第六章 エアリーズ・プラン

大陸暦九三七年六月二一日夕刻

 森林地帯の前面に到着したローライシュタイン大公国第六師団はそこで野営準備に入った。テント内でアーヤは総司令部から受け取った詳細な森林地帯の地形図に一マスがちょうど一メートル単位になるよう格子状の線を引いた。そして地図の縁に縦「ABC・・・」、横「123・・・」の順に文字を書き込んだ。これで情報を共有できる。

 六月二二日早朝、もっとも観測能力が高い師団所属の兵士を一〇名選抜、アーヤが指揮を執り、偵察に出ることとした。敵に視認されては元も子もないので、全員が緑色のカモフラージュ用マントとフードを着用、音を出さないよう戦闘装備はナイフ以外全て外した。各自手には望遠鏡と地図の写しを携えている。

 出発間際、ドーラとラフィーが心配して会いに来た。

「アーヤ、無事に帰ってきておくれよ。あんたがいない師団なんて、そこはもうあたしのいる場所じゃない・・・」

 ドーラはかなりの心配性だ。一方ラフィーにはまるで緊張感がない。

「ドーラは心配しすぎ。ただの偵察なんだよ。しかも遠距離から望遠鏡で覗くだけなんだから、簡単なお仕事よね♪」

 そこまで簡単だとは到底思えなかったが、ラフィーの屈託のない笑顔に思わずアーヤは苦笑いしてしまった。

 いよいよ出発のときが来た。見送るリックに対して、アーヤ以下十一名は右手を九〇度に掲げて敬礼した。賽は投げられたのだ。

 物音を立てぬよう細心の注意を払いながら、一行はバイヤーオベルン大公国の警戒小隊が布陣しているであろう森林の奥地へ歩を踏み入れた。最初は時間短縮のため小道沿いに進み、1/4ほど入ったところで小道を逸れ、散開行動へ移行した。各々が姿勢をかがめて僅かずつ前進する。言葉はいっさい交わさず、手話のみで会話を成立させる。


 歩きながらアーヤは手元の懐中時計を見た。森林内に浸透して二時間が経過。

────いた!

 望遠鏡をのぞいていたアーヤが最初に敵影を発見した。バイヤーオベルン大公国の警戒小隊だ。おおよそ一〇メートルから二〇メートルおきに人員を配置して、主に複数ある小道を見張っている。相手側は必要ないと判断したのか、望遠鏡を携えていない。好都合だ。

 さっそくアーヤは地図に敵警戒小隊員の配置場所を書き入れていった。部下たちも黙々と仕事をこなしている。監視任務につく敵小隊員にもそれぞれ癖があり、まったく動かない者、数メートルの間を暇つぶしにうろうろする者、持ち場を離れて仲間と談笑する者など、定型がない。

 本来の持ち場と予想される場所を地図に記した後、さらにアーヤは敵小隊員各々の癖、移動地点を書き入れた。これが重要な意味を持つのだ。

 そのとき、アーヤは背後にひとの気配を感じた。すぐに動きを止めて、フードを目深にかぶり、大自然に溶け込む。そっと様子を窺うと敵警戒小隊員のひとりが散歩をしていたことに気付いた。幸い、相手はこちら側を認識していない。このまま通り過ぎてほしいと願ったが、それは相手次第。アーヤはナイフを抜き、いざとなれば倒すしかないと決意を固めた。

 だが、ここで敵兵を倒せば、仲間が捜索を始める。警戒行動もいっそう強化されるだろう。計画が根底から覆る事態は避けたいのが本音だった。

 運はアーヤに味方した。敵兵は何事もなかったかのようにアーヤから少し離れた場所を通り過ぎて、本来の持ち場に戻っていった。アーヤは胸をなでおろした。

 一刻後、アーヤと一〇名の部下は偵察を終えてその場を後にした。敵に気付かれない場所まで後退し、それぞれが書き込んだ地図を照らし合わせた。やはりというべきか、観測ミスが数件発見されたが、それも確実に是正された。敵警戒小隊の総数は小隊長を含めて四五名。これを一人残らず討つことが今求められているのだ。


 急いで野営地に戻ったアーヤはリックへの帰還報告を済ますと即時行動を起こした。ラフィーとその部下のSクラス弓兵に招集をかけたのだ。だが、いっこうに集まらない。業を煮やして呼びにいくと、ラフィーは部下たちとともにお弁当を広げて昼食を取っていた。

