第八章 疾風怒濤

大陸暦九三七年六月二四日正午過ぎ

 ローライシュタイン大公国軍第六師団はバイヤーオベルン大公国の首都オベルンスブルク手前に進出した。そこは幸いにも岩場で、都市の随所に設けられている監視塔からも視認されることはない。

 オベルンスブルクはシュタインズベルクと同様、城塞都市であり、城門が四方にある。今回、もっとも近い東部の城門を無血に近いかたちで開門させ、速やかに進攻する必要があった。リックの予測ではあと一日半で帝国遠征軍が到着、もしくは第二戦線のバイヤーオベルン大公国軍が戻ってくる。そうなれば大規模な市街戦が勃発して、この戦役をローライシュタイン大公国主導で終わらせるという当初のプランが達成困難になってしまう。どのようにしてオベルンスブルク東部の城門を開門させるのか。それが作戦成功の鍵だった。

 アーヤが一計を案じた。負傷兵の後送を装って、輓馬に引かせた荷車で城門前へ行く。武装していない荷車1台であれば、城門の通過は容易なはず。門を越えた直後、負傷兵を装ったアーヤとラフィーが連弩で守備兵を倒すという計画だった。人並み外れた射撃技術を持つアーヤとラフィーだからこそできる作戦といえる。

 シンプルだが効果的だ。事前に説明を受けていたリックはそう判断して最終許可を出した。

 兵士の一人がバイヤーオベルン大公国の甲冑を着て、荷車から輓馬を操る。アーヤとラフィーも同様の姿で荷車に寝転んだ。当初、血のついた甲冑を着ることにラフィーは難色を示したが、アーヤに説得されて渋々従った。体の下には連弩を隠してある。守備兵力は二〇名程度と予想されたので、交換用弾倉は一つだけとした。


 荷車がガタゴトと音を立てて、オベルンスブルク東側の城門前に到着した。偽装した兵士が上部を見つめて守備兵に声をかけた。

「おーい、負傷兵の後送だ。門を開けてくれ!」

 守備兵たちが巡回路となっている塀の上から怪訝そうに下を覗き込んだ。

「んっ? おまえら、どこから来た」

「ギアントム防壁だ。今、あちらでは帝国軍と衝突しており、これから負傷者がどっと押し寄せる予定だ」

「ついに始まったか。なんとか防壁で食い止めてほしいものだ」

 どうやら、ギアントム防壁の現状は伝わっていないようだ。

「よし、入れ」

 城門が開いた。荷車が入ったところで、輓馬を操っていた兵士が周囲に聞こえないように囁きかけてきた。

「連隊長、まずいですよ。守備兵は五〇人ぐらいいる」

────五〇人?

 アーヤは荷台でほぞを噛んだ。完全な読み違えだった。シュタインズベルクでは通常二〇名程度の配置なので、同じと思い込んだことが錯誤の要因になった。

「アーヤ、だいじょうぶ。引きつければ五〇名でもわたしたち二人で倒せる」

 ラフィーが勇気付けた。しかし弾倉交換の間に反撃される可能性は否定できない。

────それでもやるしかない。

 アーヤは覚悟を決めた。

 守備兵たちが近寄ってきた。

────もっと引きつけろ。できるだけ近くまで。

 アーヤは祈りにも似た気持ちで連弩のストックに手をかけた。

「ああん、おかしいぞ。女じゃねーか。我が軍に女兵士などほとんどいない。なんだおまえらは?」

 ここが限度だった。

 荷台から飛び降りたアーヤとラフィーは連弩を構えて背中合わせに立ち、一気にクランクを回した。

 一矢一殺! それだけだ。


 金属歯車の軋む音が響き、二人は神がかり的技能で三九名の兵士を射ち倒した。アーヤが二〇本中一九本命中、ラフィーは二〇本全てを命中させた。ここで弾倉交換。その動きも神技のごとき速さだった。

 だが、アクシデントは常に最悪のタイミングで起こる。

────クランクが回らない!

 ラフィーは即時装填不良に気付いた。欠陥品の弾倉だったのだ。

────別の弾倉を!

