第十一章 春の目覚め

 九三七年の冬はいつもより少し早く訪れた。アレイアウス大陸の冬はたいへん厳しい。たとえ戦争が続いていたとしても、冬になればほとんどの国が一時的な停戦を選択する。各国は秋の間に穀物の収穫を終えて、厳冬に備えるのが通例であった。ローライシュタイン大公国もその例外ではない。


 物語は早春になって動き始めた。

 大陸暦九三八年三月一〇日、ローライシュタイン大公国の北部に位置するラウスベイ大公国の使者が自国の紋章である交差した三本剣の旗をたなびかせながらシュタインズベルクを訪ねてきた。

 親書を開封したエリーゼはその報せに眉を曇らせた。君主オーガスト・ラウスベイ大公が逝去、告別式を三月二〇日夕刻に開催するとのことだった。六六歳だったので、大往生と見ることもできる。後継者は当然一人息子のマティアスになるが、エリーゼは儀礼である弔問に赴くのを躊躇していた。これまでに何度もしつこく求婚されており、その度に時期尚早と断っていたが、マティアスが正式に大公になった以上、もはや同じ手は使えず、ますます執拗に結婚を迫られることが明白だったからである。

 それは別として、この報せは国の要職にある者には伝えておいたほうがよいと考えて、エリーゼは関係者に事実を伝えた。その一報が大きな波紋を呼び起こすことを彼女はまだ知らなかった。


 三月一四日、バイヤーオベルン知事が大公宮殿であるイーグルライズを訪ねてきた。エリーゼに人払いを頼んだ後、バイヤーオベルン知事は応接室でエリーゼ、リックと向き合った。

「オーガスト・ラウスベイ大公が亡くなったと聞き、わしは非常に大きな可能性に気付いたのだ。うまく事が運べば、ゴットフリート殿の死の真相に迫れるかもしれぬ」

「それはどういうことですか!」

 リックは身を乗り出して尋ねた。

「ペンタルキアの規約を詳細に確認したところ、以下の記載がある」

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 元首選出に賛成した代表者の半数が亡くなった場合、任意のランド代表者の提起により元首の信任投票を実施することができる。

 信任された元首の任期は引き続き終身とする。信任されなかった場合、改めてペンタルキアにより元首選出を行う。

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「つまりエリーゼ殿の提起により、元首の信任投票が可能となるのだ。わしは前回九三三年のペンタルキアに棄権した。フォイエル・ドラスの元首選出に賛成したのは都市国家ジースナッハ、ベアヴォラーグ同盟、ローライシュタイン大公国、ラウスベイ大公国の各代表者だった。貴殿らのお父上は議決権行使書による賛成だったが。

 そしてローライシュタイン大公国、ラウスベイ大公国の当時の代表者が逝去した以上、元首の信任投票は可能なはず。それがわしの見立てだ」


 思わぬところから、大きな好機が巡ってきた。少なくともリックはそう感じた。

「姉上、どう思いますか?」

 エリーゼは真剣に考えているようすだったが、まもなく口を開いた。

「信任投票を実施したとしましょう。どういう結果が予想されるのでしょうか。仮にローライシュタイン大公国が不信任票を投じたとして、わたしの見るところ、ジースナッハ、ベアヴォラーグ同盟は信任、ラウスベイ大公国の投票行動は不明です」

「ラウスベイ大公国を味方につけるのです。そうすれば二対二、少なくとも信任されたと主張することはできないはず。幸いラウスベイ大公国の新君主マティアスは姉上に好意を抱いておりますし」

 エリーゼがピクッと眉を動かした。

 リックはかなり前のめりになっていた。それをバイヤーオベルン知事が抑えた。

「リック殿、不確定要素はそれだけではない。わしの旧領土バイヤーオベルン大公国の取り扱いをどうするのか、なにも決められていないのだ。ドラスが総督を立ててペンタルキアに無理やり参加させるという可能性も否定できない」

