第二〇章 師団長VS軍団長

 六月二三日夜、第六師団司令部に戻る途上、随行した大隊長がアーヤに告げた。

「ヴァイクス将軍は帝都ジースナッハで戦闘教官を務めるほどの強者(つわもの)です。よほど用心しないと ───」

「戦闘教官?」

 アーヤはここで一つの閃きを得た。そして司令部に帰還後、麾下の全将兵にデュエルの実施とその条件内容を伝えたのだった。当然異論が上がったが、アーヤはそれをいっさい受け付けなかった。と同時に、ある事柄について即時確認するよう部下に指示を出した。

 師団司令部に大隊長たちが集まってきた。かれらは口々に無謀な戦いだと告げた。覚書を交わした以上、デュエルの実施は避けられない。だが、ここでアーヤを失うわけにはいかない。それが大隊長たちの一致した意見だった。

「死ににいくのではありません。わたしは第六師団を生かすため、必須の戦いに赴くのです」

 この絶望的な状況下において、アーヤはまだ最後の可能性を信じていた。大隊長たち全員が勇気付けられた。

「師団長、あなたには何度も助けられてきました。もうなにも言いません。ですが、一つだけ。万一敗北が避けられなくなったら、その時点で降伏を選択してください。ここで死ぬ必要はない。あなたはローライシュタイン大公国にとって絶対に不可欠なひとだ。降伏を選んで、不平をもらす者など一人もおりません」

 アーヤは静かにうなずいた。

 大隊長たちが持っていた包みを広げた。そこにはパンや干し肉の欠片が一掴み入っていた。

「師団の将兵たちが自主的に寄付したものです。こんな少ししか集まらず申し訳ありません。どうかこれで少しでも英気を養ってください」

 アーヤは感動で胸がいっぱいになった。飢餓に瀕して皆が苦しむ中、まだこんなにも純粋な気持ちが残っている。

「ありがとう。後でいただきます。皆にアーヤが感謝していたと伝えてください」

 それだけ言うのがやっとだった。


 野戦病院では瀕死のドーラが乾いた息をついていた。その瞳は血に染まり、なにも見えなくなっていた。

「ア、アーヤが、あの・・憧れのアーヤが・・・あたしのことを・・“愛してる”って・・・言ってくれたんだ。死ぬわけにいかない。いや、このあたしが死ぬはずがない!」

 ドーラの体から異様な霊気が立ち上りはじめた。それはまだまだ弱いものだったが、着実にドーラの体を癒していた。

 ドーラの最期を看取るよう軍医に促されていたことを思い出したアーヤは初更、野戦病院を訪ねた。そこではドーラがかすかな寝息とともに睡眠を取っていた。それはどう見ても今際のきわにある者の寝顔ではなかった。いぶかしく思い、近くにいた軍医に看させたところ、驚くべき診断結果が示された。

 ドーラの体は回復基調にあった。折れた左脚だけはまだまだ不完全な状態で添え木を必要としたが、体の傷は順調に回復に向かっていた。なぜ瀕死の状態からここまで治癒が進んだのか、専門家にも分からなかったが、とにかくドーラは危篤状態を脱した。ここ最近暗い話題ばかりだった第六師団にとって、それは唯一ともいえる明るい希望だった。


 六月二四日(包囲一〇日目)正午前、ダーグナスリイト南部、旧中央広場跡地。そこは帝国軍とローライシュタイン大公国軍が主導権争いの結果、何度も奪い合いをくり返したいわくつきの場所であった。周囲は瓦礫に囲まれており、まさしく簡易型闘技場の仕様、すでに彼我の将兵が立錐の隙もないほどに集まってきており、一大剣闘大会の様相を呈していた。

 いよいよあとわずかでデュエルが始まる。それは第六師団、否、ローライシュタイン大公国の未来さえも左右するほどに重要な一戦といえた。

 “観客”の中には介助された状態でラフィー、ドーラも混じっていた。ドーラは杖をついていた。本来であれば、絶対安静が必要な二人だったが、この一戦だけはどうしても直に確かめさせてほしいという達ての願いが聞き入れられて、中央広場へと連れられてきたのであった。

 ラフィーは胸元に手を置き、アーヤの勝利を神に祈った。そこには軍用ナイフが仕込まれていた。もし万が一アーヤが死ぬようなことがあれば、ナイフで首を掻き切り自害するつもりだった。

