ジャスミンと甲冑
ジャスミンの花がすっかり枯れ、オリーブの蕾がぷっくりと膨らんで今にも咲きそうな頃のことでした。花の咲き終わったジャスミンを大胆に剪定して、出た蔓や葉を堆肥にするためにドラム缶に詰めていきます。と言うのも、去年は花が咲いた後に剪定せずに放置したためか花が全く咲かず、つる性の鬱陶しい植物としてオブジェ化してしまったためです。どうせ捨てるなら土壌改良に一役買って貰おうと思い、剪定ばさみを片手に作業に勤しんだのですが太陽が高くなるにつれて面倒になってきました。最後の力を振り絞り、知り合いの農家さんに分けてもらった鶏糞を混ぜた腐葉土とジャスミンを交互に重ねて出来上がりです。やりきった自分を褒めてあげたい気分です。井戸の水をぐいぐいと柄杓から飲んでいると、遠くから妙にがたいのいい人影が近づいて来るのが見えます。目を凝らしているとようやく正体は分かりました。甲冑の上半身だけ着た男が歩いて来るのです。しかも手には振り回すのにちょうど良い長さの木の枝を持っています。正体はともかくとして、意味が分かりません。私は目が合わないように、井戸の水で手を洗っていることに夢中な振りしている間も甲冑はがっちゃんがっちゃん音をさせながら近づいてきます。結構、歩くのが遅いので肘まで念入りに洗う羽目になっています。普段でも手首くらいまで洗うのが本当はいいみたいですね。ああ、どうか関所に用がある人じゃありませんように。道を間違えた人でありますように。彼は立ち止まり私に声をかけました。
「こんにちわ。いやぁ、昼間は暑いですな。」
「そうですね。暑いですね」
そりゃ、そんな格好していたら暑いでしょう。
「もしかして、ここが関所?」
関所だよちくしょう。
男は玉のような汗を額に浮かべ、柄杓からぐびぐび水を飲みます。
「いやぁ、助かった。近いと聞いていたのに一向に見えてこんから道を間違えたのかと思ったよ。」
間違えてくれれば良かったのに。
「えっと、どういったご用件でしょう。甲冑のセールスとかですか。」
「何を言う」
男は眉を顰めます。
「こんな所にくる用件なんぞ、底知れぬ深み以外にないだろう。」
「まぁ、そうですよね」
近くで見るとより一層不可思議です。甲冑を着ている人と言うのも始めて見ましたが、何故上だけしか着ていないのでしょう。頑強な甲冑から伸びたひょろ長い脚がまるで鶏のようです。それに口に蓄えたひげで年嵩がまして見えますが、案外若そうです。
「ええと、谷を下りたいということですね。立ち話も何なので、中へどうぞ。」
と小屋の方に案内すると
「あんた、関所の人間かい。単なる農夫かと思ったよ。弱そうだしな。」
とかなんとかのたまわっていました。Mr.甲冑には席に座ってもらい、私はおもてなしの準備をします。
「お茶でも出しますから座ってて下さい。」
「ああ、お構いなく」
やかんを火に掛けて今年初めて挑戦してみたジャスミン茶を戸棚から出します。中々に良い出来だったのに初めて振る舞うのが変な甲冑とは遺憾です。男は甲冑を着たまま椅子で汗を拭っています。部屋に入ったらコートを脱ぐのはマナーと言いますが、甲冑に適用されるのかは恥ずかしながら存じ上げておりません。親からもそんなことは教えてもらいませんでした。ジャスミンの香りをつけた茶葉にお湯を注ぐと甘い耽美な香りがたちまちに昇ります。
「どうぞ」
湯呑みをMr.甲冑の前に置きます。
「ああ、どうも。これはいい匂いで。これはアールグレイだな?かなり上物の。」
「ジャスミン茶です」
「ふむ。」
と口に湯呑みを運ぼうとした途中でぴたりと動きが止まります。
「あぁ、これはこれは失礼なことをした。鎧を着たまま家に上がるなど。」
と言って甲冑を脱ぎだしました。どうやらやはりコートと同じマナーが適用されるようです。一つ賢くなりまし...なんで机の上に置くかな。
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