正義の味方と刹那の後に
「あれか。間違いないです。辻斬りのモレクです。よくやった。手柄だぞ。」
湖畔の茂みでアモスに頭を撫でられました。父は尾行の邪魔になるからと言って薙刀を置いて、脇差を腰に下げていました。
「山に入ればこちらのものだ。アジトを見つけ次第帰還し、後日急襲する。妙な功名心を起こすなよアモス。」
「分かってますって。」
髭面の男は壺のようなものに水を汲むとよたよたとした足取りで山に歩き始めました。陰樹の多い山は鬱蒼としていて尾行にはうってつけでした。そのお陰もあり、気どられることなく山頂近くの洞穴のアジトまで見つけることができました。しかし、盗賊団達の様子は私がかつて見たものとはまるで違っていました。生気なく切り株に座り込み、痩けた頬と窪んだ眼窩は生きた人間のものとは思えませんでした。人数も前回遭遇したときより減っています
「いいか、よく覚えておけ。あの萎びた連中を俺たちは殺すんだ。傭兵求められるのは剣の腕でも正義感でもない。人を金で殺せるような異常性だ。どんな理由があろうと人殺しは許されることではない。それを糧に生きるなら尚更だ。」
父の囁いた言葉にショックを受けました。傭兵は正義の味方なんだと勝手に思っていました。しかし彼らは、倒されるべき悪としてはあまりにも弱々しく、ただ生きるのに終始しているようにしか見えません。牛を屠るように人を殺す。そんな単純なことに今まで気付かなかったのです。綺麗な砂の塔が水を吸って崩れていくようでした。あまりに、脆かったのです。私はいつの間にか後ずさりしていました。ただただ混乱していたのです。アモスとハンドサインでやり取りをしていた父が私に気付いたときには手遅れでした。がらんがらん、と場違いに明るい音が響きました。その瞬間、そこにある全ての動きが止まりました。私は後ずさりした先に張ってあった紐が鈴を鳴らしたのです。戦慄と緊張でガチガチと顎が鳴りました。盗賊団は気違いじみた勢いで体を起こすと、武器を手に取り真っ直ぐにこちらに向かって来ました。窪んだ眼窩に目だけが爛々と輝いています。
「撤退だ!シモン!起きろ!」
私は腰が抜けてしまい立ち上がることができません。力を入れても膝が震えてどうにもならないのです。初めて感じた死への恐怖でした。
「くそっ、もういい。相手は長物だ。木の密集したところに引き込んだらシモンを守りつつ迎え撃つぞ。そこまでこいつを引きずれ!行くぞ!」
父が緊急自体を知らせる笛を吹くと同時に、私はアモスに足を引き摺られ、決して穏やかでない起伏の坂を転がるように下りていきました。それでも、段々と荒々しい足音が近づいてくるのが分かります。恐怖と情けなさで泣きそうでした。
「ここでいい。俺が正面のやつを相手するから、左右のどちらかにばらけた槍野郎をどうにかしろ。」
アモスにそう耳打ちすると、父は腹に力を込めて大声で呼び掛けました。
「君たちがここで投降するならば、命は取らない。加えて、公正な裁判所で裁判を受けられることも保障しよう。」
盗賊団達に馬鹿にしたような笑いが広がりました。
「今まで夜襲で俺たちを殺そうとした連中がよく言うぜ!それに公正な裁判ってなんだよ。俺たちは元々死刑囚なんだぜ!たかがスリや冤罪だろうとなんだろうと関係ねぇ!お前達が俺たちを追い詰めたんだよ!」
骸骨が笑っているようでした。それでもその叫びに人間的なものを感じた私は彼らを殺すということが即ち人を殺すということなんだと実感しました。恐ろしかった。笑う骸骨が人間であるということが。父は相手の話が終わらないうちに両手の脇差で、先頭にいた男の喉を左右から斬りつけました。あまりに早い動きに、アモスも盗賊団も一瞬呆気に取られていました。喉から鮮血が噴き出し、声にならない声を上げて男がくずおれた瞬間に盗賊団から怒りと恐怖の入り混ざった悲しい鬨の声が上がりました。まるで、手負いの獣の最期の咆哮のようでした。
