みつつあった蒸気機関と圧縮空気を組み合わせて、鋼鉄球(博士はこれを「徹甲弾」と名づけた)を飛ばせないものかと構想したのである。
蒸気は持続力があるが瞬発力がない。一方、圧縮空気は瞬発力があるが、持続力がない。ならば、蒸気機関で圧縮空気を溜め、一定以上の圧力に達したところであらかじめ鉄製の筒に装填した徹甲弾を撃ち出せば、精度、破壊力ともに投石器を数倍凌ぐ兵器が造れるのではないか、博士はそう考えた。
ブレート博士の理論を初めて聞いたとき、リックは博士が狂人ではないのかと疑った。そんな概念を思いついた者はこれまでいなかったからである。しかし話を聞いているうちに、もし実現すれば、途方もない力を発揮するのではないかと考えるようになった。
そして昨年のうちに兵器は完成し、今年の春先には極秘に試射実験までも済ませていた。だが、その秘密を話したのは姉のエリーゼのみだった。部下を信用しなかったわけではない。ただ、軍人は敵に捕まって尋問される可能性も考えられる。しかし知らないものは白状しようがない。この兵器の存在について部下に話さなかったのはリックの配慮もあったのである。
リックはこれを「アーティラリー(砲の意)」と名づけた。すでに一〇基が完成し、期待通りの精度を発揮すると確認してある。移動用に車輪をつけてあるが、たいへん重く、実際に動かすためには相当な人力、馬力を必要とした。さらに、設置してから蒸気を充填し、実際に砲撃に漕ぎ着けるためには最低でも一時間の石炭燃焼が必要であり、決して使い勝手が良い兵器ではなかった。だが、アーティラリーはそれを補って余りある利点を持っている。リックはそう信じて、この兵器の開発を続行させたのだった。
アーティラリー0~9は城門を抜け、シュタインズベルクの北方に配置された。首都守備兵力の一部が専門訓練を受けて砲術班へと任務変更を済ませていた。訓練通り、かれらはアーティラリーの砲撃準備に入った。火室で石炭を燃やし、ボイラーの水を沸騰させる。水蒸気の圧力が高まると、徐々にシリンダー内のピストンが圧縮され始めて、ゲージが規定値に届いたところで砲撃の態勢が整うという具合だ。かれらの前方、第三陣地では第一軍団、第七師団が大公国の首都を護るべく死闘を続けている。砲術班兵士たちの顔に緊張感がみなぎった。
帝国軍側は大型の投石器をなんと五〇基も用意し、射程に入り次第、自軍第四軍団、第五軍団の後方から首都攻撃を開始する予定だった。しかし最大射程距離である三〇〇メートルにはまだ遠く、移動を急いでいるというのが現状であった。
まもなくアーティラリーの発射準備が整うというところで、ローライシュタイン大公国君主エリーゼが甲冑姿で前線に現れた。兵士たちはどよめきを発した。君主が国家存亡の危機に際して、直接指揮を執るために戦場へと足を運んだのだ。現場の士気は大いに盛り上がった。エリーゼは弟がいる司令部テントへ入り、現在の戦況報告を聞いた。決して予断を許さない状況であると知り、エリーゼの表情に険しさが増した。そこへ伝令が入っていた。
「ジェネラル閣下、アーティラリーの発射準備が完了しました!」
リックとエリーゼはすぐにアーティラリーの配備場所へ移動した。そこではレスペル・ブレート博士が砲手専用の椅子に座り、照準器を覗きつつ実戦最初の一撃をいつ撃ち出そうかと震えながら引き金に指をかけていた。だが、二人の姿を見ると、立ち上がり不動の姿勢で右手を九〇度に掲げて敬礼した。
「ブレート博士、ご苦労だった。発射準備が整ったと聞いたが ───」
「はい。ジェネラル閣下、いつでも砲撃可能です。わたしはこの瞬間が来ることを永年待ち続けていました。閣下がわたしの話を聞いてくださったおかげで、そのご恩返しができる。感無量です」
リックは無言で幾度もうなずいた。ここへ到達するまで何度試行錯誤をくり返したことか・・・。
「ブレート博士、第一撃の号令は君主エリーゼ・ローライシュタイン大公閣下が発する。引き金は貴殿が引いてくれ」
「はっ、承知いたしました!」
ブレート博士は再びアーティラリー0の砲手として椅子に腰掛けた。
「姉上!」
リックは姉エリーゼに目くばせした。
エリーゼは同意すると、よく通る声で号令をかけた。
