ボブマーリーとガス灯
暫く経って、夕方ごろにジェシカさんはかささぎ亭にお仕事に行きました。ジェシカさんが出て行ったのを確認すると、親方が顔を寄せて囁いてきました。
「ジェシカ、いい女になったろ?」
「そうですね。昔からいい人ですよ。」
「そうだろ!そうだろ!かささぎ亭で飲み食いするやつの中にはジェシカ目当てのやつもいるそうだ。変な虫が付かんか心配だよ。」
満足そうに頷いていますが、私と親方の言い方にズレがあるのは気付かないようです。そこらへんの機微は鈍感なので楽です。
「相変わらず、ショートヘアを貫いているのは信念ですかね。」
「あれ、ボブマーリーって言うらしいぞ。」
「ボブカットね。お父さん。」
台所から奥さんの鋭い訂正が入りました。奥さんは昼間からずっとつまみやら何やらを作るために台所に篭っています。おかげで、おつまみの種類は尋常ではありません。
「なんでだっけな。あいつが髪型変えないの。聞いてみたことあるんだよ。」
部屋が随分暗くなってきたので奥さんがガス灯を点けました。すかさず、私が部屋の窓を開けます。
「確か、私は変わらないからとか言ってたな。意味不明だよな。そりゃ変わらねえだろ。そうだろ?」
親方も酔いが回ってきたのか誰に言っているのか判然としません。
「でも、ジェシカって可愛いから出来るんだと思うぞ。短い髪型って難しいからな。ジェシカ、あの髪型すっごい似合ってるよな?シモン?」
花札を並べて新しい遊びを考えていたクロエさんが顔を上げて言いました。
「嬢ちゃん、嬉しいこと言ってくれるねぇ。ほれ、ビール飲むか?」
「やめてください。親方。」
「やめなよ、あんた。」
「んだよ、ちょっとくらいあれだろ。あれ。」
そんなしょうもないやりとりが長々と続くのをクロエさんは嬉しそうに眺めていました。ふと、外に目をやると、いつに間にか外は真っ暗になり夜の帳が下りていました。
「そろそろ夕飯にしようかね。」
奥さんがテーブルに天ぷらをどっさり運んできました。昼食の量も半端無かったので正直、全然お腹は減っていません。クロエさんもあまりお腹が減っていないようで、きゅうりの漬物ばかりかじっています。親方はビールから焼酎に移り、いよいよ酔いも回ってきたようで延々と仕事の愚痴をこぼしています。同じ話が2,3周はしていますが、聞いてあげるのも親切だろうと思い、きゅうりの漬物をかじりながら聞いていました。それからだいぶ時間が経ったのか、今日開けたばかりの焼酎が空になっていました。
「どうした。具合悪いのか?」
クロエさんが顔を覗き込んできました。
「いえ、少し飲み過ぎただけですよ。酔うほど呑んだのは久しぶりです。」
いも焼酎も美味しいかったので帰りに買っていこうかと考えていると、玄関が勢い良く開きジェシカさんが帰ってきました。
「おかえりなさい。早いんですね。」
「まあな。忙しい時間帯だけ手伝うだけだし。それでも、4時間くらいは経ってるぞ。お前ら飲み過ぎて時間の感覚なくなってんだよ。」
すでに親方は時間の感覚だけじゃなく意識も失いつつありますけどね。
「お父さんは良いとしても、シモン君は眠くなる前にお風呂入ちゃったら?」
台所で洗い物をしている奥さんが気を遣ってくれました。それもそうだと思い奥さんの勧めに従って椅子から立ち上がると、それをジェシカさんに制止されました。
「あんたは後だ。今からあたしとクロエが入るんだから。」
クロエさんが驚いた顔をしています。全く意思疎通出来てないようです。
「裸の付き合いってやつよ。女子トークしましょ。女子トーク。」
「え?え?」
ジェシカさんに手を引かれクロエさんは風呂場に消えていきました。
「ごめんね、勝手な子で。」
そう言いながら奥さんがお茶を出してくれました。微かに甘く酸っぱさが舌の上でざらざらと残る感触はあまり飲みつけていない味でした。風呂場からは笑い声が漏れてきています。
「今に始まったことじゃありませんよ。とっくに慣れました。ジェシカさん達、長くなるでしょうし。私はもう寝ますね。お布団の場所は変わってないですよね。」
「ええ。変わってないわ。お父さんも連れってあげて。」「もちろんです。」
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