第一九章 運命の歯車

 六月一七日の襲撃でドーラたちに破壊され、そのまま放置された投石器のうち、一基は装填済みだった。それは数日間「ギギギッ」と不気味な金属音を軋ませていたが、だれも気にしなかった。そして歪んだ歯車はついにその負荷に耐えられなくなり、バキンと音を立てて完全に砕け散った。その瞬間、最後の巨大な石が放出された。それは放物線を描きながら、ゆっくりダークナスリイト市街地へ飛んでいった。六月二三日夕刻のことだった。


 同時刻、ドーラは瓦礫に埋もれた市街地でなお奮戦中だった。敵兵が複数名で同時に攻撃をしかけてもドーラの愛剣アンブレイカブルはそれを物ともせず一撃で両断した。周りの帝国軍兵士たちは怖気づき、一定の距離を置いて取り囲むだけだった。そのとき、何の前触れもなく突然アンブレイカブルが真っ二つに折れた。

「なっ! 折れるはずがないアンブレイカブルが・・・・」

 思わず虚空を見上げた瞬間、ドーラは空中に浮かんだ巨大な石が間近に接近していることを知った。だが、自分にではなく、少し離れた場所で戦っているアーヤに対してだった。

「アーヤァァァアァ────!!!」

 ドーラの張り上げた声にアーヤはピクッと反応して、前を向き直した。目前に巨石が迫っていた。アーヤは死を覚悟した。

 石が直撃する寸前、黒い影がアーヤの前に飛び出した。それはアーヤを抱きしめて、傷一つ付けるものかと大事に抱え込んだ。ドーラだった。

 壊れた投石器が放った最後の石がドーラの体を直撃した。凄まじい衝撃と破壊力が、人間相手であれば無類無敵のドーラの肉体に致命の一撃を加えた。アーヤを抱きかかえたまま、ドーラは数十メートルも弾き飛ばされて大きな瓦礫にぶつかり、そこで止まった。

 ドーラに護られたアーヤですら、その衝撃には一時、気を失ったほどだった。やがてなんとか目覚めて、上半身を起こした。我に返って、ハッとドーラを見た。

 そこにはひしゃげた鎧とその隙間からドクドクと血が流れ出した無残なドーラの骸があった。とくに左脚はありえない角度に曲がっていた。

「あ・・ああっ・・ド、ドーラ・・・・」

 震える手でドーラのヘルメットを脱がした。頭部が割れて額に太い血の筋が伝っていた。口からも大量に吐血していた。そんな状態だというのに、ドーラは薄目を開いた。

「・・・ア、アーヤ・・・無事だったかい」

「う、うん、わたしはだいじょうぶ・・・この通り」

「そうかぁ・・・よかった。もうほとんど・・何も見えないんだ。でも声で・・・アーヤが元気だって分かる・・・」

「もういい。ドーラ、なにも話さないで。すぐに軍医に診せるから ───」

「・・・必要ない。自分の体は・・自分が一番分かってる」

「ドーラ・・・」

 アーヤは無二の親友の首を抱きしめた。

「・・・最後に一つだけ・・願いを聞いてほしい」

 か細くなってしまった声でドーラが告げた。

「ドーラ、愛してるって囁いてくれるか・・な?」

「いいわ、もちろんよ ───」

「・・・ドーラ、愛してる」

 その言葉を聞いて満足したのか、ドーラはガクッと首を直角に折り曲げた。

「ドーラッ、ドーラァアァァァ────!!!」

 ドーラの体にしがみついて泣くアーヤのそばに帝国軍兵士の一隊が迫った。

「ここで敵将の首を取れば、我々の勝ちだ」

 そう言いながら近づいてきた。

 すっくとアーヤは立ち上がった。その体からは名状しがたいオーラが立ち昇っていた。

「うううっ」

 殺気に呑まれて、敵は立ち往生した。ちょうどそこへ帝国軍の伝令が現れた。

「ヴァイクス将軍の命令書だ。全軍一時停戦せよとのこと、急げ!」

 帝国軍兵士はこれ幸いとその場の全員が逃げるように去っていった。

 味方が担架を持って駆け寄った。

「エアリーズ師団長! 騎兵連隊長を野戦病院にお運びいたします」

「えっ?」

 ドーラが戦死したと思っていたアーヤは怪訝な顔を見せた。

「まだ息があります。とりあえず軍医に診せましょう」

 アーヤは同意して野戦病院まで付き添った。しかし軍医の診立ては厳しいものだった。

「おそらく今夜が峠でしょう。もし親しいひとがいるのなら、できるだけ早く呼んであげてください」


 夕陽が落ちる頃、アーヤは悄然と師団長室へもどってきた。机の上にはパンがひと欠片だけ置いてあった。六月二一日(包囲七日目)に食料が底を突き、今では一つのパンを一〇名で分けるといった惨状を呈していた。兵士たちは飢餓に苦しみ、もはや第六師団の壊滅は時間の問題となっていた。できる限り帝国軍の兵力を引きつけて、首都シュタインズベルクの陥落を阻止する。そのつもりでここまで戦ってきたが、当初の目標を達成できたのか、確認するすべはなかった。ラフィーとドーラ、ここ数日の間に連隊長二名を失い、師団は満身創痍。継戦か降伏か、その決断はアーヤの細い肩にずしりとのしかかっていた。

