マルクさんと船

私の工房は三人の弟子と一緒に仕事をする小さなものです。何かの記念ですとかお祝いになると町の皆さんがうちの工房で懐中時計を拵えて下さって、裕福ではありませんでしたが食べて行くのには困りませんでした。ある日、取引のあった海辺の商会の主人が興奮した面持ちで工房に入ってきました。


「マルさん、いい話があるんだよ。」


主人曰く、海の向こうから何処かの貴族が港に来るらしく、その貴族に記念の懐中時計を作って欲しいと言われた。と言うんですね。馬鹿げた話ですよね。私も初めは信じませんでしたよ。だって、絶海を航海出来るような船があるわけがないじゃないですか。海の巨獣達が人の乗る船を放っておく訳が無いと主人に言いました。主人は


「確かに一度来た」


と言い張るので証拠を見せろと私が言うとあの自動巻の懐中時計を出してきたんです。


「あんたならこの代物の価値が分かるだろ。」


主人は舌なめずりしながら言いました。私が話だけなら聞くと言うと主人はあらましを話してくれました。


「去年の末ごろにやってきたんだ。最初は銀蛇の死骸が浜辺に流れ着いたと皆思ってたんだが、そこから人が降りてきて初めてそれが巨大な船だと分かった。そいつが責任者と話がしたいと言うから俺は町長を連れて行ったんだ。町長は船の中で暫く何やら話したあと、町にはこのことに対する箝口令が敷かれた。数日停泊した後、そいつらが食料を積んで帰りたいと言ったらしく、俺の商会に話が来た。金の延べ棒で支払うと言うから喜んで食い物をかき集めたよ。納品しているときに最初に船から降りてきた奴が俺の懐中時計に興味を示したんだ。装飾が素晴らしいとか言ってたな。それで、来年の同じ日にもう一度来るが、そのときにはやんごと無く高貴な御人がいらっしゃる。だから趣向を凝らした美しい懐中時計を十個ほど用意してくれって俺に言ったんだ。すげえ興奮したけどそこは商売人だ。注文するためにあんたらが来たって言う証拠が欲しいって言ったらこいつをくれたわけさ。」


男は大きな包みを机に置くと言いました。


「うちの商会が用意出来る金の殆どだ。前金として渡して置く。どんな宝石を使っても良いしどんな技法を使っても良い。金に糸目はつけないからとにかく最高の懐中時計を作ってくれ。」


包みの中身は私が一生で稼げるのと同じくらいのお金が入っていました。私はこの男を信じました。嘘を付くような男でもありませんでしたし何より証拠がありました。何より、どれだけ高価でも良いから最高の時計を作ってくれなんて、職人冥利に尽きます。私はその日から工房に籠って10の最高の懐中時計を作り始めました。材料は商会とうちの工房を担保に後払いで掻き集めました。純金で部品を作り、宝石を削って秒針を作り、装飾も趣向を凝らし、それぞれに異なったモチーフを彫っていきました。私の持ち得る全ての技術を注ぎ込んだ傑作が完成したのは到着の一週間前でした。その到着を待つ一週間が生涯で一番幸福だったかもしれません。毎晩、弟子と商会の皆さんと宴を開きました。そして約束の日に、私も海辺の町に行って隣の八百屋さんから借りた正装を借りてそわそわ待っていました。日が暮れ、日が昇っても船は来ませんでした。私と商会の主人は青ざめ、震える膝を抑えながら丸二日待ちました。結局船が来ることはありませんでした。それからはもう大変でした。商会の主人はどこかに消えてしまい、負債は全て私と残された商会にのしかかりました。必死にお金を集めたのですが、商会の金と工房の金、親兄弟、友人、親戚から人間関係をすり潰して借りたお金を合わせても時計一つ分の材料費にしかなりませんでした。そこで私はギャンブル好きだと言う大領主様の所にお願いに参りました。硝子に付いた雨粒がどれが最初に落ちるかで、ぶどう園を一つ賭けてしまうようなお人です。大領主は私の話を全て聞いた後でさらりと言いました。


「確かに素晴らしい時計だ。お前の言う半値で十個全て買ってやっても良い。」


私は唖然としました。時計をバラして売ったって半値以上の価値になります。ですが、私にはもちろん、不渡りの手形を出した商会にそんなツテはありません。私はしょうがなく半値で売りました。残り四つ分の代金はどうすれば良いのでしょう。組合の共済に入っていますが、私と弟子が皆死んだ所で一つ分の金にもなりません。そう言うと、大領主様は言いました。


「今夜、宴がある。そこでお前を賭けよう」


名のある貴族、大商人の集まるパーティーは荘厳でした。皆の腹が満たされると、くだらない事にとんでもない額が賭けられていき、私は目の回る思いでじっと端に座っていました。場も温まった頃に大領主様は皆さんに野太い声で呼びかけました。


「皆さん、この哀れな時計職人は身の丈を弁えず、ぶどう園が8つは買えるような借金をしています。私の憐みで幾らか金を与えましたが、まだ足りないと申します。ここは、皆さん我々の憐み深い賭け事でこの男を救ってやろうではありませんか。私はこの男が底知れぬ深みを抜け、祝福の帝都に辿り着く方に愛馬を10頭賭けましょう。」


皆さんはその言葉を聞くと爆笑しました。そして皆さんが札束をどんどんと私が帝都に辿り着く方にかけて行くのです。その額は私一人分の共済額を合わせれば残りの借金に届くほどでした。宴が終わった頃に大領主様の所に向かいました。大領主様は札束を指差して言いました


「あれを返済に使えばよい。」


私は言っている意味が分からずに固まってしまいました。


「誰も 貴様が辿り着くとは思っていない。その金は貧乏人が金を積めば命を捨てると言うのが面白くて積まれたものだ。誰も本気で賭けてはいない。いわば捨て金だ。でも、良かったではないか。もしかしたら生きて辿り着くかもしれん。そのときは何か証拠になるような物でも持ち帰って貰おうかな」


がっはっはっは、と何が面白いのか笑い続けていました。私は貴族の娯楽のために谷を抜けます。でも、それで妻や弟子たちが食べて行くことが出来るならいいことだと思います。自分の子供と妻が奴隷商に連れられて行くのを見なかっただけで幸せです。伝書鳩はもう出しましたので、明日にでも立会人の方が谷に降りるのを見届けるでしょう。



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