第二二章 首都シュタインズベルク防衛戦
ローライシュタイン大公国東部、第二陣地、六月一四日から一九日にかけてのローライシュタイン大公国軍第一軍団の戦いは軍団史上もっとも苦しいものだった。実質的に二個師団相当の戦力である第一軍団に対して敵の帝国軍は完全装備の六個師団。陣地に立てこもって戦える分、防御側は有利だが、それでも三倍の兵力相手は厳しい。しかも帝国軍側は相手を押しつぶす作戦を取っていた。
大公国軍の陣地を一つ奪取したところでその攻撃部隊は進撃を休止し、隣り合った味方が同様に一段前進するまでその場に踏みとどまって戦いを継続する。一部の部隊が突出することは参謀総長命令によって厳に禁止されていた。
全戦線が平らにそろったところで、再び進撃を再開。この攻撃方法は時間こそ要するものの、まったく隙がなく、戦力比の通りに結果が出るという特徴を持っていた。加えて、兵力が劣る相手側には反撃の余地がない。じわじわと、そして確実にローライシュタイン大公国軍は追い詰められつつあった(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図5参照)。
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六月二〇日、大公国軍司令官ザイドリック・ローライシュタインは反撃のタイミングを決定できないでいた。このままでは第一軍団が崩壊・消滅してしまう。だが最後の切り札、第七師団の投入は時期尚早に思えた。
────第三陣地まで持ちこたえてくれ。そうすれば、“あれ”を投入できる。
そのとき、リックの元へ第七師団長ユリエッタ・バイヤーオベルンが予告もなく現れた。
「ジェネラル閣下、意見具申をお許しください ───」
リックは頷き、ユリエッタの提案に耳を傾けることにした。
「今のまま戦いを継続すれば、数日中に第一軍団は崩壊します。すでにかれらは全戦闘員の三割を喪失、通常であれば、壊滅状態に陥るところを祖国防衛の意志だけで戦っている状態です。ジェネラル閣下が何か策をお持ちであれば別ですが、そうでなければ第一軍団を第三陣地まで後退させてください」
リックは応じた。
「第三陣地まで後退するという計画はすでに立ててある。だが、帝国軍の戦術が想定外だったことから、後退のタイミングを読めなくなってしまったのだ」
「といいますと?」
「うむ。敵は全戦線に等しく圧力を加える戦術を取った。通常の戦役のように戦線毎に強弱があれば、弱い圧力しかかかっていない部隊を先行して後退させることも、強い圧力がかかっている部隊を戦略的に後退させて、後手からの逆襲をねらうこともできる。しかし今回の場合、全戦線が同じ圧力にさらされているので、後退できる部隊を抽出できないのだ。この状態で一斉に後退すれば、敵はその機会を逃さず追撃をかけてくるに違いない。そうなれば、もはや後退ではすまなくなる。敗走だ。第一軍団は崩壊し、第七師団は戦わずして包囲されることだろう。
第一陣地から第二陣地への後退は比較的うまくいった。だが、あのときは戦線が長く、敵の密度は今よりも薄かったので、なんとか対処できた。しかし今や敵はこちらの動きを学習し、徹底した消耗戦を仕掛けてきている。対応方法は・・・・まだ思いつかない」
「わたしに対応策があります」
ユリエッタは即答した。
「第七師団を遊撃部隊として使うのです」
「遊撃部隊?」
「はい。第一軍団を一斉に後退させれば、敵は追撃を開始すると先ほどおっしゃいましたね。そこへ第七師団が縦横無尽に攻撃をかけたらどうなりますか? きっと帝国軍は予想外の事態に混乱するはずです」
「なるほど。遊撃部隊という発想はなかった。陣地戦を続けていたせいで、戦術の固定観念に取りつかれていたらしい。ユリエッタのおかげで目の前の霧を払拭することができた。ありがとう」
リックの心からの礼に対して、ユリエッタはニコッと微笑み、返事とした。
────こんな状況で的確な判断ができる。
リックはユリエッタにアーヤと同じなにかを感じていた。