 それに帝国軍が一時戦闘を停止したことも不可解だった。伝令は「ヴァイクス将軍の命令」と言っていたがどういうことだろうか。

 そこへ今度は第六師団の伝令が現れた。

「エアリーズ師団長! 帝国軍から一時的な停戦に伴う条件交渉の申し出がありました」


 アーヤは大隊長二名を随行させて、指定された南部最前線(旧中央広場跡地)へ向かった。そこにはすでに野戦テントが設営されていた。アーヤたちが到着すると、テント入口前で警備を担当していた帝国軍憲兵二名が姿勢を正し敬礼した。

 中に入るとテーブルの長辺側に椅子が二脚向かい合って置いてあった。部下に囲まれて向こう側に座っているのが第三軍団指揮官ヴァイクス将軍だった。椅子に腰掛けていても、その異様な体躯の大きさは一目で分かる。アーヤたちを見て立ち上がり、野太い声で自ら名乗った。

「わしが帝国軍第三軍団指揮官ハイリーコフ・ヴァイクスだ。お初にお目にかかる」

「ローライシュタイン大公国軍第六師団エアリーズ師団長です」

 アーヤもあいさつを返した。

────エアリーズ? どこかで聞いた名だ。はて、どこだったか?

 ヴァイクスは一瞬考え込んだが、すぐに切り換えた。

「こちらの求めに応じてくれたことに感謝する。まずは掛けていただこう」

 ヴァイクスの勧めに従い、アーヤは無言で椅子に座った。その両脇を大隊長が固めた。

「わしは今日までの貴軍の戦いをたいへん高く評価している。九日間も包囲された状態でここまで戦い抜くとは実に見事 ───」

「賞賛を伝えるためにわざわざ停戦してまで、わたしたちを呼んだのですか?」

 アーヤはそっけなく応えた。

「まあ、そう言うな。貴軍の奮闘に敬意を表して、ある提案をするつもりなのだ」

「提案?」

「そう。今のまま戦い続けていては両軍ともに消耗するばかりだ。しかも終わりがまったく見えない。実に無益だと思わんかな?」

「・・・・」

「そこでだ、お互いの指揮官同士がデュエルで決着をつけるというのはどうかと思ってな」


基本情報:

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 デュエルとは主にエルマグニア各国で行われる一対一の決闘を指す。その勝敗を判定するガイドラインは長らく整備させていなかったが、大陸暦九三二年に開催された第一回剣術大会オクタゴンにおいて、ようやく統一ルールが策定された。そして、それ以降、デュエルはオクタゴンのルールをベースにすることが多くなった。

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「デュエルで?」

 アーヤももちろんオクタゴンのルールは知っていた。それは軍人同士が訓練試合をする場合にも採用されるほど一般化しており、国によってローカルルールの違いはあっても、概ね同内容で実施されていた。一例を挙げるなら、武器は二本まで、甲冑の着用は自由、盾の使用も許されるが、使う場合は一つのみ、といった具合である。

「指揮官同士ということはヴァイクス将軍、あなたとわたしということで間違いありませんか?」

 ヴァイクスは首を縦に振った。

「師団長! こんな提案に乗る必要はありません。相手は帝国屈指の将軍ですよ」

 まさかこのような提案が出るとは露ほども思っておらず、あわてた部下の大隊長が必死で止めた。アーヤはそれを無視して会話を続けた。

「デュエルで勝った側がこの会戦の勝利者となる。そういう条件ですか?」

「それは少し違う」

「では、どういう条件を考えておられるのでしょうか?」

「これを見たまえ」

 将軍は一枚の紙を差し出した。そこには以下の内容が書かれていた。


 帝国軍第三軍団指揮官とローライシュタイン大公国軍第六師団指揮官とのデュエルに関する覚書


(1)上記両名はデュエルにて勝敗を決する。戦いは一方の死もしくは降伏によってのみ終了する。

デュエル開始日時は六月二四日正午。場所はダーグナスリイト南部、旧中央広場跡地。

デュエルのルールは戦時法規の下、オクタゴンの規約を準用する。

(2)帝国軍側が勝利した場合、ローライシュタイン大公国軍は即時無条件降伏を受け入れる。捕虜の扱いに関して帝国側は人道に則った配慮を行い、戦争終了後の講和、条件交渉等による本国への帰還についてはその完全な履行を約束する(戦争犯罪人は除く)。