「総督は国家の代表者ではありません。租借の概念はいわば長期契約であり、領土権は今でもバイヤーオベルン知事に属していると考えるのが妥当です」

 リックは気色ばんだ。

「これは概念の話ではない。フォイエル・ドラスが“こうだ”と決めれば、それが既成事実となってしまうのだ。焚きつけたかたちとなりながら、一方で否定的な話も出してしまい申し訳ない。しかしわしは本気で貴殿らを心配しているのだ。本来であれば、こんな博打のような試みをやるべきではない。だが、ドラスのやり方に歯止めをかけるには、時にリスクのある賭けも必要かもしれぬ。エリーゼ殿はどう思われるだろうか?」

 エリーゼは違うところでためらっていた。

「信任投票に持ち込むことはかまいません。しかしラウスベイ大公国を味方につけるというのは・・・」

 ここでリックは姉が躊躇する理由を理解した。あのデブが全て悪いのだ。

 しばし逡巡していたエリーゼだったが、ほどなく覚悟を決めた。

「やりましょう。ラウスベイ大公の告別式でマティアスを説得します。ここでやらなければ、わたしは一生後悔するような気がします」

 エリーゼは弟に劣らず胆力があった。


 三月一七日、エリーゼとリックを乗せた「88(ハチハチ)」が護衛の一個中隊とともにラウスベイ大公国へ旅立った。三月二〇日午後、首都ラウスブルクに到着。旅の疲れも見せず、二人はすぐに告別式に参列した。驚くべきことにマティアスは実父の告別式であるにもかかわらず参列者と談笑するなど、まるでその死を悼んでいるようすがなかった。

 エリーゼの姿を見るや飛んできて、その両手を握った。

「エリーゼたん、よく来てくれたね。ボクは嬉しいよ。後でゆっくり話そう ───」

 これはおあつらえ向きといえた。

 告別式が一段落した夜、ラウスブルクの西よりにある大公宮殿にてエリーゼ、リックはマティアスとの会談に臨んだ。

 ペンタルキアの概要と今後のローライシュタイン大公国の方針を説明した後、エリーゼは単刀直入にこう切り出した。

「元首信任投票で不信任票を投じていただけますか?」

「んー、それよりさあ、新婚旅行はどこへ行こうか?」

 マティアスはなにも聞いていなかったのだ。これにはリックも堪らず、怒鳴りつけてやろうと立ち上がりかけたが、エリーゼに制止された。

「その話は後でゆっくり決めましょう。今はまず投票のことを決めないと ───」

「難しいことは分からないんだよね。要するにエリーゼたんの味方になって、不信任とかいう票を出せばいいんでしょう?」

 国の行く末をこんな安易に決めてよいのかとリックは呆れたが、エリーゼは割り切っていた。

「その通りです。さすがマティアス・ラウスベイ大公閣下」

 おだてられてその気になったマティアスは上機嫌で席を立ち、エリーゼの真横に座り直した。ありえないほど密着し、エリーゼの両手を握って、髪の匂いをクンカクンカと嗅いでいる。

「ああぁ、エリーゼたん、ペンタなんとかが終わったら、即結婚式を挙げようね。約束だよ」

「・・・え、ええ」

 投票さえ終わってしまえば、おまえは用済みだ。そんな目で隣の汚物を冷視するエリーゼの応対にリックは内心感服した。


 次の企てはもう少し難易度が高かった。三月二七日、エリーゼはペンタルキアの規約に則り、元首の信任投票を実施するよう、大公家のみが持つ紋章入りの指輪で封緘の上、フォイエル・ドラス宛に親書を出した。あくまでも元首の正統性を再確認するという但し書きが付けられており、そこで不信任を叩きつけるなどとはおくびにも出さなかった。

 返信は四月四日に到着した。手紙の往復に六日かかることを考えれば、即断即決したといってよいタイミングだった。冒頭、ペンタルキア改めテトラルキア(「4名の支配」という意味)と改称する旨を宣言した後、フォイエル・ドラスはテトラルキアの開催(四月一五日予定)に賛意を示した。これでまた一段、仕掛けの歯車が回った。


 四月十一日、エリーゼ・ローライシュタイン大公は身辺警護に弟のザイドリックを従えて「88(ハチハチ)」に乗り込んだ。護衛の一個中隊はアーヤが指揮を取ることになった。

 いよいよ帝都ジースナッハへ乗り込むときがきたのだ。テトラルキアに臨む姿勢の確認、どのような問答を繰り返すのか等、二人は何度も念入りに打ち合わせをした。父の死の真相を明かす、それが最大の目標だった。


