釣りと背水の陣
ナランチャに着くとすぐに荷を解き、宿に一ヶ月分の宿泊費を納めました。何故だか聞くと
「谷周辺の山々に隠れているだろうから当分は出てこない。春になったから山の中でもどうにか食いつないでいけるはずだ。我々への恐怖が薄れて山を下りてきたときに討つ。」
私には理屈はどうあれこの街に滞在出来るのが楽しみでした。宿に荷物を置くと真っ先に親方のところに遊びに行きました。
「ジェシカー。遊ぼー。」
職人さんが作業している工房を突っ切り親方達への挨拶もそこそこに2階に呼びかけました。
「えっ、シモンじゃん。今年早くない?」
丸一年顔を合わせないのでジェシカさんもイムラも毎年見違えるような変化を遂げるのですがその年は特にジェシカさんの変化は著しく、スカートとサンダルを履いた普通の女の子が出てきたので私はどぎまぎしました。
「何、キョドってんの?思春期か!お前!」
けらけら笑いながら叩かれた頭もいつもより痛くなく、その変化についていけませんでした。
「シモン来たってよー。ジェシカー。」
外で声を上げているイムラはやたらニキビが増えた以外に変化は無かったのです。身長も今とあんまり変わって無いんじゃないかな。ともかく二人との再会はなによりも嬉しく、遊ぶうちにジェシカさんの変化にも慣れていきました。
半月ほどナランチャ周辺で手掛かりを探していた父達でしたが、足跡や野営の後も残雪とともに消えてしまったようで盗賊団の出方を待つことになりました。
「本気で山籠りされたらそう簡単には見つからないだろうな。だが、俺たちがここにいる限り下手に動くことも出来んだろう。このまま一生山に籠っていてくれたらいいんだが。」
親方との酒の席で父がそう零すのを聞きました。それもいいな、と思いました。そうすればイムラやジェシカさん、親方たちといつでも会えるのですから。
3カ月ほど経ったときジェシカさんと近くの湖に釣りにいきました。イムラは
「雨に打たれながらも外で平然と昼寝を出来たら大自然に勝った気がする。」
と言って無謀な挑戦を敢行した結果、1週間ほど風邪を引いていました。
「イムラは大自然に負けたらしい」
「大自然と戦うなんてすげぇ奴だ」
というスケールのでかい噂が子供達の間で囁かれていました。そんなイムラのために魚を差し入れしてやろう、というのが今回の釣りの趣旨でした。
「あんな奴、ミミズでも食わしとけ」
と言う不機嫌なジェシカさんをなだめすかしながら釣りをしていました。その日にジェシカさんが着ていたのは薄い水色のワンピースで、なぜ釣りにそんな服を着るのか不思議でしたが何よりも卸したてのような綺麗さが気になりました。
「何、じろじろ見てんだよ。」
ジェシカさんが睨みます。
「え、その服見たことないなと思ってさ。ジェシカっていっつも短パン穿いてたから。」
「そうな。で、どう?」
「何が?」
「この服。」
「青いよね。」
思いっきり蹴られてひっくり返りました。どう答えれば正解なのか分かりませんでした。
「久しぶりにシモンのこと蹴ったわ。最近、スカートだから人を蹴りにくくて。」
「イムラ、蹴りまくってんじゃん。」
「あいつは人じゃねぇ。」
イムラが聞いたら落ち込むでしょう。ジェシカさんは言動は今までと変わらないのですが、何かが今までと決定的に違うようでした。そんなことを考えながら当たりのこなさそうな水面を長い間見つめていると、小さな波紋が浮きを揺らすのが見えました。風の無い凪いだ湖畔に波を起こすような物があるでしょうか。ぼんやりと波紋の来た方向を向くと、茂みの隙間から全裸の髭面の男が体を洗っているのが見えました。その剣呑な目つきは常人のものではありませんでした。
盗賊だ、
私は全身の毛が逆立つのを感じました。
「もう帰、むぐっ!」
ジェシカさんの口元を押え耳許で囁きました
「盗賊がいる。声を出しちゃ駄目。」
私が指で盗賊のいる位置を示すとジェシカさんは体を硬直させてました。石を投げれば届く距離にいましたが幸いにも茂みが目隠しになっています。動けば分かってしまうかもしれません。そのままの姿勢で男が立ち去るのを待ちました。とても長く感じられました。ようやく男が水から上がって立ち去ってもまだ私は動けませんでした。
「もう、手離せよ!暑いって!」
ジェシカさんが口を覆った私の手を振りほどいて、ようやく我に帰りました。
「本当に盗賊なのか?」
「わかんない。」
釣りはすぐに切り上げ、街に帰る途中はその話題で持ちきりでした。
「とにかくお父さんに報告しなくちゃ。」
「言わなくていいんじゃない?」
「えっ?」
私はジェシカさんの言葉を疑いました。その顔に浮かんでいたのは初めて見た表情で、何を思っているのか分かりませんでした。
「盗賊じゃないかもしれないし。もしも本当に盗賊だったら、その盗賊をやっつけたらまたこの街を出るんだろ?」
「でも、それが父さんの仕事だし。」
「良いじゃん。この街にずっといられるんだし。」
「でも、」
言葉を繋げられませんでした。その後の帰り道は宙ぶらりんの沈黙が浮かんでいて妙な気持ちでした。いつもはおしゃべりなジェシカさんが喋らないのは初めてのことだったと思います。そして、ジェシカさんのその願いは最悪の形で実現することになりました。
もちろん帰ると私は父に報告しました。すぐに仲間を集めての会議が開かれました。
「なんで危険を冒してまで平地に下りてくるんだ?」
「もう、俺たちがいないと思ってるんじゃないか」
「それならもう山籠りをやめているだろう」
「そもそもそれは盗賊だったのか?」
「我々の包囲網を抜け出した可能性もあるな。」
紛糾する会議を聞いていたリンがぽんと、手を叩きました。
「水、だ。」
一帯の地図を広げてリンが説明し始めました。
「もう、雪解け水による川や池が消滅する時期だから水不足のために湖に下りて来るしか無かったんだ。つまり、」
「ここだ。」
父がある一つの山を指しました。
「他の池や川から最も遠く、山頂付近に雪の残っていない標高の低い山といえばここしかない。加えて一人で下りてきている様子からすると、湖に来るようになってもう一月は経っているはずだ。気の緩んでいる今なら尾行出来る。アジトを見つけ次第、すぐに叩く。アモスは俺と尾行の準備だ。早ければ明後日にも急襲する。奴らは背水の陣だ。武器の手入れはしっかりしておけ。それと、シモン!」
「はい!」
「お前も俺と来い。いい経験になる。会議は以上だ。解散」
全員の顔が引き締まり別人のようでした。傭兵団の皆のいる心強さと、決戦の興奮、そしてジェシカさんの言葉がまぜこぜになってその夜は寝られませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます