玉座を以て胸壁と詔勅を以て弾丸に代え
クロエさんは食事の途中で眉を寄せて唸り、眉間の皺を揉み始めました。
「百歩譲ってな、」
「はぁ」
また屁理屈を言い始める気がします。
「芋やオリーブ、トマトやきゅうりは自分のご飯になるから分かる。でも、あのぶどうは葡萄酒のためのものだろう?完全にお前の嗜好品じゃないか。」
「そうですね。確かにあれは趣味の世界です。」
「だろ?なのになぜわたしがクタクタになるまで付き合わなきゃならんのだ。だから本来であれば労働の比率が1:1というのはおかしいんだよ。でも、もう働いてしまった分は取り戻せない。どうしたものか。」
うーん、と芝居掛かった唸り声をあげています。
「何かして欲しいことでもあるんですか?」
クロエさんは思惑通りといった笑みを浮かべました。
「そうだな。お前の嗜好品だから労働の比率がおかしいんだ。そこでだ、」
急に上目遣いになり、何か嫌な予感がしました。
「わたしにも、ワインを呑ましておくれ。」
えー。それはちょっと。仮にも親御さんから預かっている身ですから。
「いやぁ、まだ発酵してないのでぶどうジュースですよ?」
「去年のがあるんだろ。」
容易に防衛線を突破されました。この辺りはワインの産地に近いので、若者の飲酒についてはゆるゆるです。それを取り締まる法律もなにもないので、クロエさんぐらいの年に呑んでいることも珍しくありませんが私は正直、抵抗があります。
「良いじゃないか!良いじゃないか!減るもんじゃないし!」
減りますよ。駄々を捏ねられても嫌なので妥協案に出ます。
「なんだこれ?」
「お酒が呑める体質かテストします。はい、この脱脂綿を腕の内側に置いてください。」
脱脂綿にはウイスキーを染み込ませました。これで飲めない体質と分かったら、それを理由に諦めてもらいましょう。
「こんなので分かるのだな。」
「はい。しばらくして脱脂綿を退けたときに、当てていた場所が赤くなるのが早いほどお酒に弱いということです。」
「シモンは?」
「赤くなりませんよ。それでも強い方では無いですね。クロエの親類の方はお酒は呑まれますか?」
「父は呑まない人だったな。呑めないのか、呑まないのかは知らないが。」
気の緩みなのか最近はクロエさんの家族について朧げに分かってきました。恐らく一人っ子で父親に愛情を注がれて育ったようで、父親に対する尊敬と愛慕は話ぶりから薄っすら透けて見えます。母親の話が出ない理由はわかりません。此処に至る理由もまた。
「もう良いだろ。」
「そうですね。取ってみて下さい。」
脱脂綿を退けた箇所を二人して覗き込みます。
「ううん?これは、」
「真っ赤だな。」
真っ赤です。
「絶対呑んじゃ駄目ですよ。一滴も呑めないですからね。こんなに弱い人も珍しい。」
ホッと胸を撫で下ろしました。ここまでの下戸なら呑ませなくて正解です。
「こんなのでなにが分かるというのだ。」
クロエさんは不満げです。
「これは遺伝ですよ。お父さんも多分呑めない体質なんでしょ...ちょっと!クロエっ!」
私の麦焼酎の入ったお猪口を奪うと一気に飲み干しました。まずい。これ、ストレートです。
「ほら、何ともないぞ!」
お猪口を取り返します。
「いや、すぐに出ると思いますよ。」
やはり十分後には机に突っ伏していました。
「クロエさん。お水をたくさん呑んだら、もうベッドで寝てください。」
「うーん」
もう駄目です。潰れてます。
「クロエ!ここで寝ないで下さ」
「貴様ぁー!」
急に大きい声を出して立ち上がるのでびっくりしてしまいました。
「玉座を以って胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代え、政敵を倒さんとするものではないか!」
「はい?」
意味不明です。なんて言いました?言い終わるとまた椅子に座り込み、ばたんと机に突っ伏しました。仕方がないので部屋のベッドまで運びます。寝ている身体が重いのは当然ですが、前に担いだときより重くなった気がします。確かに最初に会ったときより少しふっくらとして健康的になったように見えます。気にするといけないので本人には言いませんが。ベッドにおろして掛け布団を掛けてあげると、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきました。多分、こんなにすんなりと眠りに着けたのは久し振りでしょう。夜中に起きても探さないように室内履きだけ脱がせてベッドの下に揃えて置いておきました。良い夢が見られると良いですね。
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