整復と父親

「ギデオンさん!!」


アモスと私は走って崖に駆け寄ると大岩の上で大男を下敷きに父が倒れていました。何が起きたのか分かりませんでした。全ては一瞬だったのです。夢を見ているようでした。どうしよう。どうすれば、


「ゴホッゴホッ」


父の口から血が溢れ出しました。まだ生きている。その事実に、狭まった視界がもう一度開けました。


ようやく助けに来た仲間達と担架を持って父のところに駆け寄りました。


「父さん!しっかりして!」


その呼びかけに薄っすらと目を開けました。大男の顔はもはや原型をとどめておらず、辺りに脳漿が飛び散っていました。父の脚はあり得ない方向に曲がり、現実感のないその光景は切り取られた絵画のようでした。


「咄嗟に、こいつを、下にして、助かった。」


「ギデオンさん喋っちゃ駄目です。今すぐ応急処置しますから。」


仲間の一人が言いました。


「添え木を当てる前に脚の整復をした方が良い。俺がやる。アモス、ギデオンの口に布入れろ。痛いのは一瞬だ。我慢しろよ、ギデオン!」


男は父の曲がった脚を掴みました。リンは聞こえるであろう悲鳴に備えて私の耳を押さえ私は目を閉じました。しかし、いつまで経っても悲鳴は聞こえません。ゆっくりと片目を開けると、父の脚はあるべき位置に戻っており、皆が驚愕の表情を浮かべています。


「ギデオン、お前、」


整復した仲間は言葉を続けられませんでした。父はゆっくりと噛みしめるように言いました。


「ねぇんだよ。脚の感覚がよ。痛くも痒くもねぇ。何にも。何にも感じねぇ。」


私は初めて父の泣き顔を見ました。父のすすり泣く声は吐血と混ざっていつまでも途絶えることはありませんでした。


一月近く安静にしていると、ようやく痛み無しで呼吸ができるところまで回復しましたが、脚の感覚が戻ることはありませんでした。父は殆ど何も喋らず表情も眉間に皺を寄せたまま固まっていました。看病のためずっと一緒にいても息子ながら父の心の内は全く分かりませんでした。ある日、父は久しぶりに口を開きました。


「シモン。皆を呼べ。」


とても重苦しい表情でした。



「私は多分、もう回復は望めないだろう。傭兵業は引退だ。今後はアモスが長として仕事を担うように。薙刀はカミュエルにやろう。馬はリンに。以上だ。」


一同はざわめきました。


「以上って。何言ってるんですか?まだ回復するかもしれないじゃないですか。それに、ギデオンさん無しじゃ俺たち...」


「腰のあたりが砕けているそうだ。どうにもならんらしい。」


諭すような口調で続けました。


「先代は殉職だった。命があるだけマシさ。それに、俺がいなくてもどうにかなるだろう。いつ死んでも大丈夫なように教えられることは全て教えた。こういうことにも慣れるべきだぞ。リン。」


いつも冷静なリンが泣きじゃくったのは後にも先にもこの一度だけだったそうです。



仲間達は父と長い間話し合っていました。年長の方々は沈痛な表情こそ浮かべますが、すぐに現実を受け入れ父と無言で固く握手をすると旅支度のために部屋を出ていきました。一人、また一人と、減っていく中でアモスさんだけはじっと動きません。最後の一人になってようやく何かを耐えるような表情で口を開きました。


「最後の女、捕まえられませんでした。」


「そうか。」


「でも、本当は俺、」


「見逃したんだろう。」


父の目は真っ直ぐにアモスを見ていました。


「あの男の異常なしぶとさでピンと来たさ。あの女、孕んでいたな?」


「はい。」


アモスの拳が震えています。

「腹に子を宿していました。臨月でしょう。そんな大きさでした。」


ふう、と軽い溜息を父はつきました


「見くびっていたな。父親というものを。私の唯一の失敗だ。」


「ギデオンさん、あなたならおの女を殺せていましたか?罪のない子供と共に。」


「お前は」


父は哀しげな表情で言いました。


「傭兵に向いていないかもしれんな。」


その言葉にアモスは目を閉じました。そして深呼吸すると鞄から重そうな麻の袋を取り出しました。


「これは皆からギデオンさんへの感謝のしるしです。退職金にしては少ないですけど、しばらくは暮らしていけると思います。」


机の上で麻袋が硬い音をたてました。


「今まで、お世話になりました。明日にはここを発とうと思います。」


「それが良い。一つ頼みを聞いてくれるか。」


「何でしょう。」


「もう、俺には会わないでくれ。」


アモスはその言葉に目を見開きましたが、すぐに目を伏せ


「ギデオンさんがそう望むなら。」


部屋のドアに手を掛けました。背中を向けたアモスさんに父は言いました。


「さっきの質問に答えよう。俺なら、即座に殺していた。言うまでもないと思うが。」


アモスさんは何も言わずドアを閉めて出ていきました。父の希望通り、彼らは二度と顔を見せることはありませんでした。

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