六月二一日、状況は切迫している。すぐに対処する必要があった。リックは第一軍団に伝令を送った。第一軍団の各師団を同時に後退させるといっても、遊撃部隊を務める第七師団の戦力には限りがあるので、実際には数刻程度の時間差を必要とする。綿密な計画に基づかなければ、帝国軍の追撃を受けて第一軍団は第三陣地に移動する途中で壊滅してしまうことだろう。
実戦の用兵は参謀長を務めるクライストが担当した。この老参謀長は大公国存亡の危機において、すばらしい仕事をした。第一軍団麾下の各師団に連絡員を送り、情勢の変化を逐一報告させた上で、どの師団が先に後退すべきか的確に判断したのである。そしてその結果を伝令を通じて即第七師団に伝えた。
最初は右翼の師団から後退を始めた。すかさず帝国軍第五軍団が追撃を開始する。だが、戦闘陣形から行軍陣形に変化した瞬間を見逃さず、大公国軍第七師団が急襲をかけた。当初、帝国軍はなにが起きたのか分からない状態だった。威力偵察時には存在しなかった敵部隊が攻撃を仕掛けてきて、応戦しようとまた戦闘陣形に戻ったころには退却している。その間に第一軍団右翼の師団は無事第三陣地へと辿り着くことができた。
続いて、大公国軍第一軍団中央の師団が時間差を計算しながら後退を開始した。ここはもっと対応が容易だった。なぜなら、作戦図面を見れば分かるとおり、帝国軍側はこの場所を自軍の第四軍団、第五軍団の作戦境界線と定めていたからである。第四軍団と第五軍団どちらが先行するかで揉めているうちに、ユリエッタ率いる大公国軍第七師団が到着した。
ユリエッタの先読み能力はこのとき如何なく発揮された。敵軍の機先を制してこれを叩く、反撃を受ける一歩手前で撤退する。第四軍団と第五軍団の連携は極めて悪く、みすみす敵を目の当たりにしながら、くだらない主導権争いに終始して大公国軍第一軍団の後退を許してしまった。のちに、帝国軍上層部はこれを三ヶ国連合軍の弊害であったと認めた。
最後に左翼の師団が後退の態勢を取った。帝国軍はこれまでの失敗を学習し、敵軍後退の挙をつかんだ瞬間、一斉攻撃を開始した。これでは後退は不可能である。そこへ大公国軍第七師団のうち、最強の戦闘力を誇るラドム・ゼン連隊長の騎兵連隊が側面から襲いかかった。
帝国軍に対して怨み骨髄のラドム・ゼンはこの一瞬を一日千秋の思いで待っていた。当初、第一軍団に所属して最前線で戦いたいという希望をジェネラルに伝えたのだが、大公国最後の切り札として最終局面で活躍してほしいと懇願され、それを受け入れたという経緯があった。
だからこそ今、思う存分戦斧を振るうことができるのは幸甚の極み。ラドム・ゼンとかつてのバイヤーオベルン大公国近衛騎士団は猛然と帝国軍第四軍団に斬り込み、獅子奮迅の戦いを見せた。その凄まじいまでの勢いに圧倒されて、この戦役で初めて帝国軍が退却した。深追いをするなとユリエッタ・バイヤーオベルン師団長に命じられていたので、ラドム・ゼンは渋々追撃をあきらめた。局地的とはいえ大公国軍の快勝だった。大公国軍第一軍団左翼の師団も無事に第三陣地への後退を果たした。
六月二二日、麾下の戦力が首都近郊の第三陣地へ全て移動したところを見計らって、ローライシュタイン大公国軍は部隊の再編成を行った。消耗し切って、実質的に一個師団強の戦力に低下していた第一軍団を二個師団に編成し直し、第七師団の左右に配置した。この三個師団で首都シュタインズベルク防衛の任務に就くのである(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図6参照)。
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同日午後、首都の城壁に建てられた尖塔で警戒を続けていた観測班からリックの元へ凶報が届けられた。帝国軍が攻城戦を想定して、投石器を多数移動させているとのことであった。近づくにつれて、それは巻き上げ機を使わず、重りの移動によってシーソーの原理で石を飛ばす大型の投石器であることが判明した。
「ついに“あれ”を使うときが来たか」
リックは最後の大勝負に出ることを決断した。
「砲術班、アーティラリー稼動の準備に入れ!」
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