父は木々を盾に剣や槍を躱し、懐に潜り込むと首や胸を刺してまた後退します。苦悶の表情を浮かべながら倒れこむ人や、頸動脈を断ち切られて血を撒き散らしながら死んでいく人もいました。アモスは父の援護に回り、左右からの敵を牽制しつつ私を守っています。死屍累々たる様はさながら地獄のようでした。もう後のない盗賊団は死に物狂いで襲いかかってきますが、それを父はいなし、斬りつけ、とどめを刺します。その流麗な剣さばきはこのときばかりはとても無機質で、この世のものとは思えぬ冷気を放っていました。ものの数分で父とアモスと私以外にその場に立っている者はいませんでした。生臭い血の匂いが鼻を突きます。生き残っているものがいないか父とアモスが一つ一つ死体をひっくり返していると、いつの間にか私は足腰が立つことに気付きました。
「もう立てるな。追いかけてきた連中は片付けた。残り4人ほどだ。洞穴で終わらせるぞ。」
死体を何の抵抗もなく踏みつけ山を登っていく父を見て、胃のあたりがムカムカして吐きそうになりました。
「離れると危険だ。一緒に行くよシモン。」
アモスに手を引かれまだ温かい死体を踏み越えて登りました。
洞穴から飛び出してきた二人を父は歩きながら一人は転ばせ、一人は首を刎ねました。倒れた一人をアモスがとどめを刺しました。そこで彼らの攻勢は止みました。
「籠城でしょうか」
「いや、覚悟を決めているのだろう。」
「なんか、呆気ないですね。」
「放って置いても死にそうな奴ばかりだった。それに、かなり数が減っている。冬を越せなかったのだろうな。」
私は平然と会話をする二人に付いて行けず、顔を逸らして回りの様子を伺いました。洞穴の隣にはナランチャの街が見渡せる崖があり、ロバを引く人のようなものが辛うじて見えました。随分遠くに来たような気がします。ナランチャの街恋しくなり、涙が頬を伝いました。ジェシカやイムラに会いたいと思いました。
「泣くな。これがお前の父の仕事だ。これが傭兵の現実だ。」
父は今までになく厳しい目でそう言いました。私は父の仕事を継ぎたいという願望が揺らぐのを感じました。父は、私にどうして欲しいのでしょうか。そう口を開きかけたそのとき、洞穴から一人の大男が飛び出して来ました。私の方を向いていた父は一瞬遅れたものの振り向きざまに剣を払い、首を斬りつけました。その男は驚いて目を見開いたままくずおれました。
「残り一人は女だ。アモス。お前がやれ。」
アモスは立ち竦みました。
「お前は女に甘い。将来命取りになるぞ。」
父は下を向いて動こうとしないアモスに舌打ちすると、洞穴に自ら踏み入れました。その瞬間にさっきくずおれた大男の目が鈍い光を放ったのを私は見ました。
「うおおおっっっ!!!」
大男は倒れた状態から驚くほどの速さで立ち上がり至近距離から父を肩に担ぐと走り出しました。父は驚いた顔はしたものの巨体を止めるためその男に担がれた状態から冷静に急所を斬りつけ肉片や血が辺りに飛び散りました。それでも、男が燃やした最期の灯火はいよいよ明るさを増すようでした。
「あっ、」
私は大男の意図を理解しました。しかしもう遅すぎました。アモスさんが投げた短剣が男の背中に深々と刺さった瞬間に、男は崖から跳びました。父を担いだまま。恐ろしい刹那の後に、ぐしゃりと骨が砕け肉が裂ける音がしました。世にも恐ろしい音でした。
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