 しかし予備弾倉の携行はなかったと一瞬で悟った。

 残った守備兵が壁上から弓矢を構えた。この場に遮蔽物はほとんどない。荷車の下に逃げ込む余裕もない。

「ラフィー!!」

 アーヤが駆け寄ろうとしたが、もう間に合わなかった。矢が放たれ、ラフィーは死を覚悟した。

 そのときだった。いっしょに城門を越えた兵士が盾となって、ラフィーを救った。

 残りの守備兵はアーヤの正確な狙撃で掃討された。

 アーヤは射られた兵士を助け起こした。

「ううっ、連隊長・・・やりましたね。見事です。この戦いに終止符を打てるのはアーヤ・エアリーズ、あなたしかいない・・・」

 そして兵士は息を引き取った。立派な最期だった。彼を寝かせて、アーヤはその両手を胸の上で組ませた。

「あなたの死に誓います。必ず勝利を収め、無益な血がこれ以上流されぬよう全力を尽くすと」


 城門が全開したところを第六師団の観測員が望遠鏡で確認した。

「アーヤ、ラフィー、よくやった ───」

 リックはつぶやいた。そして号令をかけた。

「第六師団の勇敢なる兵士たちよ、これを本戦役最後の戦いとしたい。進め!」

 全員がそれに呼応した。


 怒涛の勢いでローライシュタイン大公国第六師団はオベルンスブルクへ突入した。城門で仲間と合流したアーヤ、ラフィーは輓馬が引く荷車上ですぐさま自軍の甲冑に着替えた。

 ふと後方に目をやると、先ほどの名も無き兵士の亡骸がどんどん小さくなっていくのが見えた。アーヤは右手を左胸に当てて、その死を悼み、闘い続ける決意を新たにした。


 アーヤとラフィーが開門を画策しているころ、リックは師団の全員に通達を出していた。

「敵地オベルンスブルクにおいて民間人に対し略奪行為、放火、殺人等の無法を働いた者はいっさいの事情を考慮することなくその場で死罪に処する」

 これはローライシュタイン大公国がバイヤーオベルン大公国との講和を主導する際、絶対に不可欠な条件であった。ローライシュタイン大公国軍はこの戦役を終わらせるために、やむをえずオベルンスブルクへ進軍した。無法行為はなく、あくまでも両軍が勝敗を決するために戦った。そういう前提が必要だったのである。

 リックの強い意向は師団全員に伝わった。ゆえにオベルンスブルクを一直線に進撃するローライシュタイン大公国第六師団に不埒者は一人も現れなかった。


 バイヤーオベルン大公の住む宮殿は街の中心部にある。城壁を越えた後の街並みは他国となにも変わらない。道行く人々は整然と進撃するローライシュタイン大公国軍を自軍と見間違うほどであった。

 やがて宮殿の門が見えた。

「全軍散開し、敷地を包囲せよ」

 リックの号令が響いた。

 すると、それに合わせたかのようなタイミングで宮殿の扉が開き、中から鈍い銀色の甲冑をまとった騎士たちが現れた。その数は一個中隊相当。

 真ん中に立つ、浅黒い肌、黒い顎ヒゲ、スキンヘッドの一見して異人種と分かる巨漢が口を開いた。

「わしはバイヤーオベルン大公国近衛騎士団長ラドム・ゼン。貴軍はどのような権利があって他国の領土、しかも首都オベルンスブルクへ足を踏み入れたのか」

 これに答えるべく、リックは門の前まで足を運んだ。

「わたしはローライシュタイン大公国の軍司令官ザイドリック・ローライシュタイン。エルマグニア連邦を構成する友邦の代表者として、この戦役を終了させるために参った」

「他国の領土を土足で踏みにじった末に“友邦の代表者”と名乗るとは笑止千万。エルマグニア帝国の尖兵として大公の命を奪いに来た、正直にそう言えばよいではないか。もっともここは決して通させぬが」

「それは違う。帝国の尖兵に成り下がったのなら、なぜ我々は単独で来た? 帝国遠征軍の一部となるほうがはるかにたやすく事を進められるはずだ。だが、我々はそうしなかった。どうかわたしを信じてもらいたい。この親書をウォルフ・バイヤーオベルン大公閣下にお渡しいただけないだろうか」

