第一七章 エルマグニア南北戦争勃発

 六月一〇日、帝国軍の主力が姿を現したとの伝令が司令部に伝えられた。その数は確認されただけで六個師団相当、しかもその後方にはさらなる予備兵力が展開中であるとの未確認情報が数時間後に加えられた。

────まずいな。

 リックは卓上の作戦地図を見て渋面を作った。正面部隊の戦力比は三対一、予備兵力も確実に相手のほうが上回っているだろう。縦深防御でどこまで持ちこたえられるのか。

 六月十一日、ついにローライシュタイン大公国東部で戦いの火蓋が切られた。帝国軍は帝都ジースナッハ、ベアヴォラーグ同盟、ラウスベイ大公国、三ヶ国の師団混成の第四軍団、第五軍団を戦線正面に据えて前進を開始した。これに対して、ローライシュタイン大公国軍第一軍団は構築した陣地で防御戦闘に入った。最初は弓兵部隊の一斉射、その後、両軍の歩兵がぶつかり合い、さらには帝国軍の騎兵部隊が堡塁へ突入してきた。

 戦線北方に陣取った帝国軍司令部でハルツ・フェルドナー参謀総長は作戦地図(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図2参照)を前に余裕の表情を浮かべた。

https://yahoo.jp/box/ZEW0OX

「フフフ・・・ さて、この状況でどこまで戦えるか見ものだな。ザイドリック・ローライシュタイン、アーヤ・エアリーズ ───」


 ローライシュタイン大公国軍にとって、それはまさしく国家の存亡をかけた戦いだった。この戦争に敗れれば国が消滅する。その現実を兵士のだれもが分かっていた。だから、死に物狂いで戦った。リックがあらかじめ準備した縦深防御は効果を発揮し、大公国軍第一軍団は土地を引き換えにしつつも敵軍に多大な損害を負わせながら、少しずつ秩序立った後退を続けた。


 六月一三日、ついにダークナスリイトにも帝国軍が押し寄せた。肩当ての紋章からそれは帝都ジースナッハで編成された第三軍団であると判明した。五月二七日に旧要塞に入城してから防備を固めていたので、並みの攻撃では突破されない自信がアーヤにはあった。

 敵がこの要塞を攻略しようとすれば、正面の橋を奪取するか、ロガフ川を舟艇で渡河するしかない。だが、見たところ敵軍に舟艇の準備はなく、正面攻撃以外に選択肢はありえなかった。事実、帝国軍は中隊単位で突撃を繰り返し、その度に城壁の弓兵に撃退されていた。

 最初はこちらの戦力を推し量るための威力偵察かと思ったが、徐々にアーヤはこの攻撃が不自然なほど力不足と認識するに至った。さらにいえば、要塞に立てこもる相手を攻略するのに同程度の戦力などありえないことから、これが別動隊による牽制攻撃であると悟った。

────主力部隊は別にいる。だが、どこから?


 六月一四日、ローライシュタイン大公国軍第一軍団は前もって構築した後方の第二陣地に移動した。帝国軍の圧力は強まる一方だった。リックは当初、帝国軍が一点突破の戦術をとり、楔形陣形でシュタインズベルクへなだれ込む作戦もあると踏んでいた。その場合、予備兵力の第七師団で敵軍の脆弱な側面を衝き、一気に情勢を挽回させることも不可能ではなかった。

 しかし帝国軍はその戦術を採らなかった。全戦線に渡って攻勢を維持し、味方を少しずつ前進させて、こちらの兵力を削ぎ落としていく。それはまさしくスチームローラーとでもいうべき極めて堅実な作戦だった。戦線に穴を開けない以上、戦力比の通り、戦いは推移していく。一発逆転の手段はない。これがハルツ・フェルドナーの戦法だった。リックは改めてこの老練な参謀総長の技量に舌を巻いた。

 それと同時に、帝国軍の予備兵力が西進しているとの報告も伝わってきた(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図3参照)。

https://yahoo.jp/box/r-2Ygg

 ついに首都攻略部隊を繰り出したかと最終決戦を覚悟したが、偵察からの情報では敵軍は西進を続けているとのこと。

 作戦地図に戦況を書き込んで、リックは「あっ!」と思わず声を出した。

「第六師団を包囲するつもりだ」


 それは非常に合理的な作戦だった。仮に帝国軍の予備兵力が南下して首都シュタインズベルク攻略をめざした場合、第六師団、第七師団から挟撃を受ける確率が高まる。つまり悪手である。だが、第六師団をダークナスリイトで包囲するのならどうか。もっとも機動力があり、かつ戦闘能力が高い第六師団をダークナスリイトに封じ込めて補給切れに追い込み、これを殲滅する。その後の首都攻略には第六師団を壊滅させた部隊も加わることができるので、絶対的な優位を築くことができる。まさしく軍事教本に記された戦力集中の原則を正しく運用した戦法であった。

