第2話 屋上
グランドで何か遊んでいる歓声が遠くから届く。日光に少し暖かくなった屋上の床に、仰向けに寝転がってわたしは、追うともなく雲の運行を目で追っていた。ツバメかなにかが素早く視界を切っていった。暖かいのは、ひとり日光ばかりのせいではない、わたしの体温も交換しているのだな。グランドではまた歓声があがる。雲はあんまり光を散乱する、だから青空はあんなに暗い。あちらから見下ろせば、人も建物も、みんな岩に自生する苔のようだろう。その苔の群生の一点に上空からの視点を空想するわたしがいる。人として人並みに重い身体を、青天井にひらかれた床にあずけて。
5年前、この屋上から飛び降りて死んだ女子高生がいた。当時わたしたちの中学校も彼女の話題でもちきりになった。一時はワイドショーのネタにもなり、招かれた精神科医か何かが解離性障害だった可能性を示唆していたのを覚えている。でも、病名をつけてみて、彼女の行動をもっともらしく説明してみて、何になっただろう。その病気に罹患する人や取り巻く環境の傾向を簡単に紹介したあと、司会はフリップボードを手に「近年この病気を患う方が増えているといいます」とカメラにそれを向け、「この事件には現代社会の闇が――
腹の底から怒りが湧いてくるのを感じてテレビを消した。彼女の死を、悲しい物語に落として、視聴者に何かを浮き彫りにしたような印象だけ残しながら、また新しい事件でそれを繰り返す。――当時のわたしは、現実のなかに座りのいい物語を差し挟もうとする行為に、すっかり辟易していたと同時に過敏にもなっていたのだと思う。
だから、彼女が最後の日に一度だけ書いた日記が好きだった。それもテレビを通じて知ったのだけど、物語に回収しようとする大人たちを嗤うように、平凡な日記を彼女は一日だけつけたのだ。昨日は誰と会って、どこへ行って、何をしたかとか、家に帰る途中でアイスクリームを買って食べたとか、毎日つけていたみたいに、どこまでも何でもない一日をその日だけ書いて、まだ生徒のまばらな朝の校舎の屋上に彼女はのぼった。
5年前、彼女がグランドを見下ろした屋上に、わたしはいま上体を起こして屋上の縁を見る。そこに立つ彼女を思い描く。彼女は容易に顕ってきた。柵に片手を置いて視線をまっすぐ水平に向けている。下を見ると足がすくむから。ゆっくりと体を倒していきながら、柵を持つ手のひらをひらいて、軽く縁を蹴っ――
着信が鳴る。
――どこいるのもう予鈴鳴ったよ
――つぎ移動教室だよ
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