────アーヤのいない世界に何の未練がある? アーヤ、死ぬときはいっしょだよ。

 ひときわ大きな歓声が“闘技場”に響いた。帝国軍屈指の戦士ハイリーコフ・ヴァイクス将軍が南から姿を現したのだ。その威容は見た者全てを圧倒するほどだった。巨躯を完璧に覆う重装甲の鎧、肩当てには帝国軍の十字紋章が象られ、ガントレット(籠手)、ヘルメット(兜)も並みのものとは造りが違っていた。加えて、その剣はドーラが使うアンブレイカブルと同様、戦場で折れないよう特別な厚みが持たされていた。

「クッ、本来ならあたしが出るべきだったんだ。あたしなら、あいつと戦っても体力負けしない。でも、こんな体じゃ・・・」

 ドーラが悔しそうに唇を噛んだ。

 少し遅れて、今度は北側でローライシュタイン大公国軍兵士の歓声が上がった。アーヤが登場したのだ。同軍将兵の切なる希望を胸に無言で歩くアーヤの姿を見た兵士たちの一部にざわめきが起こった。アーヤはいつもと同様の甲冑姿、だが、上半身の鎧が心持ち大きく見える。そしてなにより、手に持つ剣はガントレットに紐でくくり付けられていたのだ。これは決して降伏しないというサインに思えた。それだけ悲壮な覚悟を内に秘めたと言うこともできる。


 両者は“闘技場”中央で対峙した。その様はまるで大人と子供。ブックメーカーがいたら、こんな賭けは成立しないと嘆くほどの歴然たるウェイト差があった。

 ヴァイクス将軍は戦闘教官という職業を通じて、アーヤの出で立ちを観察した。

────ふむ、上半身の鎧がやや大きい。つまり間に緩衝材を入れて、わしの攻撃に可能な限り耐えるという戦術か。それとガントレットにくくり付けられた剣、あれは有効な手だ。戦場で剣を落とせば即敗北につながる。こいつは死ぬまで戦うつもりだ。フフフ・・・そうでなくてはつまらぬ。フェルドナー参謀総長が警戒するこいつの力量を殺す瞬間まで味わわねば。

「良い覚悟だ。部下たちに看取られながら死ねる、最高の舞台ではないか」

 ヴァイクスの挑発にアーヤは乗らなかった。ただ、ジロリと見返しただけだった。

「ふふん、無反応か。まあいい。せいぜい時間を稼いで、少しでも長生きできるといいな」

 ヴァイクスはヘルメットのカバーを閉め、剣を構えた。アーヤも同じく反応した。

 そのとき、ちょうど瓦礫の一角が崩落した。それが合図だった。

 アーヤが先に仕掛けた。目にもとまらぬ速さで相手の懐に飛び込み、突きを見舞ったのだ。それは正確に喉を狙っていた。いかに重装甲の鎧でも人間の急所を完璧にガードすることはできない。

「ぬうっ!」

 ヴァイクスはバックステップでこれをかわした。しかしすぐに第二撃が来る。またも喉だった。

────こ、こいつ! やりおる・・・

 たかが小娘と舐めていたヴァイクスは守勢一方となり、再び後退して態勢を立て直した。両者はお互いの間合いを計りながら、剣先を動かした。

 今度はヴァイクスが先手を取った。両手保持の豪剣が水平にうなりを上げて、アーヤの胴体を襲った。見切りをつけてアーヤは後ろへ下がったが、そこでヴァイクスは攻撃中に急遽片手持ちに切り替えた。その分リーチが伸び、アーヤの甲冑を直撃した。途中で攻撃方法を変える変則技を使ったため、威力が半減したが、それでも甲冑の一部を破壊する力があった。裂け目から血が流れ落ちているのが視認できた。

 両軍からどよめきが起きた。

────戦闘教官と聞いていたけれど、基本ではなく応用を重視するタイプだ。これは手強い・・

 アーヤはヴァイクスの戦い方の癖を知ろうと必死だった。

 ヴァイクスが再び剣を両手で握った。今度は構えを小さくして、じりじりと間合いを詰め始めた。その足捌き、剣による威嚇・牽制、全てが計算し尽された巧みさだった。お互いに剣をぶつけ合い、少しずつポジションを変えていく。それが何度かくり返されているうちに、アーヤは自分が闘技場周囲の瓦礫側に追い詰められていると悟った。後退できる空間がなければ、アーヤのような小兵にはきつい。

