第三章 戦友

 大陸暦九三七年、現在。

 アーヤが近接戦闘用の連弩(れんど)で訓練を行っている。連弩とはクランク式のハンドルと肩付けの固定ストックが装備された機械式連発型|弩弓(どきゅう)であり、射程距離は短いが連続発射機能により複数の敵を短時間で無力化できる制圧射撃に特化した武器であった。

 構造上、連弩は下部にボックス型の弾倉が取り付けられており、一弾倉に二〇発の矢(しばしば「弾」と表現される)が装弾されている。一発撃つたびにリーフスプリングのテンションで次の矢が装填されるという仕組みだ。

 アーヤは立ち射撃の姿勢で一〇数メートル先に位置する、高さも奥行も、そして間隔も異なる一〇個の標的の中心に正確に矢を当てた。

 続いて今度は走りながらの射撃を開始した。戦場では静止射撃できる機会は少ない。ならば、移動と射撃を組み合わせた訓練はより実戦的ともいえる。照準器で標的を狙いつつ片手でクランクを回し、もう一つの手でストックを押さえながら引き金を引く、これで的を射るのは熟練兵でも難しい技術だ。結果、必ずしも標的の中心とはいかなかったが、それでもアーヤは残弾一〇発を全て的に当てた。驚異的な技量だった。

「見事!」

 声がかかった。後方で見守っていた戦闘教官クライストの一声であった。クライストはかつてローライシュタイン大公国で師団長を務めたが、今は引退して教官に就いている。すでに六〇歳を過ぎていたが、その戦術眼は鋭く、ザイドリックですら一目置くほどだった。そのクライストが驚嘆するほど、アーヤの技量は秀でていた。


 後ろからリックが視察にやってきた。

「これはジェネラル閣下」

 クライストが敬礼する。

「いや、気にするな。わたしもアーヤの練度がどれほどか見たくなって、やって来たのだ」

「アーヤはすごい素質を持っています。連弩だけではなく、長弓の腕前、接近戦の戦闘術、剣術に至るまで全ての項目で最上位の成績を上げています。しかし ────」

 クライストはいっそう真剣な表情になって続けた。

「アーヤの真髄はそこではありません。これまでわたしも見たことがないほど応用力、適応力が高いのです。想定外の事態、危機的状況に陥っても、そこで最善の選択ができる、的確に部下を指揮・統率することができる。これは彼女の資質というほかありません。これほどの才能を閣下はどこで見出されたのか、わたしはそれが一番知りたい」

 リックはなにも答えなかった。ただ、満足げに微笑むだけだった。


 連弩の訓練を終えて小休止のため武器を置いたアーヤはリックの存在に気付いた。恭しく敬礼を捧げたアーヤの元へ駆け寄る者がいた。

「アーヤッ!」

 屈託のない笑顔でアーヤに抱きついた亜麻色髪の小柄な少女ラフィーヌ・オークウッド(通称ラフィー)はアーヤと同じ一七歳、しかし見た目はアーヤよりも幾分幼く見える。そんな彼女だが、長弓の腕前は大公国屈指、数名しかいないといわれるSクラス長弓兵の評価を受けていた。アーヤはラフィーの訓練風景を見て、戦慄したことを思い出した。


 遠方に人間を模した標的が五体立てられている。それを一キロメートル離れた場所から射抜こうという常識では考えられない訓練が実施されていた。訓練参加者はラフィーただ一人。後方でリックとクライスト、それにオブザーバーとして臨席したアーヤが見守る中、ラフィーは「ふぅ~」と一息ついた後、メカニカルアシスト機能付の複合弓(コンパウンドボウ)を手に取った。それは梃子の原理で通常の弓矢の数倍威力を増した特殊な弓であり、習熟には高い適応性を必要とする。ラフィーは何年も前からこの分野で特異な才能を発揮し、ついには大公国屈指の使い手にまで上り詰めたのだった。