 リックはあらかじめ用意してあったエリーゼ直筆の親書を取り出した。

「そのような目眩しは不要。今ここで決着をつけるのみ」

 団長ラドム・ゼンを始めとした近衛騎士団が剣を抜いた。ラドム・ゼン以外は全員がこの国の出身者という風貌だった。

 そのとき「待て!」といういかめしい口調の命令が宮殿奥より響いた。ウォルフ・バイヤーオベルン大公の声だった。まもなく大公が横に護衛のユリエッタを従えて姿を現した。近衛騎士団全員が直立不動の姿勢で敬礼を捧げた。

「リック殿。わしは残念でならない。ラドム・ゼンが語ったように、貴軍はすでにフォイエル・ドラスの走狗と化しておる。もし違うというのなら、それを証明せねばならない」

「姉エリーゼの親書をお読みいただき、それでもなお信用に値しないというのであれば、戦って雌雄を決するのみです」

 リックの決意は十分に伝わったらしかった。

「なるほど、ではとりあえずその親書に目を通すことにしよう」

 鉄柵の門を介して、親書が手渡された。近衛騎士が大公の前でひざまずき、恭しく親書を献上した。

 バイヤーオベルン大公は無言でそれを開き、読み始めた。


大陸暦九三七年六月九日


 謹啓、ウォルフ・バイヤーオベルン大公閣下


時候の挨拶 ~省略~


 今回もしローライシュタイン大公国がバイヤーオベルン大公国とともに連邦離脱を画策したとしても、帝国との戦力差はいかんともしがたく、いずれ敗北するであろうことは必定です。仮にその敗北までの間、戦い抜いたとしても、国土は荒れ、領民は路頭に迷う結果となってしまいます。国を統治する者として、それはできないという結論に至りました。どうかご理解ください。

 元首フォイエル・ドラスは連邦のいたるところに間諜を配しており、秘密裏にどのような計画を立てようともそれはたちどころに帝国側に伝わってしまいます。その状況下において、ローライシュタイン大公国が取れる手段は限られています。ゆえに帝国内部に残留し、講和を主導して友邦であるバイヤーオベルン大公国が妥協できる条件を引き出すことが最善の策であると判断しました。講和を主導するにはこの戦役においてローライシュタイン大公国単独で目覚ましい成果を上げる必要があります。それが軍司令官ザイドリック・ローライシュタインを派遣した理由です。

 ウォルフ・バイヤーオベルン大公閣下が賢明な選択をされることを願います。 敬白


 エリーゼ・ローライシュタイン 署名


 それはとても心のこもった親書であるとバイヤーオベルン大公は理解した。今ここで戦いを終わらせる決断もできよう。しかし・・・・

 国を統治する者として、最善を尽くしたと子孫に語り継げるのか。戦わずして国を消滅させた愚かな君主として、後世の歴史家に著述されること、それだけは我慢ならなかった。

「ザイドリック・ローライシュタイン司令官、わしはこの国を統治する者として、最後の戦いに臨みたい。それは君主としての誇り、いや、この国が確かにここにあるという証明に他ならない。受けてくれるか」

「もちろんです」

 リックはバイヤーオベルン大公の胸の内を悟った。

「近衛騎士団、前へ!」

 ウォルフ・バイヤーオベルン大公の声が響いた。

「ウォオォォ─────────!」

 大男たちが重低音の喚声で応じた。

 ラドム・ゼン近衛騎士団長はこのときを待っていたのかもしれない。

────異人種だったわしにバイヤーオベルン大公は何の分け隔てもなく接してくれた。そして今では近衛騎士団長に抜擢するまで評価してくださった。ここで大公閣下のために命を捧げることこそ我が本懐。何の後悔があろうか。

 ラドム・ゼンは並みの騎士とは違う重武装の甲冑に巨大な戦斧(バトルアクス)を構えて、合戦の合図を待った。

 リックは敵近衛騎士団の人員を数えていた。一九八名だった。ならば、こちらも同数で戦うのが信義というもの。

「ドラガーニャ・ジーヴェルト騎兵大隊長! 重装甲騎兵一九七名を選抜し、これを率いて騎士道精神を尊び、戦えッ!」

「はい。ジェネラル閣下!」

 ドーラは即応じた。彼女の胸は高鳴っていた。これほど重要な局面において自分が選ばれたことが堪らなく嬉しかった。すぐに選りすぐりの騎兵一九七名を選抜し、門前で隊列を整えた。