 だが、もう手遅れだった。しかもアーヤが後退した瓦礫部分は90度の角度にへこんでおり、左右に逃げる余地はほとんどなかった。ここに追い詰めることを当初から狙っていたのだろう。仮面越しにヴァイクスの含み笑いが見えるようだった。

 瓦礫が九〇度に囲んでいる以上、水平の斬撃はない。そんなことをすれば、瓦礫に当たって剣が折れてしまうからだ。つまり、ヴァイクスの攻撃は上段から振り下ろされる可能性が高い。アーヤはそう認識したが、分かったからといって、この危機を乗り越えられる保証はどこにもないのだ。


 ヴァイクスは獲物を逃すまいと慎重に距離を詰めた。やはり上段に剣を構えた。

 ここまでの戦いでアーヤはヴァイクスが左利きのような剣の使い方をすると感じていた。覚書への署名の際、ペンの握りを観察していたが、それは右手だった。しかし剣の握り、動かし方はやや左側に偏っている。ならば、上段の剣は左から右に抜けるはず。それならヴァイクスにとっての左下に脱出するのが正答であると読んだ。

 タイミングを読み違えば、一撃でやられる。反撃の可能性などは当面考えず、まずはこの苦境を脱するのが先決だった。

 ヴァイクスの大剣が空気を裂きつつ振り切られた。間髪をいれず、アーヤは身をかがめ、瓦礫を蹴って脱出を図った。読んだとおり、ヴァイクスの左下には死角があった。一瞬の差で死を逃れたと思った矢先、アーヤは左頬に激しい衝撃を覚えた。間違いなく敵の剣の軌道を避けて、危機を脱したはずなのに、ヴァイクスの剣はアーヤのヘルメット左側面にヒットしてそれを貫通させ、アーヤの頬に深い傷を負わせた。

「ああっ、アーヤァアアァアァ───────!」

 思わずドーラが叫んだ。ラフィーは懐のナイフをぎゅっと握りしめた。

 ヘルメットが歪み、視界が悪化したため、アーヤはそれを脱ぎ捨てた。頬の傷はズキズキと痛んだ。確認はできないが、かなりの深手と感じた。

 しかし戦いはまだ続いている。振り向いたヴァイクスが余裕の口調で告げた。

「ほうっ、わしの渾身の一撃を紙一重で逃れるとはやるな。だが、なにが起きたのか分かるまい。おまえは何一つ理解できぬまま、ここで無残な死を迎えるのだ」

 アーヤは痛みを堪え、冷静になって考えた。

────確かに敵の剣は左から右へ振り下ろされた。それを読んで脱出したというのに、なぜ全く違う方向から剣が向かってきたのか。

 再びヴァイクスと対峙したアーヤはそこで先ほどの瓦礫付近の地面に注目した。

「あっ、あれは!」

 地面には極めて深い足跡が残されていた。ヴァイクスのものに相違ない。踏み込みの鋭さだけでは説明がつかない深さといえた。それほどまでに力を集中させなければならない剣撃・・・。

────敵は剣の軌道を変えることができる?

「んんっ? さすが若くして師団長を務めるだけあって、洞察力があるな」

 アーヤの顔色の変化を見て、ヴァイクスが応じた。

「そうだ。わしは戦闘中に剣の軌道を可変させられる。これをソードシフトと名づけた。おまえに見切る手段はなにもない」

 恐るべき技だった。アーヤの記憶の中にも戦闘中に剣の軌道を変えられる相手など一人として存在しなかった。しかし今はその敵と相対し、倒さなければならないのだ。

 ヴァイクスは再度、巧みな足さばきと間合いの取り方、そして牽制攻撃をくり返して、アーヤを外周の瓦礫面に追い詰めようと画策した。当然それを避けるべくアーヤは直線ではなく円運動をくり返して、なんとか闘技場中央付近で戦おうと努めたが、リーチの差、前進と後退の速度差のために、今度もまた瓦礫を背にするところまで追い詰められてしまった。そこの瓦礫は九〇度角ではなく、平面だったので前回よりは対応する余地を見つけやすかったが、それは同時にヴァイクスの攻撃にも制限がないという諸刃の剣であった。


 ここに来て、アーヤの考えはまとまった。闘技場中央である程度の時間戦えたことが大きかった。

──── 一か八か、“それ”ができないことに懸ける!