 それまでのおだやかな雰囲気が一変した。ラフィーが目をカッと見開いたのだ。ぶつぶつとなにやら独り言をつぶやいている。

「標的まで一〇二四メートル五〇センチ、仰角四三度、北西の風、風速二メートル・・・」

 これを標的毎に切り替えて五回くり返したのち、ラフィーは連続して斜め上空に五本の矢を放った。それらは放物線を描き、彼方へ消えていった。

 一刻後、四人は標的五体の頭部が極めて正確に貫かれている現場を見た。まさしく戦慄の光景だった。もっとも、射手であるラフィーはそのころにはすっかり元にもどってしまい、アーヤに抱きついてゴロゴロしていたのだが。


「ねぇ、アーヤ。今日の訓練は終わったんだよね。アーヤ宛の手紙が届いたから持ってきたよ」

 ラフィーの言葉にアーヤはすばやく反応した。

「見せて」

 それはSR社タンデスベルク工場よりのものだった。

 リックに救われてから、アーヤは真っ先にかつての勤務先へ手紙を書いた。元気でいること、今はローライシュタイン大公国軍で働いていることも書き添えた。返事はすぐに届いた。そこには皆が泣いて喜んでいることが切々と綴られていた。

 それ以来、タンデスベルク工場の元同僚たちとの文通は欠かさないのだ。嬉しそうに手紙を読むアーヤの姿をラフィーはニコニコしながら見つめていた。

「アーヤ、わたしの部屋でお茶にしましょう。とっても美味しい紅茶を手に入れたのよ」

 ラフィーはこんな調子でいつもアーヤのそばを離れないのだ。毎度のことにアーヤは少々困惑しながらも承諾した。


 二人が歩いていると、前から平服姿のドラガーニャ・ジーヴェルト(通称ドーラ)がやってきた。大柄で銀髪褐色の肌、騎兵中隊長として甲冑に身を包み戦う姿は鬼神のごとしであったことから、「戦場の銀狼」が彼女のあだ名だった。

 だが、ふだんのドーラはあだ名とは裏腹に女のコらしい服装、というよりもまるで似合わないフリル付のヒラヒラな服を好んで着る癖があった。本人はそれで一八歳という年齢にふさわしい見た目になっているつもりだったが、陰で一部の者から笑われていることに気付かないのが不幸であった。

「あっ、アーヤ!」

 ドーラはさっそくアーヤに気付いて駆け寄ってきた。

「あたしと遊ぼうよ。うちにおいで」

 ドーラもアーヤのことが大好きであった。

「ちょっと、アーヤはわたしと先約があるんだから、デカ女はあっちいってよ」

 ラフィーがむくれた顔でドーラを突き放す。

「なによ! 子供はおうちに帰んなさい」

 ドーラも応酬する。

「子供って何! 一歳しか違わないじゃない。それに、軍歴はわたしのほうが長いんだから、新参者こそお呼びじゃないの」

「何ィ!」

「うぬぬぬ・・・」

 ドーラとラフィーの視線が火花を散らす。

「待って、待って」

 たまらずアーヤが分け入った。

「三人で過ごせばいいのよ。ちょうどラフィーのお部屋でお茶をいただくつもりだったの。ドーラもどう?」

「アーヤ、待ってよ。わたしはこんなデカ女呼んでないから」

 ラフィーが不満を爆発させた。

「ラフィー、わたしの提案が聞けないの?」

 静かだが、厳かなアーヤの口調にラフィーはたちまち(ますます)小さくなって提案を受け入れた。アーヤを真ん中にして、三人は並んで歩いていった。


 これぞ女のコという部屋でテーブルを囲み、ラフィー、アーヤ、ドーラがお茶を飲んでいる。そこでまたラフィーの挑発が始まった。

「わたし知ってるんだからね。アーヤと初対面のとき、ドーラがどんだけ失礼な言動をくり返したのか」

「えっ、いや・・その・・・・それは・・・」

 しどろもどろになってドーラがうつむいている。

「だって、事実じゃない。ジェネラル閣下がアーヤを伴って第八連隊司令部を訪れ、連隊長に新任の大隊長だって紹介したとき、真っ先に不平を漏らしたのはドーラだよね」

「それだけじゃないわ。その後、隣国のテッサーラビウス帝国との間で国境紛争が起きて、第八連隊が派遣された際、指揮官の乗る馬車内でこうも言ったんだってね」

「やめて~! その話は・・・あたしが悪かったから。それにアーヤはもう許してくれたんだし」

「いいえ、言います。ドーラはアーヤの面前でこう言いました。『あたしはあんたを上官だと認めない。ジェネラル閣下が連れてきたから黙って従えって言うの? 飾り物の上官はお断りさ。こっちは中隊長として一〇〇名以上の部下の命を預かってるんだ。断言してやろう。この戦いであんたは消える。そしてあたしはいつものように生き残る。賭けてもいい』」

