第一三章 ライゼル・ハウスホーファー

 アーヤはジースナッハを夜半に旅立ってから、ティタンに水を飲ませる小休止の時間を除いて、立ち止まることなくひたすら駆け続けた。睡眠も食事も馬上で取った。それは想像した以上につらい旅だったが、リックのため、ローライシュタイン大公国のためと思えば、苦痛にはならなかった。リックが語ったとおり、ティタンは素晴らしい名馬だった。性格は温厚で乗り手の意に従い、どこまでも駆けてゆく。姿勢は安定しており、そのおかげでアーヤは疲れを最小限にとどめることができた。

 四月一六日の昼過ぎ、アーヤはダーグナスリイト旧要塞跡を駆け抜けた。ローライシュタイン大公国領に入ったことで、少しだけ安心感が増した。あと一日足らずでシュタインズベルクへ到着する。どのような未来が待っているのか、それは神のみぞ知る領域であった。


 四月一七日早朝、ついにアーヤはシュタインズベルクへ帰ってきた。疲労がたまっていないといえば嘘になる。しかし気力はそれをはるかに凌いで充実していた。

 事前にリックから説明を受けていたので、ライゼル・ハウスホーファー軍団長の身柄の確保を優先し、場合によっては帝国から送り込まれた暗殺部隊と戦う必要も出てくると理解していた。それを遂行するために、アーヤは仲間二人を頼ることにした。

 ティタンを兵舎の前に着けた。敬礼する衛兵の脇を抜けて、アーヤは一路ドーラの部屋へ向かった。この時間だと彼女はまだ眠っているはずだが、起きるまで待っていることはできない。二、三回ドアをノックしたが、何の反応もなかった。やむをえず思いきりドアを叩いて、本人を呼び出した。

「ドーラ、起きて。わたしよ、アーヤ。あなたに頼みたいことがあって急いでここに来たの」

 アーヤの呼びかけは驚くほどの威力を発揮した。

「えっ? アーヤ、あなたなの? どうしてここに。ジースナッハへ護衛部隊を率いて出かけたはずなのに」

「状況が変わったの。あなたの助けが必要よ。いっしょに来て ───」

 バタバタと音がして、勢いよくドアが開いた。ドーラは例によってフリル付のヒラヒラなパジャマを着ていた。

「大切なことなんだね」

 真顔でドーラが尋ねた。

「ええ、この国の未来を左右するほどの」

 アーヤが応じた。

「わかった。ちょっと待ってて。すぐに甲冑に着替えるから」

 ドーラが戦闘に赴く準備を進めている間、アーヤは階の違うラフィーの部屋へ向かった。ドアの前に立ち、ノックしようとした直前、中から声が聞こえてきた。

「アーヤ、あなたね? この時間に本来ここにいるはずがないあなたが立っている。きっとすごく大変なことが起きているのでは。違うかしら?」

 ラフィーの常人離れした洞察力にはいつも驚かされる。

「そのとおりよ。ラフィー、助けてもらえるかしら?」

「答えるまでもないこと。あなたの頼みなら、何だって聞くわ」


 全ての準備を終えて、三人は兵舎の玄関に集合した。ドーラは重装甲騎兵の外装、ラフィーは体幹のみを守る革の鎧に複合弓と連弩、アーヤはジースナッハ出発時と同じ甲冑に剣の出で立ちだった。

 細かい事情を二人に話している余裕はないので、アーヤは大公の命によりライゼル・ハウスホーファー軍団長の身柄を確保、敵対する外部勢力があればこれを排除する、それだけ伝えた。二人はアーヤの説明にいっさい疑問を差し挟まなかった。アーヤに全幅の信頼を寄せていたのだ。


 各自馬にまたがり、一路ライゼルが住む屋敷へと向かった。ハウスホーファー家嫡男は代々ローライシュタイン大公を護る騎士団の長を務めており、ライゼルで六代目、その父マクシミリアンは九三〇年のロ帝戦争において君主ゴットフリート・ローライシュタイン大公をかばい、壮絶な戦死を遂げた。それほどの忠誠を示し続けたハウスホーファー家の六代目当主ライゼルをなにゆえ捕らえなければならないのか、三人には三様の想いがあった。

 ハウスホーファー家は大公から広い敷地と建物を下賜されており、戦時以外はそこで暮らしている。まもなく鉄柵の門と塀が視界に入ってきた。石造りの建物はアーヤが想像していた以上の壮麗さだった。敷地内には噴水や彫刻、よく手入れがなされた庭園も見える。

 だが、敷地の周囲を警備する衛兵の姿が見えない。いくら早朝とはいえ、これは不自然極まりない状況だった。門は閉まっているが、外部から確認するかぎり、敷地内部にも人影がない。