 選ばれなかった重装甲騎兵たちから不平の声が上がったが、ドーラがにらむとすぐに声はやんだ。


 鉄柵の門が軋みながら開かれた。ドーラを先頭に重装甲騎兵一九七名が前進を開始。次にリック、アーヤ。そして他の兵士たちが続いた。

 バイヤーオベルン大公の宮殿中庭では臨戦態勢に入った計三九六名の騎士たちが対峙していた。リックは「騎士道精神を尊び、戦え」と命じた。それはすなわち一対一を遵守すること、敗北し、継戦の意志がない相手に対して戦闘を続けないこと、その二つであった。

 中庭中央部ではドーラとラドム・ゼンがこれ以上ないというほど接近してにらみ合っていた。

「なんだぁ、わしの相手は女か。“戦場の銀狼”だか女狐だか知らねえが、一撃で音(ね)を上げて逃げ出すんじゃねえだろうな」

「ああん? だれに物を言ってる。ハゲが調子に乗るなよ。その女に叩きのめされて地獄でむせび泣くがいいわ」

 まさに一触即発の事態だった。身長約二メートルの巨漢ラドム・ゼンと一九〇センチの女傑ドーラが向き合うとそこだけ空間が歪むような凄まじいオーラが漂った。

 バイヤーオベルン大公とローライシュタイン司令官、二人が同時に手を挙げた。それを合図に戦いの火蓋が切られた。

「おまえたち、死力を尽くせ! 骨はあたしが拾ってやる」

「イエス、マイレディ!」

「ここをやつらの墓場とせよ。近衛騎士団の誇り、実力すべてを余すところなく示せ!」

「イエッサー!」


 両軍が激突した。それは通常の兵士の戦いと本質的に異なる猛獣同士の近接戦闘だった。両者ともに甲冑の装甲は厚く、それほど容易く致命傷は与えられない。剣もしくは斧が主戦兵器だが、斧は大振りになるため命中精度が低く、一方、剣は刺突攻撃でしか装甲を破れなかった。

 その戦法はドーラVSラドム・ゼンでも同じだった。ドーラの剣は特別製で刃が薄い通常の剣と違い、底が深い皿を二枚貼り合わせたような断面形状になっており、折れることはほとんどない。反面、刃に鋭さはなく、斬るよりも殴りつける意味合いのほうが強かった。だが、本人はこの剣を「アンブレイカブル(破壊不能)」と名づけてたいへん気に入っていた。戦場で剣が折れることはすなわち死を意味しており、アンブレイカブルは決して折れないと信じられていたことからドーラの良き相棒となった。

 戦闘開始から一時間ほどが経過し、戦いの趨勢は徐々にあきらかになりつつあった。ローライシュタイン大公国軍の重装甲騎兵中隊が優勢を取り始めたのである。すでに半数以上の兵士が継戦不能に至っており、勝利を収めた兵士もふらふらの状態が多数だった。しかし両者とも一対一の戦いに徹し、降伏した相手にとどめを刺さないことは徹底していた。誠に騎士道を重んずる戦いだった。

 そんな中、疲れを知らぬかのごとく、ドーラとラドム・ゼンがなお戦っていた。お互いに致命の一撃を繰り出すことはできず、攻防は一進一退。二人の甲冑は半壊状態で血に染まっていた。だが、だれもそれを止めようとする者はいなかった。もちろん、止めて止まるものではない。まして両者の勝敗がイコール軍の勝敗につながるのだから退けるはずはなかった。

