第二一章 ターニングポイント

 その瞬間のことだった。観念したはずの“獲物”が突然ヴァイクスの懐に飛び込んできた。

「チィッ! 無駄なあがきを ───」

 ヴァイクスは剣を逆手に握り直し、獲物を串刺しにしようと力を込めた。だれもがアーヤの行動を最後の虚しい抵抗と感じていた。

「オオゥ・・あっ、ああぁ・・・」

 何の前触れもなくヴァイクスがうめき声を発し、突如その背中から刃の先端が突き出してきた。それは胸部と腹部の鎧、その隙間から突き入れられて背中まで達した短剣の刃だった。二人が離れたとき、両軍の将兵はアーヤの斬り落とされたはずの手がガントレットの断面から“生えて”いることに気付いた。

 巨体がズウンという音を立てて己の血で染まった地面に倒れ伏した。

「・・・なっ、なぜ・・だ?」

 横目で見上げながらヴァイクスはアーヤに問うた。

「わたしが剣とガントレットを紐で結んだ理由。それは最後の局面で事前に剣を落とさないための仕掛けが必要だったのです。

 戦闘教官としてのあなたの特徴は相手の利き腕、とくに手首をねらうこと、それをわたしは軍事交流の一環であなたと手合わせした大公国軍将校二名から前もって聞いていました。ならば、わたしの手を刎ねれば、油断するはず。

 それと、大きめの甲冑を着た理由。それは内部に短剣を忍ばせるため、そして最後の局面でガントレットから手を抜きやすくするためです」

「・・な、なるほど。わしの予想は・・・当たっていなかったというわけか。フフフ・・・見事だ。実に見事である。このわしと正面から戦い・・・・勝利したのはおまえが二人目だ」

 そこまで語ると、ヴァイクスは帝国軍将兵に伝わるよう声を上げた。

「このデュエル、アーヤ・エアリーズの勝利と認める。帝国軍兵士は覚書に基づき、誇りをもってそれを履行するよう命令ずる ───」

 そこまで言うと、ヴァイクスは目をつぶり、そのまま動かなくなった。

「将軍!!」

「アーヤァァ───!」

「師団長ォォ─────!」

 両軍の兵士たちが一斉に駆け出してきた。ヴァイクス将軍の体は数名の帝国軍兵士たちによって担ぎ上げられ、そのまま運ばれていった。

 一方、アーヤは壮絶な戦いを終えて安堵したせいか、急に気力を失い、その場に座り込んでしまった。

「師団長!」「アーヤッ!」

 ドーラ、ラフィーを始め、数え切れぬほどの兵士たちが次々と駆け寄ってきて、アーヤを助け起こした。持てる力を全て投じて勝ち取った停戦条件、しかしそれは同時にアーヤを疲れ果てた老婆のような姿に変えていた。

 大公国軍兵士たちに抱きかかえられながら、旧中央広場跡地を去っていくアーヤの後姿にだれからともなく拍手が沸いた。それはおもに帝国軍側からだった。拍手はどんどん大きくなり、最後はスタンディングオベーションとなって、“闘技場”全体を包み込み、アーヤの退場まで続いた。

 大公国軍兵士たち最後の一団が立ち去ろうとしたとき、軍医の出で立ちをした帝国軍将校が把手付きの木箱を持って近づいてきた。将校は木箱を差し出して、

「医薬品一式だ。おまえたちの偉大な指揮官を治療してやれ。おれは今日この戦いの目撃者となれたことを生涯誇りに思うことだろう。それほどの名勝負だったのだ」

 それだけ伝えると戻っていった。


 第六師団の将兵たちはアーヤをまるで宝石を扱うかのごとく大事に師団長室の簡易ベッドへと運び込んだ。続いて、帝国軍から進呈された医薬品が到着した。あとは軍医の仕事だった。

「いいか、診断結果は包み隠さず、すぐに報告しろよ。あたしたちは部屋の外で待機しているから」

 ドーラの鬼の形相に威圧されつつも、軍医は外科医として完璧な仕事をした。甲冑を脱がせてその体を看た結果、腹部は内出血しているものの打撲で済み、その他の外傷も身体上に致命的なものはないとの診断に落ち着いた。呼び寄せられて再入室したドーラ、ラフィーを始めとした将兵たちは包帯でぐるぐる巻きになったアーヤの姿を見て一瞬ギョッとしたが、軍医の説明を聞いて皆、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、左頬の斬り傷は別だった。それは骨にまで達しており、治ったとしても傷痕が残るであろうと軍医は正直に告げた。