「あっ!」

 ラフィーが最初に異変をとらえた。

「見て、建物の入口階段脇に人が倒れている」

 遠目ではあったが、その人物はあきらかに衛兵の装いをまとっていた。

「ドーラ、門に手をついて!」

 ラフィーの求めにドーラは素直に応じた。その背中を舞うように駆け上がって、ラフィーは跳躍後、門の向こう側に飛び降りた。すぐに門を開いて、アーヤとドーラを招き入れた。

 倒れている衛兵のそばに駆け寄ったが、すでに事切れていた。

「見て、この傷痕!」

 アーヤは死んでいる衛兵が背後よりアイスピック状の刃物類で一突きにされていることに気付いた。しかも衛兵の死体はそこだけでなく、階段の奥、柱の陰、そのほか外部からは死角となる敷地のいたるところに散乱していた。

「こいつは只事じゃない。アーヤの言っていた意味がよく分かったよ。相手は“プロ”だ。細心の注意を払わないと・・・」

 普段は強気なドーラだが、このときばかりは緊張感に声が震えていた。


 日は昇っていたが、室内はまだ暗い。ところどころ燭光がゆらめく中、三人は距離を取って縦列で進んだ。まとめて狙撃されることを避ける。それが屋内戦の鉄則だからだ。最初が鉄壁の防御力を持つドーラ、次にアーヤ、しんがりがラフィーだった。ドーラもアーヤも剣を抜き、臨戦態勢。ラフィーは連弩をかまえた。

 廊下の隅々にハウスホーファー家に仕える家臣、従者の遺体が転がっていた。屋敷はさながら死者の館と化していた。しかし戦場経験豊富な三人は動じない。コーナーに差しかかったら必ずドーラが先行して安全を確認、二人が続いた。数一〇メートル進んだところで、ラフィーがストップをかけた。

「剣の交わる音が聞こえる。五メートル先の角を左に曲がって、そこからたぶん一〇メートルぐらい」

 アーヤにはなにも聞こえなかったが、ラフィーの洞察力は人知を超えたものであり、全幅の信頼を置くに十分だった。

 アーヤは五メートル先の角までゆっくり進み、そこで廊下の先を窺った。平服を着た一見市民に見える男たち四名が扉の前に立っている。だが、かれらが発する禍々しい雰囲気は百戦錬磨のアーヤたちにひしひしと伝わってきた。全員が異常なほど細い剣かナイフか分からぬ武器を両手に握り締めている。その先端からは鮮血が滴り落ちており、異様な光景を醸し出していた。


────あいつらがリック様の言っていた暗殺部隊だ!

 アーヤは直感した。

────どうする? あの武器が相手だとドーラの重装甲でも継ぎ目をねらわれてしまう。

 そんなことを考えていると、ドーラが囁きかけた。

「アーヤ、あたしが行くよ。うまく支援してね ───」

「待って!」と言おうとしたが、もう遅かった。

 暗殺者からよく見える廊下の直線上に踏み出したドーラはずんずんと進んでいった。

────やるしかない!

 ドーラの陰に隠れて、アーヤとラフィーが後を追った。

 暗殺者たちはすぐに反応した。後方の二名が剣を背中に格納し、代わりに連弩を取り出すや、ヘルメットの面を閉めたドーラに対して、わずかに隙間が見える目を正確に狙ってきた。

「チィッ!」

 ドーラはガントレットで目を防護したが、それが暗殺者たちの狙いでもあったのだ。一瞬視界を失ったその隙を衝き、すでに駆け出していた前方の暗殺者二名が急接近、細い剣で鎧の接合部を突き刺す接近戦に入った。しかしかれらは知らなかった。ドーラの陰に達人二人が控えていることを。

 アーヤの剣が最接近した暗殺者の胴を斬り裂いた。ラフィーの連弩が放った矢はもう一人の暗殺者の額中心を射抜いた。

 驚いた残りの暗殺者二人が再び連弩で攻撃を仕掛けてきたが、その攻撃は正確さを欠いていた。重装甲で難なく弾き返したドーラはアンブレイカブルを一閃。暗殺者は二人まとめて上下半身を両断され絶命した。

 そのままの勢いでドーラは奥の扉をぶち破った。中では全身を血に染めたライゼルと暗殺者四名がなお死闘を繰り広げていた。それは酷いありさまだった。暗殺者二名が中距離から連弩で射撃、二名が例の細い剣で刺突攻撃を続けている。

 寝込みを襲われたのか、ライゼルは寝巻姿で剣だけを頼りに戦っていた。すでに全身には無数の矢が刺さり、その体は刺し傷だらけ。動けるのが不思議なぐらいの負傷ぶりだった。