 これではまるで遠足ではないか。あきれているアーヤを尻目にラフィーは優雅な食事を続けた。

「ラフィー、あなたねぇ・・・」

「あっ、アーヤ、あなたも食べてく?」

 怒りを抑えながらアーヤはこれから始まる戦の段取りを伝えた。

 昼食を取っているラフィーの部下たちは皆Sクラス弓兵でその数は七名、全員がラフィーの血縁者で女だった。なぜ彼女の家系だけに特殊な才能が受け継がれているのかだれも分からなかったが、それを活用できるときは今この瞬間に迫っていた。

「よーし、エネルギー充填一二〇パーセントだ」

 ラフィーが立ち上がった。部下たちも一斉に戦闘準備を開始する。複合弓を手に森林地帯手前までゆっくり歩いていった。すでにラフィーたちの精神集中は始まっていた。アーヤが示した地図を確認すると、だれがどの標的を担当するか話し合いで決めた。

 移動している敵には三本ぐらい撃ち込む必要があることから、彼女らは一気に一〇斉射すると決めた。八名×一〇斉射、すなわち八〇本の矢が飛ぶことになる。

 この攻撃に合わせて、アーヤもまた戦闘準備を進めていた。確実に全員を討ち取ったか、現地で確認しなければならない。一人でも逃せば計画は破綻する。連弩を背負ってアーヤは一人現地へ走っていった。ラフィーには一時間後の斉射を指示してある。敵警戒小隊の位置は分かっているので、今度は一時間で辿り着けると判断したが、それは正しかった。


────来る!

 アーヤが連弩を片手に物陰に潜んでいると、ついに恐怖の旋律が始まった。上空から音もなく飛んできた矢は次々に目標をヒット、敵警戒小隊員たちはなにが起きたのかさえ分からぬまま、それぞれの持ち場で絶命した。歩いている者にも容赦なく矢が突き刺さる。一本目が外れても大抵の場合二本目、三本目で決着がついた。先ほどまで動いていた者がその姿勢のまま突然動かなくなる。それはまさに「死の舞踏」だった。

 しかしアーヤが危惧した通り、敵が想定外の行動を取ったため、命中しない事例が発生してしまった。三名が死を逃れて、あわてたようすで逃走を開始した。

────まずい! このままでは。

 連弩を構えて、そのうち二名を倒した。だが、最後の一人だけは樹木の死角に入ったため撃てなかった。まもなく蹄の音が聞こえた。

 今回の作戦は一人でも討ち漏らせば、破綻につながる。

「くっ!」

 連弩の照準を合わせて、遠い視界に入った馬上の敵兵を撃ったが、すでに射程外だった。アーヤはその場にへたり込んだ。リックの信頼を裏切ってしまった自分が許せなかった。

 そのときだった。視界の彼方で敵兵が落馬する姿を目撃した。どういうことだろうか。急いで駆け寄ったところ、肩から心臓にかけて垂直に矢が刺さっていた。まさかと思ったが、こんな芸当ができるのはラフィーしかいない。


 野営地に戻ったところで、ラフィーを見つけ出し、そのことを問うた。

「わたしは正確な距離がつかめなくても、ターゲットが一つなら、それを感じ取って当てることができるの。なんでだろうね。自分でも分かんないや」

 照れ笑いするラフィーが愛おしくなって、アーヤは思わず彼女を抱きしめた。

「あっ、いいなぁ。アーヤ、あたしのことも抱きしめてよ」

 ドーラがやってきて感動に水を差した。



「騎兵大隊、前へ!」

 リックが叫んだ。ついに森林地帯を踏破する準備が整った。これからは時間との勝負だ。バイヤーオベルン大公国軍が異変に気付き、第二戦線から戦力を引き上げれば全ては水泡に帰する。

 第六師団は縦列行軍隊形を取り、騎兵大隊を先頭に移動を開始した。六月二二日夜半前に森林地帯の縁へ達したので、リックはここで野営の指示を出した。森林地帯を完全に抜け出してしまっては敵に勘付かれる可能性があるからだ。

