第一六章 宣戦布告

 大陸暦九三八年五月一日に起きた帝国元首暗殺未遂事件、およびその実行犯が叫んだとされる「ローライシュタイン大公国よ、永遠なれ────ッ!」という絶叫は数日後、他ならぬローライシュタイン大公国において、もっとも大きな衝撃をもって迎えられた。

 五月六日、緊急で大公国会議が招集された。参加者は大公エリーゼ、軍司令官ザイドリック、参謀長として現役復帰したクライスト、第六師団長アーヤ、第七師団長ユリエッタ、そしてバイヤーオベルン知事だった。第一軍団長ライゼルの死は対外的には事故死とされ、密葬が行われた。エリーゼは後任を置かず、第一軍団長を弟のリックが兼務するよう命じた。

 会議は息苦しい雰囲気で幕を開けた。

「そもそもこんな策謀としか言いようのない事件を捏造して、帝国は恥知らずの集まりか」

 クライストが口を開いた。

「フォイエル・ドラスの暗殺を企てても、わたしたちにメリットはほとんどありません。むしろ、失敗したときのデメリットを考えれば、釣り合うはずがない博打であると容易に想像がつきます。ですが、悲しいことにわたしたちは叛徒に仕立て上げられてしまったのです。ここで現状を嘆いても解決には至りません。善後策を協議しましょう」

 エリーゼは思いのほか冷静だった。

「今後の帝国の出方について、意見を求めます」

 バイヤーオベルン知事が手を挙げた。

「わしの見立てでは軍の動員準備を済ませて、一ヶ月以内に宣戦布告が行われることだろう。こうなった以上、講和はありえない。防御を固めて対抗するのみだ」

「なるほど、分かりました。わたしも外交手段で解決するとは思いません。リック、軍司令官として防衛戦略を立案・提示してください」

 リックは二つ返事で答えた。大公国会議は本計画案が完成するまで一時的に休会となった。


 三日間休むことなく、クライスト、アーヤ、ユリエッタと協議を重ねたリックは現時点でベストと考えられる防衛戦略を作り上げた。

 五月九日、大公国会議は同メンバーで再開された。エリーゼの求めに対し、リックはエルマグニアの地図を広げて、今後の戦略を書き表した(挿絵:エルマグニア南北戦争_戦況図1参照)。

https://yahoo.jp/box/Q3cKjn

 以下、ザイドリック・ローライシュタイン大公国軍司令官の防衛戦略を開示する。

 帝国側は帝都ジースナッハ、ベアヴォラーグ同盟、ラウスベイ大公国、三国の連合軍になる確率が高い。希望的観測として、ラウスベイ大公国が中立を守るという可能性も0ではないが、テトラルキアでの裏切りを考えると、悲観的にならざるをえない。

 現在ローライシュタイン大公国には一個軍団と二個師団が所属しているが、第六師団は西方機動戦に向けて第一軍団から主に機動戦に優れた部隊を抽出し新たに編成された経緯がある。つまり、第一軍団の兵力は実質的に三個師団相当から二個師団相当に減っており、かつ編成が歩兵中心に偏っているため、彼らがもっとも力を発揮する陣地戦に備えて、東部のラウスベイ大公国国境付近に配置する。

 また、戦略的要衝として、古来より幾度も戦いの舞台となったダーグナスリイト旧要塞には機動力に優れた第六師団を派遣する。この地は峡谷であり、戦闘正面の狭さを考慮すれば帝国軍が主力部隊を投入する可能性は低い。戦況の推移によってはこちらから帝国領内に攻め入り、戦争の主導権を握るという選択肢も排除しない。その意味で、機動力に富んだ第六師団をダーグナスリイトに配置するのは合理的判断といえる。

 司令部は第一軍団の後方に置き、直接戦闘の指揮を執る。距離が隔てられた第六師団はアーヤ・エアリーズ師団長に指揮権を委ねる。第七師団は首都防衛の切り札とし、第一軍団の戦線が崩された場合、侵入した敵を迎撃、これを粉砕する。

「以上です。なにかご質問は?」

 リックの説明後、細かい質疑応答が行われて、ローライシュタイン大公国防衛戦略は正式に認可された。


 五月二五日、軍の動員準備が完了し、各部隊は指揮官とともに移動を開始した。アーヤが率いる第六師団はその指揮系統を再編成して、第一連隊はこれまで通りアーヤが指揮官を兼務、第二連隊長にはドーラが、第三連隊長にはラフィーがそれぞれ昇進した。ハウスホーファー家襲撃事件でのめざましい活躍により、昇進資格ありとリックが判断した結果だった。

 第六師団の後方には師団所属の補給部隊が続いた。約一万人の兵員に対して、補給物資である糧食、馬の飼料、医薬品、補充用武器・防具等を払底させることなく供給し続けることは継戦能力を維持する上でたいへん重要な意味を持っていた。どれほど精強な部隊であっても、補給物資が途絶えてしまえばとたんに立ち往生する。それが戦争の本質であり、上位の指揮官になればなるほど補給の重要性を軽視できなくなっていた。

 五月二七日、第六師団はダークナスリイトに到着した。そこは以前と同様、無人のままだった。石造りの要塞は川と国境線に沿って東西に延び、南北方向はその1/4程度の長さだった。アーヤはさっそく各部隊に防御態勢の構築を命じた。城壁の修復、射眼の再整備、川沿い(東西方面)に一定間隔で堡塁を建造すること等、やるべきことは多く、時間がいくらあっても足りない。

 この峡谷においてロガフ川にかかっている橋はダークナスリイトだけなので、ここを守り切れば少なくとも首都シュタインズベルクが挟み撃ちにされる危険性だけは回避できる。迫り来る戦いに備えて、どこまで守備力を強化できるか、それが当面の課題だった。


 一方、歩兵主体の第一軍団は北東部国境付近へ行軍の途中、数日おきに陣地を構築しながら進んだ。三重の縦深防御により敵兵力の漸減を図りつつ最終的に首都手前で敵を食い止める、それが基本プランだった。ゆえに展開に時間がかかり、六月六日にようやく国境周辺へ到着した。敵の姿は見えなかった。その報告を馬で一日の距離にある南方の司令部にて聞いたリックはほっと胸をなでおろした。神は少しだけ我々に味方してくれたらしい。


 六月八日、帝都ジースナッハの十字紋章旗を翻らせて、一騎の騎兵が第一軍団正面に現れた。それは宣戦布告の信書を携えた使者であるとだれもが認識した。首都シュタインズベルクへ向かった使者は六月一〇日、元首フォイエル・ドラス直筆の信書をローライシュタイン大公国事務官に手渡すと西方へ去っていった。エリーゼはすぐさま信書を開封した。


宣戦布告

 エルマグニア帝国は五月一日に起きた帝国元首暗殺未遂事件がローライシュタイン大公国主導のテロリズムであったとの確たる証拠を握っている。この事実から帝国はローライシュタイン大公国の平定と帝国直轄領への編入、および事件首謀者の断罪を主目的として、ローライシュタイン大公国へ宣戦を布告するものである。


大陸暦九三八年六月一日

エルマグニア帝国元首フォイエル・ドラス 署名


 なんて恥知らずな文書であろうか。エリーゼは一目読むなり、それを投げ捨てた。宣戦が布告された以上、いつ戦端が開かれてもおかしくない。エリーゼは東方で陣を張る弟の無事を祈った。

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