 ラドム・ゼンの渾身の一撃がドーラの肩に当たった。しかしそこはもっとも装甲の厚い箇所で、確かにその装甲を貫き、傷を負わせたのだが、ドーラはそれを狙っていた。

「ぬうっ、なんだ、斧が抜けん」

 ラドムが狼狽したようすで叫んだ。

 ドーラはニヤッと笑い、正確にラドムのわき腹を剣で貫いた。

「おおうっ・・・」

 苦痛にうめき声を上げて、ラドム・ゼンはガクッと膝をつき、前向きに倒れ伏した。ドーラはゆっくり立ち上がった。

「・・・とどめを刺せい」

 顔を上げてラドムが言った。

「あたしは騎士だ。戦えない相手に手は下さない」

「主の前でぶざまに敗北し、この上、名誉ある死さえも取り上げようというのか」

「なに言ってんの。あんたは死なないよ。あたしは致命傷を負わない箇所を選んで突いたんだから」

「なんと!」

 ラドムは悔しそうにつぶやいた。

「・・・わしの負けだ」

「そこまでだ!」

 バイヤーオベルン大公の一声だった。

「ラドム・ゼンよ、よく戦った。わしはそなたの忠誠を終生誇りに思うことであろう」

「うっ、ううっ・・・大公閣下、申し訳・・ありません」

 立っていた兵士全員が武器を収めた。


「ザイドリック・ローライシュタイン司令官、どうやら我が軍は敗れたようだ」

 淡々とした表情でバイヤーオベルン大公がそう口にしたとき、それを制止する者が現れた。

「軍は確かに敗れました。しかし国はまだ敗れていません。大公閣下がご健在だからです」

 ユリエッタの声だった。彼女はつかつかとバイヤーオベルン大公の前に歩み出た。

「ザイドリック・ローライシュタイン司令官、わたしはバイヤーオベルン大公国が敗れたなどと今でも思っておりません。バイヤーオベルン大公に手をかけようというのなら、わたしが最後の砦です」

 そう言って剣を抜いた。

「ユリエッタ・・・」

 バイヤーオベルン大公が止めようとしたが、彼女に応じる意思はなかった。

「奇跡の白騎士だ・・・」

 敵味方ともなく声が上がった。

 これ以上の戦いは無意味でしかない。リックはそう告げるつもりだったが、聞き入れるはずはないと思い直した。

 アーヤが前に出た。リックの側を向いた。

「ジェネラル閣下、わたしに対戦の許可をお与えください」

 リックは思案した。もしアーヤが敗れるようなことがあれば、ここまで綿密に組み立てた計画が根底から崩れる可能性がある。だが、戦う意志を明確に示しているユリエッタをどのように鎮められるというのか。たとえ「奇跡の白騎士」でも大人数で戦えばおそらく勝てるだろうが、それは騎士道精神を尊び、この戦いに終止符を打つという当初の目的とかけ離れた結末。バイヤーオベルン大公も納得しないだろう。

────やるしかないのか。

「・・・了解した。アーヤ・エアリーズ連隊長、おまえの力を信じよう」

 アーヤは右手を九〇度に掲げて敬礼した。


 ついに本戦役、最終決戦の舞台が整えられた。バイヤーオベルン大公国随一の剣士、「奇跡の白騎士」ユリエッタVSローライシュタイン大公国屈指の戦士、あかがね色の髪をなびかせたアーヤ・エアリーズ。白と赤の対戦だった。

 両者ともに女だが、その体格には明確な差がある。身長一六〇センチ台半ばで発育の良いアーヤと身長一六〇センチ未満、スレンダーな体型のユリエッタでは一見勝負にならないような印象を与えた。しかるに勝負の世界はそれほど単純ではない。

 お互い甲冑をまとい、剣を持ち、盾とヘルメットは無しというのが共通項だった。ユリエッタの剣は一風変わっていた。刀剣の柄が異様に長いのだ。おそらく通常の倍以上ある。だが、彼女の構えを見て、アーヤは合点がいった。柄の両端を握ることで打撃力を大幅に増幅させることができる、それは非力な者が使うのに極めて適した形状だったのだ。しかも、もっともブレードから離れた柄頭を片手で握れば、容易にリーチを伸ばすこともできる。つまり、変幻自在な戦術を取るのに最適の剣といえた。ユリエッタはこの剣を「ワルキューレ」と呼んでいた。

 戦いはお互いの間合いを計るところから始まった。予測不能の相手とはいえ、アーヤは己の本分から外れた戦い方を選択するつもりはなかった。剣を正眼に構えて、ユリエッタの癖を見抜こうとする。こうなっては、前回短時間でもユリエッタと対峙したことはプラスに働いたといえるのかもしれない。動きが読めない相手でも「動かない」ということはありえない。その動きから次の一手を予測する。

 しかしユリエッタはそんなに甘い相手ではなかった。まったく動きがない状態で、次の瞬間にはもう突きが出てくる。それをかわせばそこには先んじて横からの打ち込みがあった。アーヤはぎりぎりで逃れたが、一瞬でも遅れれば首を取られてもおかしくなかった。

