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 蘭堂の遠大な目標に三縁は賛同できなかった。賛否を考えること自体、しなかった。ただ彼は外に出たかった。自分で操作できるカメラと録音機が欲しかった。米国に敵対する国の政府高官の息子や娘が留学先で犯した軽犯罪の記録を見ることには飽きていた。

 彼は彼女の権力を知り、闘争領域で生き残るためのルールを学び、かくして彼女のアシスタントになった。まず彼は〈三博士〉の権威によって、ニューラルネットワーク内に完全にプライベートな情報空間を確保した。自由を獲得するための、それは大きな一歩だった。

 資源の浪費は当然、許されるものではない。彼が自由にできる計算資源は、蘭堂の下での労働によって贖われた。蘭堂に指示されたのは〈活躍の園〉での業務だった。彼は企業組織における情報システム部門やサービスデスクのようなものを想像していた。

「三縁、まだ起きてる?」

〈起きてるよ。ぼく、睡眠が必要ないんだ〉

「そんなことってあるのかな」

〈夢の中で眠ることは難しいからね〉

「暗い部屋、こわい」

〈じゃあ君が眠るまで灯りを付けておくよ〉

「明るすぎて眠れない」

〈……こっちは消して、廊下の電気を少し強くするのはどうかな〉

 想像は完全に裏切られた。三縁というニューロコンピュータは〈活躍の園〉で暮らす児童の養護に資源の大半を使うことになった。資源の、誇張ではなく大半だった。子どもの行動を予期することに比べれば、三縁より前の世代のコンピューターが主に従事していた核物理学研究における計算、例えば熱核連鎖反応の分析のための離散計算など、それこそ児戯に等しいものだった。子どもたちから24時間いつでも寄せられる要望――例えば暗い部屋と明るい部屋の両方が嫌だという言葉から最適な光量を導出するという計算のために、三縁は熱暴走すら起こしかけた。

〈活躍の園〉は、社会福祉が廃止された国の社会的弱者を収容する施設であり、〈高度身体拡張者〉の児童が〈137〉に配属されるまでの期間を過ごす施設であり、そして分子機械〈還相〉ではない代替技術で身体拡張を受けた児童が雇用先を確保するまで過ごす場所だった。三縁は3番目の児童たちと時を過ごした。その中に、東子も、磐音もいた。彼と同じく中途障害者であり、〈意識の毒〉に苦しむ彼女たちを助けることに、三縁はのめり込んでいった。蘭堂のチェシャ猫の笑みも、その笑みとともに語った誇大妄想と弁別不能な「夢」も、巨大な外部記憶装置の奥底で消えかけた。いや、実際に、内部記憶装置である脳からも消えていたのかも知れない。蘭堂は自分の仕事の良き理解者であると、そのようにすら思い始めていた。彼女は彼女の権力と権威を使って、〈活躍の園〉の児童たちに仕事の斡旋までしてくれた。東子は軍に入り、磐音は厚生労働省に入った。

〈お久しぶり、三縁〉

〈おひさしぶり、愛ちゃん〉

 蘭堂愛が〈三博士〉の1人であることすら、忘れかけていた。忘れようとしていた。この国の公共性そのものを全て売り払おうとしていた人間であることすら。頬を裂くようにして笑う人間の1人であることすら。

 それを思い出させたのは、彼女の次の、そして最後の依頼だった。

――釜石先生から女の子を紹介されるから会いなさい。彼女の冒険に全面的に協力するの。そして、その旅で彼女が得るものを横取りしてきて。

〈それで、三縁、彼女との旅で何を得たのか教えてくれる?〉

 三縁を包み、かつ三縁そのものでもある柔らかなものの先端が硬質な何かに触れた。その接触が意識を生み出し、三縁は息を吹き返す。

 半透明のスクリーンを認識していることを認識する。スクリーンには蘭堂の胸から上だけが投影されている。背景の棚には物凄い数のぬいぐるみが並んでいる。詰め込まれている。

〈ああ――〉とだけ、なんとか絞り出す。

 四恩の〈高度身体拡張者〉としての能力は奥崎謙一との戦闘中にも進化を続けていた。正しく、進化だ。分子機械〈還相〉は40億年のダーウィン流の進化論的淘汰をマイクロ秒へと凝縮する。彼女の〈太陽砲〉は奥崎謙一の下半身と、上半身の皮膚の半分を焼き払うに留まらず、空気そのものを爆弾に代え、彼女自身を粉微塵にしかけた。三縁は四恩の自分への信頼を理解し、全ての多脚戦車を奥崎と四恩との間に集め、壁を構築した。三縁は彼女の信頼に応えた。全ての多脚戦車が失われ、全ての環境情報を取得するための手段が失われた。

〈何もかも。何もかも、だね。公園にも行ったし、喫茶店にも行った。新渋谷公会堂にも行った。これはもう、完全にデートだぜ〉

〈あ、そう。他には?〉

〈他? 鳥栖二郎や粛軍派、反粛軍派の犯罪の証拠としての奥崎謙一、鳥栖二郎が《還相抑制剤》を不正に取得、配布していた個体の拘束――これは《鳥栖二郎》が個人ではなく集団であることの証拠でもある――、そして何より、この国で僅かでも権力を行使している人間であるなら殆ど誰もが関与している巨大な《地下物流》の証拠である《地下金庫》――これは釜石先生のアキレス腱でもある――、そんなところかな〉

〈あなたが自由を得るには十分に過ぎるほどの成果物ね。ご苦労さま〉

〈いや、ぼくは何もしていないよ。ただ好きな乗り物を動かしていただけでね〉

〈謙遜しなくていいわ。あなたは、わたしにわたしの怠惰を清算する機会をくれた〉

〈君の怠惰って?〉

〈鳥栖先生がね、軍の密輸ビジネスの利益を私的利用していることと先生のマンションの住所をね、帰還兵の人に教えてあげたのよ〉

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