 ヴァイクスの動きが止まった。あきらかに致命の一撃を叩き込もうと隙を窺っているようすだった。

────次の攻撃と同時に動く。タイミングを見誤れば死だ。

 ヴァイクスが斜めに剣を振り下ろした。寸分狂わず同時に、アーヤは体を浮かせて背後の瓦礫に飛び移り、一息に跳躍した。身の動きのしなやかさは人のそれではなく、むしろネコ科の動物に似ていた。ヴァイクスの上空を飛び、剣でヘルメットに数度の斬撃を加えた。そして、敵の背後に着地。思ったとおり、ヴァイクスのソードシフトは上方には曲げられないらしかった。

 「キーン!」という鋭い金属音を響かせて、ヴァイクスのヘルメットがバラバラに斬り裂かれた。それだけではない。頭部に傷を負い、その血がヴァイクスの顔面に流れ出した。本人にとってはやっかいなことに、頭部の出血は簡単には止まらない。また、デュエルに負傷治療の時間は設けられていない。血が目に入って、ヴァイクスは視界不良に陥った。何度拭っても、数秒後にはまた同じになってしまうのだ。

 戦況は一転して、アーヤ有利となった。体格の違いで決定的なダメージは与えられないものの、アーヤの剣は着実にヴァイクスの体力を奪い、その一方でヴァイクスの攻撃はまるで当たらなくなった。視界が不十分ではソードシフトも使えない。やみくもに剣を振った結果、ヴァイクスは必携の武器を落としてしまった。


 だれもがアーヤの勝利を確信し、その剣がヴァイクスの脇腹付近の鎧を貫いた瞬間、「無法」は起こった。ヴァイクスがアーヤの剣をガントレットでつかむと同時に、なんともう一つの拳でアーヤの腹部を満身の力を込めて殴打したのだ。

 まったく予期しない打撃だった。アーヤの体はもんどり打って地面に落下、そのまま何度もバウンドしながら転がり、瓦礫にぶつかって止まった。

「なんだこれは! 卑怯だぞ!!」

 ローライシュタイン大公国軍の将兵が一斉に非難の声を上げた。他方、帝国軍兵士たちはみな下を向いてしまった。

「なにが卑怯だと言うのだ ───」

 ヴァイクス将軍が剣を拾いながら応じた。

「覚書の文言をよく読むがいい。“デュエルのルールは戦時法規の下、オクタゴンの規約を準用する。”と書かれておる。つまり戦争のルールが最上位にくるのだ。おまえらは戦場で剣のみにて戦うのか。剣を失えばそのまま退散するのか。違うだろう。剣がなければ石を持って戦う。石がなければ素手で戦う。それが戦争だ。きれい事が通用する世界ではない。わしはルールに則って戦っておる。非難される筋合いはない!」

 理屈は通っていた。しかしこれまでデュエルのルールを尊重して戦っていたものが突如として戦争に変化する。それはだれが見てもダブルスタンダード以外の何物でもなかった。事実、帝国軍兵士たちはしんと静まり返り、誰一人としてローライシュタイン大公国軍のクレームに反論しようとしなかった。

 周囲の冷たい視線をものともせず、ヴァイクスは剣を片手に倒れているアーヤの元へ向かった。ようやくアーヤはよろよろと立ち上がった。が、その体はいっこうに安定せず、先の殴打がどれほど大きなダメージを与えているのか、容易に予想がついた。それでもアーヤは必死に剣を構えた。あくまでも戦い続ける意思表示といえた。

「アーヤァ! やめろぉ。もう戦うな。降伏でいい。もういいんだ。十分すぎるほど戦ったじゃないか。あたしはアーヤを失いたくない!」

 ドーラが悲痛な叫びを上げた。ラフィーは懐のナイフをつかみ、“そのとき”に備えて覚悟を決めた。

「フフフ・・・まだ戦うつもりか。その意気やよし。だが、剣先が安定しておらぬぞ。それではわしを倒すのは不可能だ」

 玩弄するようにアーヤを見下し、ヴァイクスは剣を構えた。

────うむ。万全を期するべきだな。

 刃の向きを変えて、ヴァイクスは鋭い一閃で剣を持つアーヤの手首をガントレットごと斬り飛ばした。アーヤは抵抗する力を失ったのか、がくりと片膝をついた。ちょうど首を刎ねるに最適の条件が整った。

「トドメだぁ! 死ねェ──────ッ!!!」

 ヴァイクスは大きく振りかぶって、豪剣を力任せに叩きつけた。

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