薬指と鐘

クロエさんが面接を受けている間に私は親方のところに顔を見せにいきました。ちょうど休憩中だったのか軒先で肉屋さんと談笑していました。仰け反って笑ったときに私の顔が見えたようで、すくっと立ち上がるとくしゃくしゃの笑顔で背中をばんばんと叩いてきました。


「馬鹿野郎、お前、たまには家まで顔見せろって言ったのに、2年も寄りつきゃしねぇじゃねぇか。おーい、ジェシカ!母さん!昼飯一人分増やしといてくれ!」


家に向かって大声で言います。


「いえ、ほんとにお構いなく。仕事のついでなんです。」


「なんだ、ジェシカの作った飯が食えねぇのか?上手くなったんだぞあいつも。まぁ、いいから食ってけよ。」


美味しそうな匂いが漂ってきて、我慢ならなくなりました。


「じゃあ、厚かましいお願いだと思いますけど、もう一人分追加してもらえますか?」


親方が驚いた顔をした後ににんまりと笑って


「お前さん、これか?」


と言って薬指を立てました。小指なら知ってますが、薬指は何の意味があるんでしょう。



「シモンじゃん!久しぶり過ぎだろお前!」


ジェシカさんにばちこんと頭を叩かれました。ここら辺のスキンシップは親子そっくりです。親方の奥さんはまだ台所で豪快に鍋を煽っています。


「アロンソさんは今日は?」


出来たてのオムレツを頬張りながら親方に訊ねます。


「今日は定休日だからいないよ。でも、あいつよく働いてくれるぜ。不器用だけどさ。」


がっはっはと親方が笑います。うまくやっているようでよかったです。


「それにしても、あいつ剣の腕が立つらしいな。お前と勝負してお前をボコボコにしたらしいじゃないか。さすが、騎士の家は違うな。」


今度会ったらボコボコにしてやりましょう。暫く、親方、ジェシカさんと近況を話し、街の様子についても聞きました。狭い街ですが、少しいない間に色んなことが起きたようです。もちろん大したことは起きていないのですが、我々にとっては悲しみ、喜び、笑うのに十分な話の種です。ひとしきり笑った後に、クロエさんについて話しました。事情を話し終えると親方とジェシカさんは考え込みながら唸っています。


「確かに街で働くなら、うちに居候させるのも悪くねぇ。だけどな、それが底知れぬ深みを目指すためってのが気にいらねぇ。」


と、親方。


「まぁ、父さん。本人が望んでるなら止める権利はあたしたちにはないよ。とは言っても、嫌いなやつと同じ屋根のしたで暮らす気はあたしにはない。その子が可愛く無かったらあたしは認めないよ。」


と、ジェシカさん。


「あたしゃいいけどね。住み込みの職人が一人増えるようなもんだろ?大して今と変わんないよ。でもそれが女の子なら大歓迎さ。はい、これ〆の炒飯ね。」


と、奥さん。ジェシカさんの意見は参考になりませんが親方の言いたいことはわかります。〆に炒飯というのは分かりかねます。


「兎に角、まずは本人に話さないとな。そうでないと何も進まねぇ。おい、シモン。今晩はうちに泊まってけ。」


親方の唐突なお誘いに戸惑いました。


「いや、でも、」


「そうしようそうしよう。その話もできるしついでにその子がどんなふうか見れるし。生意気だったらしばき倒すけどね。じゃあ、そうと決まれば家の掃除しなきゃ。」


と言うと、ジェシカさんは二階にどたどたと駆け上がっていきました。どうやら決定事項のようです。ふと、服のことを思い出したのでまだ台所で何かを作っている奥さんに訊ねました。


「ジェシカさんの子どもの頃の服ってとってありますか?」


奥さんは顔だけこちらに向けて何やらにやにやしています。


「あんた、もしかしてそういう趣味かい?そりゃ小さい頃も可愛かったけど、今の方がずっと綺麗というか」


「いや、違いますよ。さっき言ってた子にちょうど良い服はないかと。」


私をどんな人物だと思っているのでしょう。


「ああ、そういうことね。孫が出来たときのために全部取ってあるよ。その子に合うのも幾つかあるでしょ。いいわよ。その子にあげるわ。」


「助かります。」


そのとき、からんからんと時計塔の鐘が鳴りました。はたととんでもないことを思い出しました。面接が終わる頃にクロエさんのことを迎えに行く約束をしていたのです。これは大変です。鐘が鳴ったと言うことはもう2時間近く待たせたことになります。


「どうした?顔が青いぞ」


親方が心配げに覗きこんできました。


「ちょっと、役所まで行ってきます!」


急いで役所に走り、汗が噴き出してきました。ほとんどは冷や汗です。

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