第一二章 テトラルキア 一日目

 会議室は一〇メートル四方程度の広さであり、思うほど広くはない。四隅は殺風景な白い壁で、据え付けの燭台以外余計な物はいっさい置かれていない。天井のシャンデリアは事故を防ぐため、小型のものが所狭しと並べられていた。不測の事態を避ける目的で窓も取り付けられていなかった。

 中央に丸テーブルが用意されており、それに四つのひじ掛け椅子が等間隔で配置されていた。エリーゼとホルギンが入室した際、すでにフォイエル・ドラスは入口からもっとも遠い位置の椅子に腰かけていた。テーブルの中心付近には紐で綴じられたファイル類が整然と立てられていた。歴代の元首選挙を記録した書類一式である。この中に父の議決権行使書も含まれていると思うとエリーゼの心は震えて平静を保つのが難しくなるほどであった。

 旧知のドラスとホルギンは親しげに会談を始めた。エリーゼはドラスからもっとも離れた対面の椅子に座った。一五時間際にマティアスが滑り込んだ。ふうふう息をはずませながら残った椅子に腰かけた。


「さて、定刻になったことから、テトラルキアを開催する。規約に基づき、本会議の議長はわたくしフォイエル・ドラスが務める。続いて参加者の確認。帝都ジースナッハ指導者フォイエル・ドラス、ベアヴォラーグ同盟マグナー・ホルギン総裁、ラウスベイ大公国マティアス・ラウスベイ大公、ローライシュタイン大公国エリーゼ・ローライシュタイン大公、以上四名を有資格者と認める。本テトラルキアはエリーゼ・ローライシュタイン大公の申し出により、元首フォイエル・ドラス選出の正統性を再確認する信任投票の実施を議題とする。ローライシュタイン大公殿、間違いないかね?」

 フォイエル・ドラスはエリーゼに確認を求めた。エリーゼは「間違いありません」と応じた。

「では、まず自由な意見交換を行うものとする。各自意見があれば、随時発言してもらいたい」

 さっそくホルギン総裁が手を挙げた。

「わしの個人的な意見だが、わずか五年前の九三三年に実施した元首選出の正統性を代替わりしたランド代表者がいまさら再確認したいと言い出すのは筋違いというものじゃないかね」

「それは違います ───」

 エリーゼが反論した。

「テトラルキアの規約に“元首選出に賛成した代表者の半数が亡くなった場合、任意のランド代表者の提起により元首の信任投票を実施することができる。”と記されています。元首という地位は各国の信頼によってのみ成り立つ名誉職のようなもの。信任投票とはいわば各国の信頼を再確認する儀式であると考えております」

「貴殿はまだ若い。確か二四歳になったばかりと聞くが、世の中はそういう理想論だけでは回らんのだよ」

 ホルギンの世俗にまみれた言葉はエリーゼの心にまるで響かなかった。


「お取り込み中のところ失礼しますが ───」

 頼りない味方マティアス・ラウスベイ大公閣下が口をはさんだ。

「えーと、わたしの思うところを述べますと、元首という立場は五ヶ国、いや今は四ヶ国ですか、その四ヶ国の代表者が一致して推すところに意義があると考えております。ゆえにそれを確認する意味で信任投票という手段はたいへん合理的であると思う次第です」

 暗愚公と陰口をたたかれるマティアスにしては極めてまっとうな発言であった。だが、マグナー・ホルギンにジロリと睨まれると小さくなってそのまま沈黙してしまった。

 ここまでフォイエル・ドラスは無言で一部始終を観察するように眺めていた。その表情からは何も読み取れなかった。

「では、マグナー・ホルギン総裁にお聞きいたします。四ヶ国の代表者は等しく元首になる権利を保持しています。総裁にとって元首とは何を意味しているのでしょうか」

 エリーゼの問いは挑発的だった。むっとした面持ちでホルギンは少し考えてから答えた。

「“安定”だよ。エルマグニアがこの先も存続・発展していくためには強力な指導力が必要だ。よって、誰にでも元首が務まるというものではない。指導力とは元よりひとに備わったものであり、無能に国は治められない。ゆえに我が国は世襲ではなく選挙で代表者を選ぶようになっておる」