 アーヤは黙って聞いていたが、まもなくニコリと微笑んだ。

「この戦いの記念をもらったと思えばいいの。騎士の勲章よ」

 言葉と裏腹に哀しげな表情を見せたことから、一同はいたたまれなくなり、いったん全員退室することにした。


 六月二四日夕刻、旧中央広場跡地。帝国軍補給部隊の兵士たちがいくつも大きな釜に火をくべ、スープを作っていた。そしてその後方には続々とライ麦パン、干し肉などが満載されたトレイが積み重ねられた。それは大公国軍第六師団の将兵たち全員に配付してもまだ余るほどのとてつもない分量だった。これだけの補給物資を即時提供できるところに帝国の底力が感じられた。

 おいしそうな匂いに釣られて、お腹を空かせた第六師団の兵士たちが手にカップを持って集まってきた。煮立つ釜の前で個々に整列したが、なにを躊躇しているのか、あと一歩が踏み出せないように見受けられた。

「うん、どうした? 食事の準備はできているぞ」

 怪訝な顔で補給部隊を統括する将校が声をかけた。しかし大公国の兵士たちは互いに顔を見合わせている。ここに至り、その帝国軍将校はかれらがとまどう理由を察した。

「毒などは入っていない。信用しないのなら、おれがその証拠を見せてやろう」

 将校はその場で補給部隊兵士にスープを飲み、パンを一切れかじるよう命じた。さらに本人が同じことを目前でやって見せた。

「おれたち補給部隊はもし上官から食事に毒を入れろと命じられても全員で拒否するつもりだった。あの戦いを汚すやつはたとえ上官でも許さない。もっとも、そんな恥ずべき命令は出なかったが」

「さあ、どんどん食ってくれ。おかわりがほしけりゃいくらでも用意する。パンも干し肉も好きなだけ持っていくといい」

 その言葉に安心したか、大公国の兵士たちは歓声を上げて、帝国軍から食事を受け取った。わずか一日前までは命のやり取りをしていた相手だったというのに、このときばかりはまるで友人知人のような間柄になって歓談し、食事を取った。時間に過ぎるにつれて両者の垣根はますます低くなり、軽口まで言い合うようになった。

「おまえら、あの女の師団長を大事にしろよ。ありゃ、帝国軍のおれが見た中でも最高の指揮官だ。おれが部下なら、一生ついていくよ ───」

「当たりめえだ! おれたちの姫さまはな、すごいお方なんだ。統率力も戦闘力も他の比じゃねえ。おまえらの手には絶対渡さねーからよ」

 第六師団の兵士たちはいつの間にか、アーヤを「姫さま」と呼ぶようになっていた。それを知ったアーヤは後に、「姫」などと呼ばないよう命じたが、隠れて彼らはその後もずっと「姫さま」と呼び続けた。


 帝国軍から受け取った食事を師団長に届けようと、司令部付きの将校がアーヤの部屋を訪ねた。アーヤはベッドで眠っていた。起こしてはいけないと、将校は食事を机に置いて退室した。

 アーヤは消耗し切っていた。包囲されて丸一〇日。七日目からは満足な食事を取ることもできなかった。その間、師団を統率し、前線で後退戦を指揮、各方面の作戦立案、想定外の事態への対処、そして生命を懸けたデュエルへの参戦等々。人間の能力の限界をはるかに超えた過負荷がアーヤの心身を蝕んでいた。アーヤは疲れ果てて、静かに息を引き取ろうとしていた。

 そのときだった。アーヤの脳裏に大好きなリックの顔が浮かんだ。ハッとアーヤは目を覚ました。もう深夜になっていた。体の節々が痛んで、まともに動かない。ランプの炎に照らされて、テーブルに冷めたスープとパン、干し肉等が置いてあることに気付いた。

────食べなきゃ・・・

 いっこうに食欲はわかなかったが、ここで食事を取らなければたぶん死ぬ、そんな直感があった。むりやりスープでパンと干し肉を胃に流し込んだ。再びベッドに横になり、それからアーヤはぐっすりと深い眠りについた。


 六月二五日早朝、壁に下げられた懐中時計が六時を指した。司令部付き将校が夕食を持ち込んでから一二時間が経過。しかし師団長室には何の気配も感じられなかった。疲れて眠っているのだろうと判断してだれもアーヤ起こそうとはしなかった。一五時間経過、さすがに皆、おかしいのではないかとザワつき始めた。

 一九時間経過、ここに来て飛び込んできた重大な連絡事項のために、やむをえず司令部の将校全員がノックの後、師団長室に入った。アーヤはベッドに起き上がって、包帯を解いていた。炯々と輝く瞳、凛々しい表情、なにより、その心身には生気がみなぎっていた。六月二五日一三時、治療より二四時間を経て、アーヤ・エアリーズは甦ったのだ。

 アーヤの回復を喜び、将校たちは昼ごろ、大型複合弓で届けられた暗号文の解読結果を報告した。そこにはこう書かれていた。


 六月二六日午後、ローライシュタイン大公国軍第七師団はダーグナスリイト要塞に包囲された第六師団の救出作戦を敢行する。


ローライシュタイン大公国軍司令官ザイドリック・ローライシュタイン

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