 リックには二つの選択肢があった。第七師団を第六師団救出に向かわせるという選択。そしてもうひとつはこのまま第七師団を予備兵力として温存する選択である。前者を選択した場合、西方へ向かっている敵兵力との位置関係から第七師団のダークナスリイト到着は第六師団包囲後となる。敵兵力との戦力比を考えれば、第六師団救出にはかなりの時間と犠牲を要することだろう。その間に大公国の第一軍団が持ちこたえられなくなり崩壊すれば万事休すである。首都を占領されたローライシュタイン大公国は降伏を余儀なくされる。

 では、後者を選択した場合はどうか。第六師団はダークナスリイトで包囲されて補給切れに陥り、困難な戦いに挑まざるをえなくなるだろう。しかし大公国は最後の予備兵力である第七師団を温存したまま首都近郊の第三陣地へ後退することが可能となる。第六師団を包囲している敵兵力は首都攻略戦に参加できない。この状態で最後の反撃を行えば、まだ望みがある。

 だが・・・・

 リックの脳裏に家族、そしてアーヤ、ユリエッタ、その他の仲間たちの顔が浮かんでは消えた。どうするのが正解なのか、何時間も悩み続けた。

 六月一五日未明、リックは決断した。ローライシュタイン大公国の存続を優先する。そのため第六師団には犠牲になってもらうしかない。

────許してくれ、アーヤ

 より多くの生命を救うために、少数を切り捨てる。それが究極の選択だとリックは苦しみとともに理解した。


 六月一四日夜、ダークナスリイト要塞。今日一日の戦いを終えて、アーヤは要塞中央部に位置する石造りの建物に戻ってきた。そこは師団司令部として使われており、奥の部屋が師団長室である。甲冑を脱ぎ平服に着替えてから、アーヤは今後の作戦計画を検討した。

 まだ敵影は見えないが、おそらく帝国軍は東の山岳地帯沿いにダークナスリイト南東方面から現れるのではないか。それがアーヤの見立てだった。大公国東部の戦闘がどのように推移しているのか分からないが、戦力比で考えれば後退もえむをえない。その場合、戦線の開口部から予備兵力がこちらへ向かってくることは大いに考えられる事態だった。

 ダークナスリイトを放棄して首都防衛に参加すべきか。だが、そうすれば帝国軍の全戦力がシュタインズベルクに集結してしまう。大公国側が首都を防衛できる確率は相当に低くなる。

 では、第六師団がダークナスリイトにとどまった場合はどうか。敵軍は我々を攻撃するために少なくとも三個師団を必要とするだろう。つまり、それだけシュタインズベルクへの圧力は弱まるということ。逆転で大公国軍が首都防衛を果たす希望も十分残される。我々が敵を引きつければ引きつけるほどローライシュタイン大公国の生存確率は高まるのだ。疑問を差し挟む余地はなかった。


────わたしを救ってくださったリック様のため、ローライシュタイン大公国のため、捨石になろう。


 アーヤはそう決断した。しかし、将兵はどうなるのか。自分勝手な思いのために一万人もの将兵を犬死させるというのか。いや、犬死ではなく大公国存続の礎になるのだと彼らをなぐさめることもできよう。だが、どんなかたちにせよ、「ここで死ね」と命令するに等しい行為なのだ。たった一人で決断すべきではない。アーヤは急遽、大隊長以上の指揮官を集めて作戦会議を開催することにした。


 夜の司令部会議室に集まったのは大隊長九名、そして連隊長のドーラとラフィーだった。アーヤは全員を前に今後の想定される事態、選択肢を説明した。全員が黙って聞き入っていた。説明が終わって質疑応答の時間になった。大隊長の一人が手を挙げた。大柄な騎士だった。

「エアリーズ師団長、わたしは師団長の方針に賛成です。大公国の存続があって初めて我々の戦いに意義が見出される、わたしはそう信じます」

「同意見です。我々は今を生き延びるために戦っているのではない。卑劣な帝国のやり方に一矢報い、大公国を存続させる。そのための捨石なら本望です」

 別の大隊長が賛意を表明した。

「しかし何日間戦えるというのだ。師団は通常五日分の備蓄量しか保管していない。消費量を落としてもせいぜい一週間が限度だ。補給が断たれれば八方塞がり、壊滅を待つばかりではないか」

 現実的な意見が示された。

「待ちなよ、みんな」

 ドーラのハスキーな声が響いた。

「この要塞に立てこもって一年も二年も戦うというわけじゃない。一週間以内に戦争自体が終わる可能性だってある。皆が覚えているロ帝戦争、あれだって二週間だった」

 全員がドーラの側を向いた。

「あたしは断然勝利するほうに懸けるよ。なにせ我々には戦の女神様がついてるんだから ───」

 ニヤッと笑ってアーヤに目くばせした。

「決まりね。全員がアーヤの決定に従う。それでいい?」

 ラフィーが会議をまとめた。だれからも異論は出なかった。

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