(3)ローライシュタイン大公国軍が勝利した場合、帝国軍側は二四時間の停戦を受け入れ、同時に大公国軍全将兵に対して各々一食分に相当する糧食を無償で提供する。


以上


 だれが見ても不公平極まりない条件だった。しかし・・・アーヤは考えた。

────帝国側は一見、自分たちに都合のよい条件を羅列しているように見えて、その実この内容はかなり考えられている。双方の置かれている立場を俯瞰すれば、こちら側に対等条件を要求するカードがないことは明白だ。

 この申し出を蹴り、戦いを継続すれば、おそらくあと数日で第六師団は壊滅する。そうなれば、ほとんどの将兵が犬死するだろう。では、条件を受け入れてデュエルで戦い、わたしが負けた場合、どうなるのだろうか。第六師団の苦闘はそこで終わり、全員が捕虜になるも、運が味方すれば、帰国できる可能性も生まれる(国が残っていればだが)。

 最後の想定。デュエルで戦い、わたしが勝った場合、一時的に休戦して将兵を休ませることが可能であり、食料を配ることもできる。つまり、この諸条件は決して悪いものではない。

 アーヤが思索を巡らせていると、横から文面を覗き見た大隊長の一人が口をはさんだ。

「師団長、こんな条件など考慮する価値もない! 不公平そのものじゃないですか!」

「黙っていて!」

 めずらしくアーヤが声を荒らげて部下を叱り飛ばした。

「ヴァイクス将軍にお尋ねします。一食分の糧食とはどういうものでしょうか?」

「うん? それは補給担当の参謀から説明させよう」

 見るからに事務処理に長けたという風情の年配の参謀が糧食の内容を細かく解説した。曰く、ライ麦パン四〇〇グラム、バター五〇グラム、暖かいスープ一杯、干し肉三〇〇グラム等々。これは飢餓に瀕する第六師団将兵からすれば、喉から手が出るほど欲しいご馳走であった。

 暖かいスープをみんなに飲ませてあげたい。アーヤはそう思っていたので、その点はクリアとなった。

────あとは・・・十分な休息時間の確保だ。

「こちらの要望を伝えます。ローライシュタイン大公国軍が勝利した場合、二四時間の停戦とありますが、これを四八時間の停戦と変更してください」

「ああん? そんな条件は呑め・・・・うっ」

 不機嫌そうに拒否しようとしたヴァイクスはその刹那、アーヤが発した凄まじいばかりの眼光に圧倒された。

「拒絶するというのか。ならば第六師団は最後の一兵まで戦い抜く。この地ダーグナスリイトで一人でも多くの帝国軍兵士を道連れにして、ローライシュタイン大公国への最後の忠誠の証とする」

 その決意には寸分の迷いもなかった。だから、ヴァイクスは受け入れるしかなかった。

「・・・ま、まあ、いいだろう。それは貴官が勝った場合の条件だからな」

 ヴァイクスはアーヤが放った眼光に一瞬だが、凍りつくような恐怖を感じた。さらにいうなら、ここで条件交渉が決裂し、戦闘が再開された場合、ローライシュタイン大公国軍は指揮官が語ったとおり、間違いなく死ぬまで戦うと予想された。そうなれば、帝国軍側の戦死者数はうなぎ上りに上昇し、将兵を大量に無駄死にさせた無能な指揮官との烙印を押されることも必至だった。すなわち、この条件成立は双方の思惑が一致した末の結果だったのである。


 両軍はその場で覚書を二枚作成し、その両方にヴァイクスとアーヤがそれぞれ署名を書き入れた。このとき、ヴァイクスはアーヤのフルネームを初めて知った。

────アーヤ・エアリーズ? この名前は・・・

 ヴァイクスはやっとその名を思い出した。それはハルツ・フェルドナー参謀総長の元でローライシュタイン大公国へ侵攻する作戦案を検討したときのこと。三個軍団の指揮官を集めて、作戦の概要を伝えた参謀総長は最後に一つと前置きして、個人の所感を述べた。

「これは本作戦の遂行と無関係だが、聞いてもらいたい。ローライシュタイン大公国にはたいへんに優れた能力を持つ指揮官が一人いる。できれば捕虜として押さえ、最終的には我が軍に引き入れたい。だが、最後まで抵抗を続けた場合は・・・確実に排除せよ。あれは将来帝国の脅威となる可能性を秘めている」

「その者の名は?」

 第四軍団の指揮官が尋ねた。

「アーヤ・エアリーズ」

────そうだった。あのとき名前を聞いていたが、作戦指揮に追われて失念していた。しかしこのタイミングで思い出すとは・・・。よほど巡り合わせに運があるらしい。

 ヴァイクスは狂気の笑みを浮かべ、明日のデュエルに心を昂らせた。

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