バッタとトマト

昼の盛りが過ぎ、影が徐々に伸び始めた頃合いで作業を始めました。


「今からやるのは蔓返しと言って芋の成長には欠かせない作業です。こうやって隣の畝まで延びた蔓を根元の方に返します。もし、蔓から根が出ていても気にせず返して下さい。この蔓から出た根っこに芋が出来ると、全部の芋が小さくなって太った芋ができません。さあ、始めましょう。」


結構な量がありますが、2人でやれば早いものです。さくさくと作業は進んでいきます。


「だいぶ虫に食われているな。」


「そうですね。芋は強いので良いですけど、隣のバジルやしそまで食われると大変です。バッタとか芋虫を見つけたら殺して下さい。」


「殺して、って言ってもどうやって?」


足元の蔓を振って出てきたバッタを鷲掴みにします。


「バッタは触角と脚を持って引っ張れば、ほら。」


ぬるりと胸と頭が抜けて髄が垂れます。


「うぇ、気持ち悪い。」


「これなら一瞬ですし、嬲るのも可哀想でしょう。下手に加減すると瀕死でいつまでも生きてますからね。」


「嫌だ。やらない。私が見ている前でもやるなよ。」


拒否の上、注文までつけてきました。


「いや、なにも好きで駆除するわけじゃ無いんですよ。食うか食われるかの競争なんです。こっちだって抵抗しないと冬場にひもじい思いしますからね。」


「とにかく嫌だ。」


「じゃあ、芋はあげませんからね。」


「そんな血塗られた芋いらん。それに冬場の話なんて私には関係ない。」


「もういいです。好きにして下さい。」


そんなやり取りをしながら作業を続けると、夕陽で影が延びて手元が見え辛くなってきました。


「今日はもう終わりにしましょうか。」


「もう、いいのか?」


クロエさんがきょとんとしています。


「良いんです。明日やれば。きっと明日も晴れますし。それより晩御飯の支度をしましょう。きゅうりと茄子としそを幾つか取ってきて下さい。」


「おはようございます。」


「ああ、おはよう。」


クロエさんは朝に弱い方なのか、雨ふりの湿気で跳ねた髪の毛を気にすることもなく、ただただ眠そうです。


「眠れました?」


「ああ。うん。そこそこだな。」


枕が変わると眠れないというやつでしょうか。


「雨だな。」


「雨ですね。」


昨日の予想は大きく外れて外は篠突く雨です。朝食を食べながら予定を立てます。


「今日は、正直やることはないですね。」


「そうか。どうしような。」


「幾つかやることはありますけど、半日くらいで終わりますね。昨日いらしたばかりでお疲れでしょうし、作業が終わったらおやすみと言うことで。」


「うん。助かるよ。実はすごく眠いんだ。」


でしょうね。目をぐしぐしと擦りながらパンをもさもさと食べる姿から容易に想像できます。寝起きの無防備な姿は普段の獣のような鋭さは息を潜め、年相応の少女のように見えます。本当はこれくらいおとなしいのかもしれません。



「飲み物お出しして無かったですね。コーヒーありますよ。」


実はこれが言いたくて飲み物を出しませんでした。


「コーヒー?ああ、結局作ったのか。じゃあもらおうかな。もちろんブラックで。」


眠そうな顔でもちゃんとキメ顔で言うのはこだわりでしょうか。私はコーヒーはいらないので、クロエさんの分だけお湯を注ぎます。


「おお、香りはそれっぽいじゃないか。では。」


クロエさんがコーヒーを上品に啜ります。湯呑みなので締まりませんが。


「どうでしょう。」


「出涸らしみたいだな。」


「え、本当ですか。ちょっと失礼。」


私もちょっと飲んでみます。本当だ。なんか薄いです。


「聞いた通りにやったんですけどね。炒りが足らなかったかな。どう思います。」


クロエさんの方を向くと、なんとも言えない顔をしています。


「どうかしましたか?」


「いや、なんでもない。そうだな。深みが足りない気がするが飽くまで代用品だからな。これでも良いぞ。私は。」


そう言ってパンをかじりながら啜っています。


「ところで、いつの間に作ったんだ?寝る前までオーブンの中だったろう。朝起きてきたのは同時だったし。」


「ああ、それはですね。夜中です。」


「夜中?」


「はい。日が沈むとすぐ寝るような生活をしていると夜中に一度目が覚めるんですよ。何かしら雑務をしたりしているとまた眠くなります。それで朝起きたのが同時だったわけなんです。」


「ふうん。そうか。夜中ね。何か夜中に音とか聞こえなかったか?」


さりげなく聞いているつもりなのでしょうが、動揺が隠しきれていません。


「音?ですか?いや、聞いてないですね。夜中と言っても日の出直前くらいだったので。それがどうかしましたか?」


「いや、いいんだ。なんでもない。」


思案顏でコーヒーを啜っています。なんでしょう。さっきから変ですね。まぁ、いいでしょう。


「じゃあ、朝食も食べ終わったことですし、トマトソースを作りましょうか。」


まずはトマトを湯むきします。これが一番面倒な作業なのです。まず、ウッドデッキに七輪で炭をおこし、お箸に突き刺したトマトを炙っていきます。


「これは湯むきなのか?」


「確かに湯むきというには語弊があるかもしれませんが、湯むき以外に適当な言葉が見つかりません。」


頃合いになるとトマトの表皮が割れて焦げ、指でめくれるようになります。これで一丁上がりです。


「まだトマトで一杯の籠が六つありますからね。さくさくいきましょう。」


黙々と作業を進めていると、段々と気温が上がり雨の湿気と七輪の熱気も手伝って汗が噴き出してきました。


「おい。途轍もなく暑いぞ。後日にしないか。」


「始めてしまったのでもう中断できません。湯むきしたトマトは傷みやすいんです。」


クロエさんは特に汗っかきなのかぽたぽたと汗を垂らしながら湯むきをしています。いくら汗をかいても蒸発しないのでとても不快です。そのためかクロエさんはさっきから悪態をついています。怖いのでなんとかいらいらの矛先を変えましょう。


「クロエさんが住んでいたところは暑かったですか?」


手が止まり、雨の向こうの何を見つめているのか、遠い目をして考え込んでいます。いや、手は動かしてよ。


「そういえば、暑いと感じたことは無かったな。夏でも木陰に入れば涼しかった。でも、入道雲の大きいことはここと変わらないな。」


「それは快適ですね。是非一度は住んでみたいです。」


「ああ!本当に良いところだぞ!夏の昼頃に雪融け水で出来た川に足を浸しながら本を読むとな、とても気持ちがいいんだ。ひんやりとした水が心地良くて時間が許す限りそうやって過ごしていた。懐かしいな。」


「なるほど、趣味が読書だから東文字に長けているんですね。」


私の相槌で一瞬の間が生まれました。


「うん。それぐらいしか、自分の時間を作れなかったからな。」


クロエさんはトマトのヘタを千切りながらゆっくりと呟きます。頭の中の地図を引っ張り出し、該当する特徴に合致する地方を当てはめてみますがどうにもしっくりきません。恐らく、私の行ったことのない西の高地のあたりでしょうか。それにしてもここまで郷愁を感じながらなぜ、底知れぬ深みを目指すのでしょう。少し寂しげなその表情の理由はなんでしょうか。分からないことだらけです。

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