「アーティラリー全基、砲撃開始!」
ドーンという圧縮空気が一気に開放された炸裂音、続いてピストンが猛スピードで前進し、独特の金属音を鳴り響かせた。アーティラリーは直径五〇〇ミリ、数一〇キロにもおよぶ徹甲弾を投石器とは比較にならない速度で撃ち出した。そして数秒後には帝国軍の投石器を木っ端微塵に粉砕したのである。恐るべき威力であった。全弾が命中した。照準器で目標を捕捉すれば、確実に命中させることができる。その点もどこへ飛ぶのやらはっきり分からない投石器とは一線を画していた。
ブレート博士が各アーティラリーの砲術班に指示を出した。
「仰角、左右調整、急げッ!」
砲術班が次の目標を定めた後、複数名で砲身調整用クランクシャフトを回す。歯車の噛み合う音がして、砲の角度が上下左右に再調整された。徹甲弾を人力クレーンで吊り上げてチェンバーに装填。準備でき次第、アーティラリーは次々と砲撃を再開した。
数時間の一方的なアウトレンジ攻撃により、帝国軍の投石器部隊は全滅し、これによってシュタインズベルクが攻城戦の舞台になることだけは当面避けられた。しかしアーティラリーの真骨頂が発揮されたのはこの後である。
「炸裂弾、装填せよ!」
ブレート博士の命令が再度下った。
炸裂弾とは弾内を空洞にした上でそこにオイルを満たし、着地した瞬間、発火する仕掛けを持たせたものである。弾にはあらかじめ切れ目が入れられており、地面に激突した衝撃で飛び散るような構造になっている。徹甲弾は構造物には効果的だが、対人用としては効果が薄い。それを改善して、対物、対人、いずれにおいても威力を発揮できる新型兵器がここに誕生した。
炸裂弾はおもに帝国軍の後方増援に向けて放たれた。敵味方が入り乱れている前線に攻撃をかければ、味方までも巻き添えにしてしまう恐れがあるからだ。すさまじい炸裂音とともに一撃で直径一〇メートルほどを火の海にする炸裂弾の心理的、物理的な効果は絶大といえた。
自分たちには想像もつかない未知の兵器によって、五〇基もの投石器部隊が全滅させられ、さらには金属破片と炎とで周囲の同僚が一瞬にしてなぎ倒されるその破壊力に帝国軍兵士たちは肝をつぶした。アーティラリーの射程である一キロメートルをはるかに越えて帝国軍は後方へと撤退した。そのようすを望遠鏡で観測後、リックはブレート博士と固い握手を交わした。
六月二三日、一日遅れで前線部隊一時後退の報告を聞いたハルツ・フェルドナー帝国軍参謀総長は渋い表情を示した。トントンと指で机上の作戦地図を指してから、状況報告に訪れた第四、第五軍団の作戦参謀らに対して質問を投げかけた。
「それで、第四軍団、第五軍団の将兵はなにを恐れているのかね?」
「はっ、ローライシュタイン大公国軍か繰り出した新型兵器の威力に圧倒された次第です」
「その新型兵器とやらは火の玉を撃ち出すと聞いたが、その玉は城ぐらいの大きさがあるのかな?」
「まさか! 直径五〇〇ミリほどの玉が落ちた瞬間、炸裂して燃え上がり、一〇メートルもの範囲を炎で包み込んで兵士たちを焼き尽くすのです」
「ほう、すると帝国軍将兵はたった直径一〇メートルの炎に恐れをなして逃げ出したと、こういうことかね?」
「ですが、その攻撃はやむことなく続くのです。五〇基の投石器は全て破壊され、兵士たちは為すすべもなく、炎に焼かれました」
参謀総長はやれやれというしぐさを見せたのち、言葉をつないだ。
「戦争に不測の事態は付き物だ。大公国軍が新型の極めて高性能な改良型投石器を極秘に開発していたとしても何も驚くことはない。我が軍は攻城戦兵器を失ったが、持ち駒の一つを喪失したにすぎない。その程度で戦局は左右されないと断言しよう。いいか、兵力は我々が三倍の優位を保っているのだ。全軍、密集隊形から散開隊形に切り替え、シュタインズベルクを半包囲、敵軍と交戦に入れ。敵味方が入り乱れてしまえば、新型兵器もお手上げだ」
フェルドナー参謀総長はやはり百戦錬磨の古強者であった。戦況を冷静に観察し、打つべき手を的確に打つその力は運や偶然と無縁のものであった。
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