「軍団長! 助けに来ました ───」

 たまらずアーヤは叫んだ。だが、ライゼルは無表情。その顔からは急速に生気の抜けていることが如実に伝わってきた。

 情勢に即応し、連弩をかまえた暗殺者二名がドーラとアーヤに矢を放った。ここで再びラフィーが神業を見せた。なんと彼女の射た二本の矢は飛行中のそれらに命中、見事弾き返したのだった。目の前でなにが起きたのか分からないまま、連弩を持つ暗殺者二名はラフィーの射撃の前に倒れた。不意討ちを得意とする残り二名の暗殺者も正面戦闘でドーラ、アーヤに勝てるはずはなかった。


「ハウスホーファー軍団長!」

 その場に倒れ伏したライゼルをアーヤが助け起こした。

「・・・エアリーズ・・師団長 ───」

 ライゼルは薄目を開いてアーヤを見上げた。

「なぜ・・こんな襲撃を・・・受けたんだろうな?」

 アーヤはライゼルが本心を隠しているとその口調から読み取った。

「かれらはおそらくフォイエル・ドラスが差し向けた暗殺部隊です。軍団長はその意図をご存じではありませんか」

 一瞬ライゼルは驚いた表情を見せたが、じきに観念したように語り出した。

「・・・そうか。もう隠す必要もなくなったか・・・」

「だが、こんな最期を迎えるとは夢想だにしなかった。おれは大義のため、捨石になったというわけだ。フォイエル・ドラス指導者の下、エルマグニアが真に統一されることを願っていたが・・・もはやそれを見届ける時間もおれには残されていない・・・」

「師団長、大公国の為政者二人に伝えてほしい。おれはミルンヒック国家長官の提案に乗り、主君の謀殺に加担した裏切り者だ。しかし医者の見立てでは、ゴットフリート・ローライシュタイン大公の命は保ってあと二年程度だった。ならば大義のため、元首選挙において偉大なるフォイエル・ドラス指導者の選出に賛成票を投じるべきではないのか。おれは何度もそう説得したが、大公は耳を貸さなかった。確かに大公が賛成票を投じなくてもフォイエル・ドラス指導者は元首に選出されただろう。だが、満場一致もしくはそれに近い結果でなければ、求心力は得られない。フォイエル・ドラス指導者の大義も実現しない」


 ここでアーヤはライゼルがそこまでこだわる「大義」というものの正体を知りたいと思った。

「軍団長、あなたがおっしゃるフォイエル・ドラス指導者の大義とはいかなるものでしょうか?」

「・・・そうだな。啓蒙不足だった。・・・それは“適者生存”だ。おれは過去に二度ほど都市国家ジースナッハへ赴き、そこで直々にフォイエル・ドラス指導者から“適者生存”の教義を説かれた。その要諦は、ひとは生まれながらにして適性を持つというものだ。農耕に適した人間、商いに適した人間、臣下に適した人間、戦争に適した人間など、ひとにはさまざまな適性がある。それを無視して、世襲で全てを決することほど愚かな選択はない。適性があればいいが、無い者はどうする?」

「おれにはルフトという名の五歳年下の弟がいた。ザイドリックと同じ年齢だ。ルフトは元々体が弱かったにもかかわらず、父マクシミリアンは“誇り高き大公国の騎士”となるよう無理な肉体訓練を課した。弟もそれに応えようと必死に鍛錬を続けたが、やはり適さず、一二歳のときにルフトは衰弱死してしまった。この結果におれは大きな疑問を覚えた。騎士の家系に生まれたなら、本人の資質を無視して騎士になることを強要すべきなのか。ルフトは学問に秀でていた。ならばその才能を生かしたほうがよかったのではないか。それが偉大なるフォイエル・ドラス指導者の提唱する“適者生存”の教義に傾倒した理由だ。弁明するつもりはいっさいない。もし将来同様の選択肢が提示されたなら、おれは迷わずまた同じ選択をするだろう。その意味でローライシュタイン大公家とは水と油だったのかもしれない」

 ここでライゼルは大きくため息をついた。

「ハウスホーファー家が消滅することに異議はない。だが、大公をあやめることに加担したのはおれ一人だけだ。家臣に罪はない。どうかその点をくれぐれもローライシュタイン大公に伝えてほしい・・・」

 一呼吸置き、

「偉大なるフォイエル・ドラス指導者に栄光あれ──────ッ!」

 最後に力を振りしぼってそれだけ叫ぶと、ライゼル・ハウスホーファーはカッと目を見開いたまま絶命した。

 四月一七日の朝、たとえようもない虚しさを残して、アーヤの任務は未完のまま終わった。

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