チャッピーとクープ

「ワインを作ります。」


太陽は潔く暦通りの俯きがちな光を放っても、入道雲と暑さだけは図々しく居座る中で私は高らかに宣言しました。


「ワインを作ります。」


「聞こえているよ。何度も言うな。頭に響く。」


目付き鋭く、髪がぼさぼさのときは大抵、あまり眠れなかったときです。前よりは良くなったようですが、それでも3日中2日はこんな感じです。


「コーヒー飲みます?」


「いらん。静かにしてくれ。頭痛いんだ。」


タンポポコーヒーは改良を重ねた結果、うちでの市民権を得るに至りました。パンによく合うんです。クロエさんは朝食の後、顔を洗って少しするとようやく目が覚めてきたようで、先ほどまでの糸目から普段通りのくりくりとした瞳に戻ってきました。


「そういえば、この家にトカゲが住んでいるな。」


クロエさんはぽけぇと天井を見ながら、頭が冴えるのを待っているようです。


「トカゲがですか?いやぁ、見たこと無いですね。」


トカゲはクロエさんの寝起きのように目つきが悪いので嫌いです。


「おかしいな。部屋のな、天井によくいるんだ。」


「あぁ、それはチャッピーですね。ヤモリですよ。トカゲじゃありません」


「ヤモリもトカゲも一緒だろう。気持ち悪い。」


「全然違いますよ!ヤモリはお目々ぱっちりなんです!それにチャッピーは害虫を食べてくれる良いやつなんです。」


クロエさんは鼻で笑って、完全に小馬鹿にした表情で腕を組んでいます。


「お前、牛には名前つけないのにヤモリにはつけるんだな。」


「それは、あれですよ。チャッピーはペットなんです。ペットは愛らしい時点で役目を全うしてますけど、家畜は口に入るまでが役目です。」


「あー理屈っぽいなぁ。鬱陶しい。」


ようやく声に張りが出てきました。もう作業工程を発表しても良さそうです。


「今日は、ぶどうの収穫と搾りを一緒にやってしまいます。なので、汚れても良い服を着ること。それとジェシカさんのショートパンツ持参でお願いします。」


「え、なんで?」


クロエさんは怪訝な表情ですが、これにはれっきとした理由があるのです。そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。


午前中一杯掛かって、ようやく収穫が終わりました。屈んでぶどうを集めるので腰が痛いです。


「なぁ、昼飯って?」


「お察しの通り、ぶどうです。好きなだけどうぞ。」


「そんなにぶどうばっかり食えるか。」


陽射しがとても強いですが、からっと乾いているので木陰はとても涼しいです。私たちは疲れ切ってオリーブの大木の下で寝そべってぶどうをつまんでいました。オリーブの木の下から空を見上げると、細い木の葉の間から太陽が時折顔を見せます。風が汗を冷やしていく感覚と共に眠気がゆっくりとやってきました。穏やかな秋晴れです。


「このぶどう、あんまり美味しくないな。」


器用に口にぶどうを入れると中身だけ食べて、皮と種を捨てています。


「ワイン用の品種らしいですよ。でも十分美味しいと、うわっ種飛ばさないで下さいよ。」


からからと楽しそうにクロエさんが笑います。会った当初はこんなに表情が豊かな人だとは思いもしませんでした。やはり、土いじりは人を癒すのかもしれません。


「そういえば、さっきの歌は何だ?」


クロエさんは今度は出来るだけ遠くに種を飛ばしているようです。


「クプクプですか?さぁ、おまじないか何かじゃないですか。」


ぶどう園で季節労働をしたときに農園の主人が歌っていたのです。季節労働者は私だけで、農園の主人は休憩の度にぶどうの栽培について語るので、ぶどうの木を育て始めたときに苦労しませんでした。


「クープクプクプクープだっけ?」


「ルールは無いみたいです。クプクプ言ってれば良いみたいですよ。」


「なんか可愛いよな。音が。クープクープクーピー」


クロエさんはクープクープと、しっくりくる音程を探しているようです。寝っ転がりながら顔に麦わら帽を乗っけている様子だと、そろそろ昼寝に入るでしょう。


「そんな麦わら帽ありましたっけ?」


「養鶏場のおばさんがくれた。あんたは白いから将来シミになるよ、って。」


「へぇ。良かったですね。似合ってますよ。」


「まあな。シミになりたくないし。」


そう言うとごろりと横向きになり、寝る体勢に入りました。赤色のリボンがあしらってある麦わら帽で顔は見えませんがすぐに寝てしまうでしょう。 この麦わら帽をくれた養鶏場のおばさんは割と気難しい人で、気に入った人にしか口を開きません。そんな人が贈り物とは驚きです。でも、見ているとクロエさんは私以外には人当たりがとても良いのです。私にも優しくしてくれないものでしょうか。


「クロエさ、痛てっ!」


すねを蹴られました。


「起きたら着替えた方が良いですよ。クロエ。」


「ん。」


まだ、さん付けしてしまいます。間違える度に蹴られるのですが、直るのが先か疲労骨折が先か、といった調子です。そんなに嫌なのでしょうか。もうクロエは寝息を立て始めました。私も木にもたれ掛かり微睡みながら、地平線にちらつく砂漠を眺めていました。いつかこの土地もあの砂に覆われるのでしょう。そうすれば人間はもっと住みづらくなります。微睡みの中で一つの思い、というほど明確ではなく霧のように漠然とした欲求を見ました。いつか死ぬこの世界が今はまだ終わって欲しくない、と。なぜでしょう。

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