カラマツとドレスシューズ
オリーブの実が色づき、サツマイモの葉がにわかに枯れ始めた頃、晩秋に映えるのは黄色く装ったイチョウとカラマツ。近付く静かな冬の前に美しく飾り付けた木々のお陰で心地の良い夜のことでした。私の部屋に木を削るしゃりしゃりという音が響き、クロエさんは椅子の上に素足を投げ出して退屈そうに本を読んでいます。
「まだやるのか?」
「もうちょっとやりましょう。早い方が良いですし。」
ことの発端は数日前のことです。
クロエさんの靴を作るため親方のところを訪ねました。ジェシカさんと奥さんはクロエさんを見るやいなや色めき立ち、半ば連れ去るような形でショッピングに出掛けました。冬物を買うそうです。
「俺にはわかんねぇけど、色々着せたいんだってよ。」
「着せ替え人形みたいなものですかね。」
その様子を私と親方は呆然と眺めていました。
「んで、なんだっけ」
「クロエさんの靴を作って貰いたくて。」
「可愛いドレスシューズ、ってわけじゃねぇだろ。」
「はい。登山靴です。」
「そうか...まぁ座れよ。」
親方は丸椅子を勧めてくれました。長く使っているので表面がつるつるです。
「まだ、谷に行くつもりなのか。」
「そうですね。決意は固いようです。もし行くことなったとしたら、一番大切なのは靴ですからね。良い物を履いて、慣らしておかないと。」
「そうだなぁ。足に合わなかったら作り直さなくちゃならんしな。最初に買う物としては正解だ。良いぜ。作ってやる」
「ありがとうござい」
「だけどな、条件がある。」
親方は真剣な目付きで私を見据えました。
「靴の木型、お前が作れ。」
「えっ、でも、」
木型作りは工程の中でもとりわけ重要なものです。何人もいる親方の工房でも、ベテランの二人しかその作業はしません。
「大切な足元預かるんだ。ぽっと出のおっさんより、長い時間一緒に過ごすお前の方が適任だろ。責任重大だぞ。」
親方は引き出しを開け、のみや鉋などの道具を取り出しました。
「もう、持ってねぇだろ?俺の使って良いからよ。どんだけ時間掛けても何回失敗しても良いから最高のを作れよ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
親方の道具は古いものの、しっかり手入れしてありすぐに手に馴染みました。
「相手の意志を尊重するのも大切だが、お前の希望を言うのも大切だと思うぞ。それは飽くまで圧力じゃなくて願望だからな。」
「そうですね...確かにその通りかもしれません。」
「それに木型だけだけなら、登山靴以外にいくらでも変更出来る。革のソールでできたダンスシューズだってな。俺の言いたいこと、分かるだろ?」
私は無言で頷きました。
今まであまり木型作りをしてこなかった私は時間を掛けながら少しづつ形を整えていきました。うまくいけば今晩中に殆ど完成します。
「うひゃ、シモン!急に足の裏を撫でるなよ!」
「すいません、横の曲線が難しくて。」
クロエさんの足はあまり経験のない私にも綺麗な形だと分かりました。中指はすらりとしていて、大人びているのです。酷使された労働者のそれとは違います。
「クロエ、」
「んー?」
クロエさんは本を読んだまま顔を上げません。
「木型が出来たら、可愛い靴でも作りませんか?」
私はサンドペーパーを掛けながら聞きました
「んー、いらないかな。お金に余裕も無いだろうし、荷物になるし。」
ぺらりと頁を捲りました。
クロエさんが読んでいるのはとある詩集です。古都の図書館から発掘され、作者も年代も不明のものですがクロエさんのお気に入りです。私にはよく分からなかったです。
「どんな小さなものでもいいからあなたのものを何かちょうだい。」
「え?なんて言いました?」
「読んだだけ。」
感性というのは人それぞれだな、と思います。
「これは私の提案です。そんな選択肢もあるのか、程度に聞いてください。」
「なんだ?」
削った木屑をふうっと吹くと、ろうそくがぱちぱちと小さな音をたてました。木型の滑らかな曲線はどこか官能的で惚れ惚れとします。
「ここで一緒に暮らしませんか?これから先も。」
「どういう意味だ。」
クロエさんは本から顔を上げ、目を細めて私のことを見つめています。
「そのままの意味です。底知れぬ深みのことは諦めて、ここで暮らすのも選択肢ですよ。もちろん望むなら街やジェシカさんのところ、或いは他の街でも良いですけど、そういった普通の生活もありかもしれませんよ。」
「お前は、どうして欲しいんだ。」
ゆっくり、はっきりクロエさんは言いました。穿つような視線に思わず身じろぎます。もちろん、無謀な挑戦はやめるべきでしょう。でも、それは一般論です。私自身が望むこと?私は、
「クロエさんの意志を尊重しますよ。」
時間が止まったような一瞬の沈黙の後、
「そうか。」
とクロエさんはため息交じりに本を閉じました。
「考えとくよ。もう寝る。今日は一人で寝るから。」
立ち上がって私に本を返しました。
「大丈夫ですか?明日は芋掘りなのでちょっとハードですよ。」
その言葉にクロエさんは思案顔になりましたが
「やっぱり、今夜も頼む。」
顔を背けて私の部屋から出ていきました。難儀だなぁ、と思いますがこれはこれで可愛らしいと感じています
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