 挑発には挑発で返す、それがホルギンのやり方だった。


「適者生存、この言葉を知っているかね」

 突如フォイエル・ドラスが口を開いた。一同はハッとしてドラスの側を向いた。

 ドラスは両手の指を組み、肘をテーブルに置いて余裕の笑みを浮かべつつ続けた。

「それはわたしが元首になる前、いや、ジースナッハの統治者になる以前より唱えている理論だ。この世には定理があり、それは適者が生き残る、不適者が滅びるという結果となって証明されてきた。これからも同様である。ローライシュタイン大公殿が求める正統性、信頼、それは結果が示すのではないのかね」

 自信ありげに自説を唱えるフォイエル・ドラスの姿はまるで預言者のごとくエリーゼには感じられた。だが臆することなく、彼女は応じた。

「信任投票の前に過去の元首選挙の資料を確認させてください。ここに集う四名のうち、二名は元首選挙に立ち会った経験がありません。今一度資料に目を通し、考える時間をいただきたく存じます」

「エリーゼ・ローライシュタイン大公の意見に賛成です。わたしにも資料に目を通す時間をお認めください」

 マティアスが目くばせして、エリーゼに援軍を出した。

「いいだろう。その意見に反対する理由はない」

 エリーゼの意図を知ってか知らずか、フォイエル・ドラスは鷹揚に答えた。マグナー・ホルギンはとくに何も言わなかった。


 エリーゼの眼前には五年の間、閲覧を切望してやまなかった元首選挙会議の資料が積み重ねられている。できるだけ平静を装って、エリーゼは資料を紐解いた。確認すべきは前回九三三年のペンタルキア関連のみ。それは資料のもっとも新しい項に付け加えられていた。

 開催要項、出席票、投票用紙、議事録の間に、エリーゼとリックが捜し求めているものがあった。父ゴットフリート・ローライシュタイン大公が記したとされる議決権行使書である。それはエリーゼに引き継がれた大公家紋章入りの指輪で押印がなされていた。

 続いてエリーゼの目は署名欄に移った。そこには「ゴットフリート・ローライシュタイン」とサインが記されていた。

「・・・・あ・・ああっ・・あ ───」

 一〇数秒間、固まったようにエリーゼは動かなかった。

 それから顔面蒼白となって、椅子の背もたれに崩れ落ちた。

 あきらかに異常なようすだったことから、マティアスが席を立って傍らに寄り添った。

「エリーゼたん、どうしたの? なにがあったの?」

 しかしエリーゼはなにも答えず、なんとか立ち上がるとマティアスに支えながら会議を退席した。

 エリーゼが何を見ていたのか、どこに反応したのか、フォイエル・ドラスは注意深く熟視していた。一呼吸置いた後、「やむをえまい。本日はここまでとし、明日一〇時より再開する」と一時閉会を宣言した。


 マティアスに半ば抱きかかえられながら会議室を出てきたエリーゼの異変は即控え室で待機していたサポート役の各人に伝わった。

「姉上!」

 リックが駆け寄ると、エリーゼはマティアスの肩を離れて弟の胸に倒れかかった。いつもの気丈なエリーゼは消え失せていた。そこにいるのは只の二四歳の女だった。

「姉上、いったい何が?」

 弟の問いにも答えず、エリーゼは震える声で一言、

「宿にもどってちょうだい ───」

 それだけを告げた。

 ただ事でないことは確かだった。歩くことすらままならないエリーゼを抱き上げて、リックは一路「フェデレーション」をめざした。

 宿に着いたところで、アーヤを始めとした護衛の兵士たちが集まってきた。エリーゼの身を案ずる声に対して、リックは「だいじょうぶ。一時的に気分が悪くなっただけだ」と応じた。

 スイートルームに戻って姉をベッドに寝かせた後、リックはすぐ近くの椅子に腰かけた。テトラルキアでなにがあったのか、この先の戦略をどう描くのか、聞きたいことは山ほどあったが、今はエリーゼの回復を待つしかない。


 夕刻、ようやくエリーゼはベッドから起き上がり、椅子に座って自分を見つめていた弟に声をかけた。

「リック、ごめんなさい。ずいぶんと心配をかけてしまったみたいで」

「いえ、姉上が回復してくれて安心しました」

「体はどうにか回復したけれど、心のほうは・・ね」

 意味深げな言葉だった。

「それで姉上、テトラルキアでの出来事を教えてください」

 エリーゼは静かにうなずいた。

「わたしは父が書いたとされる議決権行使書の実物を見ました。そこには大公家の紋章印が押されており、間違いなく本物でした。しかしサインは・・・・ああっ ───」

 エリーゼは頭を抱えながらも続けた。

「あ、あのサインは・・・・・・・ライゼルのものです」

「! ! ?」

 リックは最初、エリーゼが何を言っているのか分からなかった。

────ライゼルが父のサインを代筆したということか? だが、それでは議決権行使書の効力がない。

 混乱している弟を見かねて、エリーゼが補足を加えた。

「あのサインは父のものに極めてよく似せられていますが、偽物です。父のサインではありません。所々ライゼルの筆致が表れていました。わたしはライゼルの字の癖をよく知っています」


