第五章 西方機動戦 起

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基本情報:

 エルマグニアを構成するランド五ヶ国はそれぞれ常備軍を保有しているが、所属師団数には差があり、現在のところ帝都ジースナッハには一〇個師団、ベアヴォラーグ同盟には五個師団、それ以外の大公国には各三個師団が所属している。このように国力の違いがそのまま戦力の差となって表れており、実態として五ヶ国は平等の立場ではなかった。

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大陸暦九三七年六月二〇日

 バイヤーオベルン大公国を除く四ヶ国から派遣された計五個師団(帝都ジースナッハは二個師団を派遣)がベアヴォラーグ同盟西方のバイヤーオベルン大公国国境付近に集結した(挿絵:西方機動戦_戦況図1参照)。https://yahoo.jp/box/7D9egd

 やはり帝国の標的はバイヤーオベルン大公国で間違いなかった。

 帝国軍全体の指揮を取るのは帝都ジースナッハで前元首ディアール・レキシントンの時代から参謀総長を務めるハルツ・フェルドナー、五三歳。いつも気難しい顔をした軍事の専門家であり、その堅実な部隊運用には指導者フォイエル・ドラスも一目置いていた。

 ローライシュタイン大公国はこの重要な戦いに際して、領土防衛とは異なる遠征型の師団を編成する必要に迫られた。具体的には経験値の高い騎兵を主軸として、間接部門も含めた全員が移動手段を騎馬および輓馬(ばんば)に求める部隊である。

 大公国に所属する第一、第二、第三師団は第一軍団を構成し、その指揮官は大公国騎士団長ライゼル・ハウスホーファーが務めている。今回、国軍司令官ザイドリックは既存の三個師団から人員を抽出して新たに第六師団を編成した。なぜ第四師団ではなく、第六師団と命名したのかといえば、それは大公国樹立直後の黎明期に第六師団が勇猛果敢な戦いで名をはせた故事にならったからである。

 その第六師団指揮官には異例の国軍司令官ザイドリックが就任、第一連隊長兼師団長補佐官にはリックの指名によりアーヤ・エアリーズが着任した。その第一連隊にはラフィーとドーラがそれぞれ弓兵大隊長、騎兵大隊長として加わっている。これまでは中隊長だったが、実績を評価されて、今回大隊長に抜擢されたかたちである。リックが留守中の大公国を防衛する指揮官として、エリーゼはライゼル・ハウスホーファー第一軍団長を指名した。


 現地に到着して野営の準備を済ませるやいなや、さっそくフェルドナー参謀総長から各国の遠征師団指揮官に召集がかかった。指揮官は通常、補佐官を一名帯同させることができる。リックがアーヤを伴って歩いていると、ローライシュタイン大公国北部に位置するラウスベイ大公国の遠征師団指揮官が近づいてきた。その姿を見て、リックは少しだけ渋面を作った。君主オーガスト・ラウスベイ大公の一人息子マティアスだったからだ。彼とリックは旧知の仲だった。リックが二〇歳なのに対してマティアスは二六歳、決して歳が近いわけではなかったが、両大公国ともに東のテッサーラビウス帝国から脅威を受けていたこともあり、交流が活発化したのも自然の成り行きであった。


「ねえねえ、リック君」

 太っちょのマティアスは言葉遣いもだらしない。

「エリーゼたんは来ているの? ねえ、エリーゼたんはどこ?」

「姉は自国防衛の任についています」

「なーんだ。つまんないの。ひさしぶりにエリーゼたんのご尊顔を拝見できると楽しみにしてたのに。ちぇっ! ラウスベイ大公国の跡取りが来てるんだから、当然エリーゼたんもボクに会うためにやってくるべきだよね」

 このデブの発言は一々腹が立つ。

「お言葉ですが、エリーゼ・ローライシュタインは大公、しかしながら貴方はラウスベイ大公のご子息、失礼ながらお立場が異なるのでは?」

 精一杯の皮肉を込めて、リックは口撃を放った。

「ん~、違うなぁ、弟君。ボクはいずれ大公になる、必ずね。その前に両家が物心両面で親睦を深める。当然のことじゃないのかなぁ」

────こいつにはなにを言ってもムダだ。

 リックが無視してすたすた歩いていると、デブはすかさずアーヤに目をつけた。

「ねえ、君。リックのお供のひと? 赤毛がカワイイね。夜のお供もするのかな?」

 野営地でこんな破廉恥な言葉を聞くとは予想もしておらず、アーヤは困惑の表情を示した。

 そこへ踵を返してリックがもどってきた。さっとアーヤの手を握ると即座にUターンし、デブが追いつけない速度で走り出した。その勢いに一瞬面食らったアーヤだったが、すぐに慣れた。

────ザイドリック様

 その刹那、アーヤは幸せだった。


 参謀本部に着くと、ラウスベイ大公国以外の指揮官はすでに全員そろっていた。臨時に設営したテントだが、さすがに帝国軍は備えが万全だった。まるで室内にいるかのような設備が整えられており、大きなテーブルも設置されている。その中央に腰かけているのがフェルドナー参謀総長だった。