 焚き火も禁止されたので、暖かい食事を取ることができない。とくにラフィーは不満げだったが、やむをえない選択と受け入れた。


 長い一日だった。

 騒がしい兵たちの談笑から独り距離を取って、アーヤは緊迫した局面の連続だった六月二二日を振り返った。緊張感が持続してそのときはなにも感じなかったが、こうして一日の終わりに差しかかると疲れが一気に押し寄せてきた。

「アーヤ、起きているか」

 突然声がかかった。振り向くとそこにはリックが立っていた。アーヤはあわてて立ち上がり、直立不動の姿勢で右手を九〇度に掲げて敬礼した。

「ここではそんなことをしなくていい。座って少し話そうか」

 大公国軍司令官が一連隊長などに何の話があるのだろうか。

「アーヤ、今日一日、本当によくやってくれた。まさか森林地帯を通過するプランが実現するとは思いもよらなかった」

「はい。それも間接射撃可能な弓兵がそろっていたからです。わたしの力ではありません」

「いや、的確な用兵術こそ勝利条件の礎だ。クライスト戦闘教官が褒めていたぞ。アーヤの戦況を読む力は超一流だと」

「・・・そんな」

 アーヤは赤面して頬を両手で隠した。

「だがアーヤ、わたしはそれを言いに来たのではない。ぜひこれだけは知っておいてもらいたいと思ったのだ」

 そしてリックは小声で父の死について語った。それが指導者フォイエル・ドラスの謀略だとすれば、そんな話を伝えられるのは絶対に信頼できる相手だけだ。城内でさえ密偵が潜んでいないという確証はない。ゆえにリックは屋外を伝達の場所に選んだのだ。


 全てを聞き終えて、アーヤは問うた。

「ジェネラル閣下 ───」

「リックでいい」

「いえ、そんな身の程をわきまえぬ呼称は使えません」

「気にするな。毎回“ジェネラル閣下”と呼ばれてはこちらも心が休まらない」

 困った顔でアーヤはうつむいた。

「・・・皆が・・その・・見ている前で・・・“リック”などとお呼びするのは・・誤解を招くような・・・」

「誤解? なにが? 親しい仲間は皆リックと呼んでいる」

「・・・・」

 アーヤは気を回しすぎたのだ。

「・・・はい。では、リック・・様と呼ばせてください」

 精いっぱい譲歩して、アーヤは新しい呼び名を受け入れた。と同時に“親しい仲間”という括りに入れてもらえたことがアーヤにはとても嬉しかった。

「リック様 ───」

「うん?」

「なぜわたしにそんな重要なことをお話しされたのでしょうか?」

 リックはしばし沈黙し、やがて過去を振り返るように語り出した。

「初めて会ったとき、わたしがこう言ったことを覚えているだろうか。魂を燃やし決断できる者、それこそが我が仲間に相応しい」

「はい、よく覚えております」

「それはわたしの言葉ではない。一言一句同じではないが、父が残した箴言なのだ」

 そしてリックは一三歳の自分がロ帝戦争で体験した父のエピソードを話した。

 アーヤは静かに耳を傾けていた。

────今のリック様を構成する要素はお父様を失ったことに対する怒りと悲しみ。わたしにそれを癒すことはできるのだろうか。

「親しい仲間と確信したからこそ話した」

 リックの言葉がアーヤの想いを中断させた。

「フォイエル・ドラスの前で直接問い質す。嘘偽りなどいっさい許さない!」

 怒りの炎が自分自身さえも焦がしてしまうのではないか、ふとそんな危惧がアーヤの脳裏に浮かんだ。

────いや、そのときにはわたしが代わりに燃え尽きればいい。そのときが来れば・・・

「おそらくあと数日でこの戦役には決着がつく。アーヤには最前線で戦ってもらうことになるだろう。その最終局面において、バイヤーオベルン大公とその関係者の命を奪うことは絶対に避けてもらいたい。バイヤーオベルン大公は前回のペンタルキア出席者であり、その協議内容を知る貴重な生き証人でもあるのだ。投票では只一人、フォイエル・ドラスに同調せず、棄権した。この戦いをローライシュタイン大公国主導で終わらせて、バイヤーオベルン大公とのパイプを再構築する。それが今回のわたしのねらいだ」

「かしこまりました。ご下命必ず達成いたします」

「頼んだぞ ───」

 それだけ伝えるとリックは立ち上がり、アーヤの許を去った。日付はすでに六月二三日に入っていた。

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