 ユリエッタの瞳が赤く燃え始めた。顔に狂気にも似た微笑が浮かび、簡単に狩れない獲物を楽しんでいるようすにも見えた。

 アーヤは間合いを広く取って、いったん戦い方を再構築しようと決めた。


────ユリエッタの動きを読むことは不可能。ならばどうする? このまま防御を続けても活路は見出せない。打って出るか? しかし・・・

 逡巡しているうちにユリエッタが迫り、上段から渾身の一撃が振り下ろされた。ユリエッタにしてはめずらしく単純な攻撃だったため、アーヤはそれを回避しつつ、突きを放った。ユリエッタは蝶のように舞って、最小の体捌きでアーヤの突きをかわした。

────! ! ?

 これが最初の疑問だった。

 何度か剣を交えて、アーヤは次の機会を待った。

 数分後にそれはおとずれた。アーヤの全力が込められた剣撃を受けてユリエッタはバランスを崩した。

────これだ!

 アーヤは剣をスイングさせて、ユリエッタの足を払おうとした。その瞬間のこと、ユリエッタはすばやく体を跳躍させて、アーヤの横一閃をやはり最小の体捌きでかわした。

────間違いない!

 アーヤは確信した。

────このコはこちらの動きを先読みできる!

 おそらく数秒先までだと思われるが、ユリエッタは相手の動きを予測するのではなく、先読みができるのだ。だから、突きも足払いも最小の動きで回避できた。通常、この二つの攻撃を受けた場合、ぎりぎりで避けるような防御方法は取らない。読みが外れて食らってしまった場合、致命的なダメージになりかねないからだ。だが、ユリエッタは何の躊躇もなく最小の体捌きでかわした。剣の軌道を先読みできるからにほかならない。

────ならば・・・

 アーヤは剣を体の中心線に置き、最小限の動きで防御できるよう工夫した。


────チャンスは一度だけ。それに失敗すれば、もう後がない。でも、やるしかない。

 防御に徹したアーヤを崩すのは先読み能力を有するユリエッタでもかなりの難事だった。体格はアーヤのほうが上回っているので、ただの攻撃では剣の受け流しで容易に打撃を吸収されてしまう。

────ユリエッタの構えが大きくなったときが好機だ。タイミングを見計らって・・・

 焦れたユリエッタが柄の両端を握って、最大攻撃力を発揮できる姿勢を取った。斜め中段の構えに入ったその刹那、アーヤは握っていた剣をユリエッタめがけてダーツのように投げつけた。この動きさえもユリエッタは先読みして体をかわし、アーヤの剣は無人の宮殿階段付近に虚しく飛んでいった。

 しかしなぜこんな無意味な攻撃を仕掛けたのか、それがユリエッタには分からなかった。その一瞬の疑問と視線を剣の行方に向けてしまったことがユリエッタの敗北を決定づけた。

────アーヤがいない!

 突如視界から消えたアーヤの姿を探してユリエッタの視線は虚空をさまよった。

 再びアーヤの姿を視認したとき、ユリエッタは組み付かれて押し倒されていた。アーヤはマウントポジションを取った。両手でユリエッタの二の腕を押さえつけたため、ユリエッタはもうなにもできなかった。

「卑怯だわ。あなたは!」

 ユリエッタが怒って罵声を投げかけたが、アーヤは動じなかった。

「戦場で卑怯と訴えれば、相手が情けをかけてくれるとでも?」

「情けなんて求めてない! わたしはこんなやり方認めないって言ってるの」

「わたしはこれ以上の戦いこそ無益だと思うのだけれど」

「その通りだ」

 バイヤーオベルン大公の声だった。

「我々の敗北だ。ユリエッタ、素直に認めよう」

「お父様・・・」

 ユリエッタは涙を流した。ローライシュタイン大公国一同が驚きの表情を見せた。ユリエッタはバイヤーオベルン大公の娘だったのだ。


 すべてが終わりを迎えた。戦いはやみ、そこに集っているのはかつての友邦の仲間たちに相違なかった。バイヤーオベルン大公はローライシュタイン大公国第六師団の構成員全員を丁重に迎えた。リックたちも「戦勝国」のようなそぶりはいっさい見せなかった。全員が敵も味方もなく負傷者の手当てに力を注ぎ、戦死者の霊を弔った。

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