「うん? 君はローライシュタイン大公国の指揮官か。では、空いている席にかけたまえ」

 リックが着席するとその傍らにアーヤが立った。

 その直後、ようやくというべきか、マティアス・ラウスベイ指揮官殿が到着した。

「これで全員そろったようだな。では、帝国遠征軍の作戦会議を開催する。本会議の議長はわたしハルツ・フェルドナー、同時に作戦の最終決定権も当方に属することをあらかじめ通告しておく」

 軍は指揮命令系統を一元化して初めて機能する。ハルツ・フェルドナー帝国軍参謀総長が指揮を執ることに異存のある者はいなかった。

「諸君も知っての通り、今回の作戦は勝利を見通すのが非常に難しい。なぜなら、我々に敵対するバイヤーオベルン大公国を屈服させるには国境線に敷かれた長大なギアントム防壁を突破しなければならないからだ」


 膨大な犠牲者を出す攻城戦を想定して、一同はみな険しい表情になった。フェルドナー参謀総長が作戦地図をテーブル上に広げた。

「戦力の逐次投入は軍事セオリーに背いた愚策。ゆえに当職としてはギアントム防壁に対し威力偵察を複数回敢行して、もっとも防御力の低い箇所を推定。戦力を集中させてそこを突破したのち、全軍で一気に首都オベルンスブルクを攻略する計画を立案したい。諸君の意見を求む」

 リックが発言した。

「参謀総長閣下、意見具申よろしいでしょうか」

「もちろんだとも、胸の内を開陳したまえ」

「ギアントム防壁は南北に延びる防衛線ですが、南側は少し下れば森林地帯にぶつかって防壁が途絶え、さらに二日ほど行軍すると完全な平地に達します。つまり、U字型に行軍することにより攻城戦を避けてバイヤーオベルン大公国領内へ進攻できるのではないでしょうか」

 フェルドナー参謀総長はうなずいた。

「良い指摘だ。だが、我々の偵察によれば、バイヤーオベルン大公国軍はそれを想定して、南方に第二戦線を築いておる。防御陣地で待ち構える敵に正面攻撃をかければどのような結果になるか、貴殿も分かるであろう。しかも丸二日行軍することにより、間違いなく戦力・補給物資ともに減少する。よって上策ではないと当方は判断した」

 アーヤは作戦地図を凝視してしばらく考え込んでいたが、やがて手を挙げた。

 フェルドナー参謀総長が指差し、発言を許可した。

「南方の森林地帯を通ることはできないのでしょうか?」

 フェルドナーは困った顔で肩をすくめて見せた。

「ローライシュタイン指揮官、君のところの補佐官は素人かね? 森林地帯が軍の通行に不向きなことは軍事教本の第一ページに記されているよ。ここには教本がないから、わたしが教えてやろう。いいかな、森林地帯には整備された太い道も、平原のような見通しの良さもいっさいないのだ。あるのは曲がりくねった獣道や小道だけ。そこを無理に軍が通ろうとすれば、必然的に縦列行進となる。敵からすれば、いい的だ。地の利がある敵軍は少数の兵力でいとも簡単に我々の大軍を蹴散らすだろう」


 アーヤは冷静に質問を続けた。

「すると、敵は森林地帯にも兵力を配置しているということでしょうか?」

「ん? ギアントム防壁と南方の第二戦線に主戦力を配置しているのだから、戦場となる確率が低い森林地帯に兵力を分散配置する余裕などなかろう。おそらく警戒小隊を置いて、万一敵を捕捉した場合は即伝令が第二戦線に走るという手はずだろうな」

「では、警戒小隊は何個置いていると予想されますか?」

「この程度の森林地帯ならば一個小隊五十名で十分、それ以上配置すると現場指揮官が言い張ったら、わたしが上司なら首にするよ」

 アーヤは納得の表情を見せた。

「参謀本部にはこれよりも詳細な森林地帯の地図がありますか?」

 目の前の作戦地図を指して尋ねた。

「当然だ。情報戦において帝都ジースナッハの上に来るものはない」

 フェルドナー参謀総長の指示で部下の参謀が詳細な森林地帯の地図を出してきた。それはメートル単位の極めて正確な地形図であり、すぐにこのような地図を用意できるところにリックは内心戦慄した。

 一方アーヤは真剣な眼差しで地形図を見つめていたが、やがてかすかに笑みを浮かべた。

 リックの顔を正面から見据えてこう言った。

「ジェネラル閣下、わたしを信じていただけますか」

 リックは無言で首を縦に振った。

────アーヤ、おまえを信じよう。


 それを受けてアーヤは言明した。

「フェルドナー参謀総長閣下、ローライシュタイン大公国遠征師団は森林地帯を通過して、ギアントム防壁の背後に進攻、守備兵力を指揮する司令部に強襲をかけます」

「なに!?」

 アーヤの断言口調には百戦錬磨のフェルドナーですら心底驚愕した。

「貴殿は分かっているのか。先ほど大兵力は通過できないと説明したではないか。軍事セオリーを無視した作戦など成立しない。どうしてもやりたいというのなら、ローライシュタイン大公国遠征師団だけで従事したまえ。ただし失敗した場合、無謀な作戦を敢行した咎により処罰されることもありうる」

 アーヤは何一つ動じなかった。

「フェルドナー参謀総長閣下、わたしはアーヤ・エアリーズ連隊長に全幅の信頼を置いています。万が一失敗するようなことがあれば、それは全てわたしの責に帰すべきもの。どうかご認可を」

 リックの言葉にも迷いはいっさいなかった。

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