 謎が一つ解けた瞬間だった。

 確かに九三三年のペンタルキアの際、父はライゼルを身辺警護として同行させた。そして会議当日の午前中、父はレムハイル・ミルンヒックと会談していたことも分かっている。そこで父を謀殺し、議決権行使書を捏造したとすれば、全てのつじつまが合う。

 しかし・・・大公国一の騎士と謳われ、代々ローライシュタイン大公国に仕えてきた重臣ハウスホーファー家の代表がまさか君主謀殺に加担するなど、にわかには信じがたいことだった。九三〇年のロ帝戦争においてライゼルが上げた武勲はいまや伝説となっており、君主ゴットフリートとともに戦った騎士として、大公国で知らぬ者はいないほどの名声を得ている。そのライゼルが・・・・

 リックは唇をかんだ。

────その事実が動かないとすれば、我々は今後どうすべきか。

「姉上、テトラルキアの場で議決権行使書を見た際、それがライゼルの手による偽物であると悟られるような言動を示しましたか?」

 これが重要なポイントだった。謀略を主導したのはレムハイル・ミルンヒック、そして実行役がライゼル・ハウスホーファー。だが、それを教唆したのはおそらくフォイエル・ドラス。だとすれば、ドラスはエリーゼが謀略に気付いたかどうか、そこをもっとも気にするだろう。

「いいえ、わたしは驚き、立っていられないほどの衝撃を受けましたが、なにが原因か一切口にしませんでした。それだけは自信があります」

────さすが姉上だ。

 リックは考えた。自分がドラスの立場だったらどうするか。エリーゼの不審な動きから謀略が露見した可能性を考えるだろう。しかし物的証拠があるわけではない。サインの偽造にしても、真贋を判定する手段は見当たらない。ならば答えは一つ。実行役の口封じだ。

 リックは己の考えを率直に姉に伝えた。聞き終えて、エリーゼはゆっくりうなずいた。

「リック、あなたの言うとおりだと思うわ。先にライゼルの身柄を押さえて動かぬ証拠とし、フォイエル・ドラスの前に突きつける。それしかありません」

 エリーゼは以前の活力を取り戻していた。それでこそローライシュタイン大公国君主、誇りうる自分の姉だ。リックはエリーゼが回復したことを心から喜んだ。


 フォイエル・ドラスが暗殺部隊を動かしたとすれば、すでに出発したと考えるのが妥当だろう。事は急を要する。リックはアーヤを呼んだ。手短に事情を伝えて、即シュタインズベルクへもどり、ライゼルの身柄を確保するよう命じた。そのために必要なエリーゼ直筆の命令書も持たせた。

「はい。ジェネラル閣下、承りました!」

 アーヤは右手を九〇度に掲げて敬礼した。自分を頼りにしてくれたことがアーヤにはたまらなく嬉しかった。


 ジースナッハとシュタインズベルク間の移動には通常三日の行程が必要とされる。しかし今回に限って、その行程では遅すぎる。リックは自分が大事にしてきた白い名馬をアーヤに授けることにした。

「アーヤ、この馬の名はティタン。水分補給さえ怠らなければ二日の行程を一日、三日の行程を一日半で駆け抜けることができる。旅に出るときはいつも帯同させていたが、これを機にアーヤに託すこととした。大事にしてほしい」

「リック様、そんな大切な名馬をわたしなどに・・・」

「いや、いい。それよりもこれからは単騎行動となる。くれぐれも注意して行くように」

「はい」

 四月一五日の夜、アーヤは一人でローライシュタイン大公国の首都シュタインズベルクへ帰還する旅に出た。


 アーヤを見送った後、リックは再びエリーゼと協議を始めた。明日のテトラルキア二日目に備えての打合せだった。基本的な対応方法は同じでいくこととした。ここで慌てふためいてフォイエル・ドラスに何かを察知されたら元も子もない。当初の計画どおり、元首の信任投票で二対二の局面を作り、そこから条件闘争へ移行する。それが基本戦略だった。日付はすでに四月一六日を刻んでいた。

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