骨と芍薬
アロンソさんに甲冑も置いていかせるのに手間取り、集合時間に遅れてしまいましたが多分問題ないでしょう。日が昇って間もない空気は春の余韻を残してひんやりとしています。谷の入り口にはちらほらと人影が見えるものの、予定の半分もいません。
「おはようございます。」
「あぁ、おはよう」
今回の責任者である左官職人のエフタさんは岩に座ってパイプを吹かしています。
「まだ揃ってないですか」
「1時間も経てば揃うんじゃないか。」
「みんな、エフタさんなら怒らないから遅刻してるもいいと思っているんじゃないですか」
「かもな。」
口数は少ないですが不思議とこの方の周りにはいつも人が集まります。聞いたことにしか答えませんが、冷たく感じないのはなぜでしょう。
「飛び入りなんですがこの方の参加も許可していただけないでしょうか。」
なぜか固くなっているアロンソさんを肘で突ついて挨拶を促します。
「ア、アロンソです。宜しくお願いします。」
エフタさんはちらりとアロンソさんを見ると
「いいよ。好きにしな。」
とだけ言ってまたパイプを咥えました。そうして座って待っているとアロンソさんがそわそわし始めました。
「なぁ、やっぱり多少なりとも危険なとこに行くんだろ。鎧着て行った方がいいんじゃないか。」
またこの問答です。そんなの着て行った方がよっぽど危険です。多分、足挫きます。
「アロンソさん、他のみなさんは甲冑着ていますか」
「いや着てないな。町人だしな。持ってないんじゃないか。持ってたら着るだろう。絶対その方が良い。うん。俺だけでも安全に配慮して着てくるよ。」
「ちょっと待ってください。みんな着てないですよね、だからみんな危ないんですよ。だからみんな危ないんだったらアロンソさんが危なくても変わらないんじゃないですか。」
「うん?」
「じゃあ、こうしましょう。私はこのナイフをアロンソさんに貸します。もちろん剣は持ってきてないです。こうなった以上、この中で一番危ないのは私です。だからアロンソさんはそれほど危険じゃありませんよね?」
「んー。そうかも」
「加えて私はこの汗を拭くために持ってきた手拭いも置いていきます。だから、アロンソさんも甲冑を置いていってください。」
「分かった。」
自分でも何を言っているのか意味不明ですが、こんな詭弁で押し切れるのはまだ寝ぼけているからでしょう。こんな問答を繰り返しているうちに遅れてきた半数の人達ががはがはと笑い声を上げながら近づいて来ました。やっぱり大声で笑っているのは親方です。結構遠いのにうるさいです。エフタさんは揃ったのを見てゆっくり立ち上がります。その動作にいつの間にか静かになります。
「今日は、骨拾いの日だ。死んでいったのは無謀な冒険家だが、その勇気は称えるに値する。死んで、全てのものは土に還った。てめえらもいつかそうなる。今日だけでも無謀な冒険家たちに敬意を払え。冒涜は俺が許さん。だから、酒は持っていくなよ。」
酒がないと手が震えて骨が拾えねぇよ、と誰かが叫んでわははと笑いがおきました。エフタさんはニヤリと笑って
「じゃあ行くか。」
と言って先頭を歩きます。谷に下って行くにつれ、左右の壁はいよいよ険しくなっていきます。険しい斜面にはへばりつくような低木が密集していて狼や他の獣たちが身を潜めているのではないかと勘ぐってしまいます。最初は大人が二列で精一杯だった横幅はだんだんと広くなり、10分も歩くと40人全員が横に広がっても十分な幅になりました。それでも一本道に落ちている物を見つけるのは難しくありません。ただ、険しい左右の山が太陽を遮りどんよりと暗く、大岩の影などは何か薄気味悪いものが出てきそうです。谷に吹く風は強くなる一方で、皆さんの口数もだんだんと減り、ついには誰も喋らなくなりました。これだけの人数がいても大自然の前ではあまりにちっぽけで、心細くなります。
「あっ」
と誰かが声を上げ、斜面の上の方を指差しました。皆が一斉にそちらを向くとそこには大きな角の鹿がぱたぱたと耳を動かしながらこちらを見ています。目を凝らすと何か白い物を咥えています。なんでしょうか。
「肋骨だな」
親方がぽつりと言いました。重い沈黙が訪れると、余計に風が強くなりました。鹿は人の骨と思われるものを咥えたまま急な斜面を登って茂みに消えていきました。
「一体目だな。近いぞ。」
険しい目をしたエフタさんが言いました。
「角狼だろうね。これは。」
カササギ亭の主人が断言します。立体的な肋骨と背骨の骨格がまるで岩の一種のように佇んでいました。しかし、やはりその光景はどうにも異様で場にそぐわないのでした。頭蓋骨や他の骨はどこにもなくどういった経緯を辿ったのかは分かりません。葬儀屋のせがれが大きな風呂敷に骨を包んで背負いました。誰もやりたがらないこの役割は葬儀屋が負うのが習わしです。
「おい。シモン。」
エフタさんはが近づいてきました。
「この骨、分かるか?」
私は首を振ります。
「遺骨だけではどうにも。せめて遺品があれば分かるんですが。」
「そうか。」
エフタさんはそう言うと、また歩き始めました。皆さんはそれにのろのろとついて行きます。結局あと2人の遺骨が見つかりました。1人は全身骨格とボロボロのリュックが見つかったので二年前に関所を通った人であることが分かりました。もう1人は何から逃れようとしたのでしょうか。奥行き三メートルほどの洞窟の中で荷物も持たない状態で発見されました。洞窟の中にはまだ異臭が残っていました。太陽が最も高い正午の頃、谷の底の花たちは短い陽光の恵みに華やいでいました。短い間ですが谷の底の様子が暗がりに隠れることなくさらけ出されると、皆さん気分が軽くなったのか談笑の声がちらほら聞こえます。先頭のエフタさんが立ち止まりました。
「ここまでだ。ここから先は入れない。」
左右から伸びた注連縄が門番の如く、無言の圧力で何かを推し量ってきます。その先に行けばもう戻ることは叶わない。そんな気がしてなりません。エフタさんは注連縄の中央に立ちゆっくりと、そして毅然とした口調で締めの挨拶に入りました。
「今回も滞りなく進めることができて、皆の協力に感謝する。今回見つかった三人については丁重に埋葬し、改めて我々にとって死が如何に身近なものであるか再認識して欲しい。もちろん、見つかったのはごく一部の人々だ。しかし、我々はこの注連縄の先には入ってはならない掟になっている。見つけることの出来なかった死者たちへのせめてもの手向けにこの花を捧げる。君たちの眠りが穏やかであることを願う。」
エフタさんは注連縄の真下に芍薬の花を中心とした花束を置きました。短い沈黙が訪れ、ただ風の抜ける音だけが聞こえます。アロンソさんは風に髪を煽られながらもじっと花束をを見つめていました。
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