────ああ、そうだった。確かにそんなことがあった。

 アーヤは当時のことを思い出した。


 隣国のテッサーラビウス帝国とは大陸暦九三〇年の大規模な軍事衝突であるロ帝戦争以前、以降もしばしば国境紛争が起きている。それは国境警備隊同士の揉め事が原因の場合もあったし、国境協定の解釈を巡って争ったということもあった。一年前の国境紛争、それはアーヤにとって大規模な戦闘に参加した初陣であった。


 国境付近に配備された第八連隊は三個大隊によって編成されており、おそらく主戦場になるであろう地点がアーヤ・エアリーズ大隊長の受け持ち地域だった。戦場を確認して最適な指揮を取るため、アーヤは数名の部下ともに偵察に出た。その間の大隊の指揮はドーラに委任した。


 アーヤたちが出発して数刻後、昼過ぎぐらいに前線の雲行きが怪しくなり始めた。テッサーラビウス帝国軍が攻勢に出たのだ。彼らは別名「後退無き軍」と呼ばれており、その兵たちは勇猛果敢、猪突猛進型の典型であり、一度に大量の兵を動員して主導権を握るのが彼らの戦術であった。

 今回も同じく、うなり声を上げながら歩兵の大群がこちら側へ押し寄せてくる。この状況に焦りを感じたドーラはすぐさま弓兵に連弩の制圧射撃を命じた。

 だが、射程距離の短い連弩では遠くにいる敵を倒すことができず、制圧効果が不十分なまま、弾切れを起こしてしまった。弓兵はすばやく弾倉を取り替えて次の射撃準備に入ったが、この隙を逃す敵ではない。一気に距離を縮めて、こちら側の陣地に飛び込んだ。こうなっては弓は使えない。陣地内で白兵戦となり、各々が剣、斧などを使って壮絶な接近戦に突入した。

 もはやだれが指揮を取り、どのような戦術で対抗するのか、なにも分からなくなった。ただ目の前の敵を倒すこと、それだけが生き延びる条件となった。重装甲の鎧に身を包んだドーラは一兵士と同じ立場で押し寄せる敵を叩きながら、活路を切り開こうと必死に戦闘を続けた。


 突然、ドーラの周りの敵兵がバタバタと倒れた。連弩による正確な射撃だった。

 続いてよく通る声が響いた。

「弓兵は三名以上で結束し、連弩を捨て、長弓で敵の出撃拠点を集中攻撃せよ。騎兵はハリネズミの陣を敷き、弓兵を守れ。歩兵は必ず二人一組で一人の敵と当たれ。周りの敵は意識するな。常に数的優位を保て!」

 アーヤの声だった。偵察から戻ったアーヤは瞬時に自軍の危機を悟り、的確に指揮を取って戦線を安定させた。数的不利な戦闘には即時介入し、卓越した戦術でこれを挽回、敵を撃退することに成功した。味方の犠牲は膨大な数に上がったが、戦線を突破されて国土を奪われる最悪の事態だけは免れた。


 血に染まった戦場でドーラは己の不明を恥じた。敵がこちらの予想を上回った場合、何もできないのは自分のほうだった。アーヤは偵察から戻ってすぐに見事な指揮を取った。完敗だった。

「あたしの負けだよ。エアリーズ大隊長、あなたはすごいひとだ。あの状況下で部隊を立て直すなんて。どうか数々の無礼を許してください」

 神妙な顔で頭を下げるドーラを前にして、アーヤはにっこり微笑んだ。

「これからはアーヤと呼んで。それとドーラの対人戦闘にはびっくりしたわ。まさしく『戦場の銀狼』ね。こんな頼もしい仲間ができて、わたしも嬉しいわ」

 この日、二人の間に終生の友情がめばえた。

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