紺色フードと松明
昼間に降った雨のせいでひどく蒸し暑く、寝苦しい夜のことでした。随分長い間、ベッドの上で眠ろうと試みましたがついに諦めてウッドデッキの安楽椅子に揺られながら星を眺めていました。ぼんやりと揺れる熱気のせいで見え辛いものの、新月の空には溢れんばかりの星が立ち並んでいます。お酒でも呑みたい心地になりましたが、アロンソさんがウイスキーのボトルを空にしてしまったことを思い出しました。あの日以降、アロンソさんは街で働き始めたようです。住み込みの職場らしく私のところにはもう一月近く顔を見せていません。結局、あの甲冑がなんだったのかは不明です。月の終わりの定期報告の折にちゃんと働いているか見に行こうかなと思っていると、道に生えている背の高い雑草が明らかに風に揺られたのとは違う動きをしているのに気付きました。狼かと思い身を固くしましたが、徐々にその不自然な揺れは遠ざかって行きます。子鹿かなにかでしょうか。道の先にあるのは谷だけですが。面倒でしたが、寝就こうとしたときに気になってしまうのも嫌だったので様子を見に行くことにしました。この時期に狼がこの辺りをうろつくこともないので寝間着のまま谷の入り口に向かいました。新月の夜道は本当に暗く、目をつぶっていても変わらないほどです。慣れた道ですが、つまづいて怪我をするのも嫌なので汗をかかない程度の速度で歩きました。帰ったら一度、水風呂にでも入って身体を冷やせば寝られるでしょうか。それとも、余計に目が冴えてしまうでしょうか。悩ましいところです。そんなことを考えていると、カッカッと石を打ち付けるような音が聞こえました。なんでしょうか。夏虫か何か分かりませんがとりあえず暗闇にじっと目を凝らしていると、ぼんやりと赤色の小さな光が灯りました。同時に、紺色のフードを着た人物が浮かび上がります。その方は火口にふうふうと息を吹きかけ炎を大きくすることに必死で、私が近付いているのに気付いていません。関所破りでしょうか。こんな夜半にけしからんことです。松明に炎が灯ったタイミングを見計らって声を掛けました。
「こんばんわ。」
紺色フードさんはビクリと身体を震わせて、手に持った松明を落としてしまいました。
「すいません。驚かせてしまいましたね。私は、」
そこでギョッとして言葉を切りました。紺色フードさんの出した松明の光でぎらつくそれは小さなナイフだったからです。
私は驚きましたが、すぐさま腰を落とし紺色フードさんの挙動に対応出来るようにゆっくりと息を吐きました。紺色フードさんは一向に近付いて来ようとしません。松明で浮かび上がったその姿は想像以上に小柄で、身に纏ったマントはひどく擦り切れています。
「私はあなたに危害を加えるつもりはありません。どうかそのナイフをしまって下さい。」
紺色フードさんは呼び掛けに応じることなく、じりじりと後ろに下がっていきます。ナイフを持った手は小刻みに震え、私に対して正面を向いて後退するその姿はどうにも手負いの獣を彷彿とさせました。何をそんなに怯えているのかは分かりませんが、これも仕事だと思い心を鬼にして武装解除を試みます。私が近付くとナイフだけを突き出し腰が引けた姿勢で
「来るな!」
と叫びました。少年なのでしょうか。思っていたよりも甲高い声でした。紺色フードさんの手が一杯に伸びた瞬間に、ナイフの柄を思い切り蹴り上げました。
「あっ」
紺色フードさんはポーンと宙に舞うナイフに呆気に取られ、間の抜けた声を出しました。私はすかさずに、ナイフを持っていた手を捻じり上げそのまま地面に押し倒します。
「ですから、ナイフをしまって下さいと、」
「すまない。許してくれ!ただ、私はこの先に行きたいだけなのだ!頼む!見逃してくれ!本当にここを通りたいだけなんだ!嘘じゃない!頼む!」
言い終わらないうちに紺色フードさんが叫びました。その必死な声音からまさかと思いフードをぱさりと外すと、長い亜麻色の髪が地面に垂れました。それは美しい亜麻色の髪を持つ少女でした。
「もう、暴れませんか?約束してくださらないとこの手を離すことはできませんよ。」
「分かった。約束する。痛いからもう離してくれ。」
もう暴れないとの約束を取り付けたので手を貸して立ち上がって貰いました。
「手荒な真似をしてすいません。ですが、いきなりナイフを出す方も悪いんですよ。」
亜麻色フードさんは恨めしげな目で顔についた泥を拭っています。
「私はここの関所の者です。谷を通るのであれば手続きをしてもらわないと困ります。」
「ならば、もういいだろう。君が手続きとやらをしておいてくれ。私は先を急ぐ。では。」
とくるりと後ろを向き行こうとしたので先回りして行く手を阻みます。
「ちょっと、待ってください。そんな一朝一夕に出来るものではないですしあなたがこの谷に下りる資格があるかどうかも見極めないと。」
亜麻色フードさんは露骨に嫌そうな顔をしています。
「それは絶対必要なのか」
「必要です。」
「通りたいだけだぞ。」
「ならば、尚更です。」
「じゃあ、資格とやらは誰が判断するんだ。その者をここに連れて来てくれ。」
「私が判断します。」
「はあ。分かったよ。何をすればいい。」
ようやく納得してくれたようです。やっと帰れます。
「では、立ち話も何なので小屋に向かいましょう。」
私は踵を返し家に体を向けて歩き出そうとして、忘れていたことを思い出しました。
「落ちた松明は消して頂けますか。山火事にでもなったら、」
後ろの亜麻色フードさんに話しかけようと振り返るとすでに姿はなく、谷に向かって猛然とダッシュしているのが見えました。
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