 四月一二日夜、エリーゼとリックを乗せた「88」はローライシュタイン大公国とベアヴォラーグ同盟の国境線に差しかかった(挿絵:ローライシュタイン大公の旅路 参照)。

https://yahoo.jp/box/UXBK1O

 両国はロガフ川という中規模の河川によって隔てられており、交易上の街道とロガフ川が交差する地点は戦略的要衝となることから、ローライシュタイン大公国は五ヶ国によるエルマグニア連邦が成立する以前、そこに国境要塞を築いた。その名称は地名から付けられ、ダーグナスリイト要塞と呼ばれた。

 だが、エルマグニア連邦成立後は連邦内部の国境線が意味を持たなくなり、ダーグナスリイト要塞も常駐の兵士たちが引き上げて廃墟と化した。

 「88」とその護衛部隊は旧要塞跡からロガフ川に架かる橋を縦列で渡った。交通を維持するために架けられた橋だけあって、その耐久性は極めて高く、一五〇年の間に何度も氾濫したロガフ川の濁流にも飲み込まれることはなかった。

 アーヤは川面に映った月を馬上から眺めていた。彼女はまだ知らなかった。のちにこの地ダーグナスリイトの名が世紀の大激戦地として歴史に刻まれることを。


 四月一四日の昼過ぎ、予定通りローライシュタイン大公国の「88」は帝都ジースナッハに到着した。テトラルキアは明日四月一五日の一五時よりジースナッハのディカート大聖堂(注)にて開催される。利便性を考慮して、ローライシュタイン大公国一行は大聖堂近くの高級宿「フェデレーション」を宿泊場所に選んだ。

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(注)ディカート大聖堂とはエルマグニア連邦創始者リヒテック・ディカート大王を記念して建てられた宗教色の強い建物の名称であり、国家的事業の発表、統治者の演説等、国の公式行事の際、舞台として選ばれるケースが多かった。前回のペンタルキアもこの場所で開催された。

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 四月一五日定刻前、エリーゼとリックはディカート大聖堂に到着した。帝国の首脳が一堂に会するめったにない機会だけあって、その警備は厳重を極め、おそらく数千人の人員が周囲を警戒している。中に入るまで幾度も確認ゲートをくぐる必要があった。

 テトラルキアには当然、国の代表者しか参加できないが、身辺警護、補佐役、アドバイザー等、いかなる肩書きの者でも一名だけは帯同が許されていた。かれらは会議室に隣接した控え室にて待機し、代表者が一時的に中途退室した場合には即時サポートする役割を担っていた。

 エリーゼとリックが控え室に入ったところ、すでにそこには帝国長官レムハイル・ミルンヒックが腰かけていた。二人を見て不快そうに横を向いたが、先だっての講和会議の顛末を考えれば無理からぬことだった。

 続いて、ベアヴォラーグ同盟のマグナー・ホルギン総裁が姿を現した。エリーゼは以前に会ったことがあるらしかったが、リックにとっては初見だった。エリーゼ曰く極度の金権主義者らしく、その衣服は金モールで埋め尽くされた礼服もどき、胸元には勲章の類がところ狭しと並べられていた。日頃、贅沢三昧に暮らしているせいか、その体型はマティアス以上の肥満であり、四五歳という実年齢以上に貫禄がついていた。

 ホルギン総裁の後ろをつかず離れずの距離で歩いている護衛役は女の騎士だった。外見からすると二〇代後半、ぞっとするような色気もしくは妖気を放っていたが、意外や、礼儀正しくその場にいた全員に挨拶した。

「お初にお目にかかります。わたくしはサイファーナ・シュマイゼン。ホルギン総裁の身辺警護兼妻です」

 「妻」というフレーズにその場にいた全員が瞠目したが、サイファーナに説明する意思はなさそうだった。

 壁の大型機械式時計が一四時五五分を指したところで、エリーゼとホルギンは同時に会議室に入った。そして最後、時間ぎりぎりになって、頼りない同盟者マティアス・ラウスベイ大公閣下が到着した。世話役として年配の執事を伴っており、この会議の重要度をまるで意識していないようすがありありだった。さすがのマティアスも遅刻はまずいと理解しているらしく、あわただしい調子で会議室に入っていった。

 役者はそろった。

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