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蘭堂博士の姿をメディアで見ることは少ない。三縁の巨大な外部ストレージの中においても、彼女の画像、映像ファイルは少なかった。釜石博士と鳥栖博士の研究領域に比して、彼女のそれはあまり予算を使うものではないことに関係していると、三縁は推測した。彼女は経済学者だった。
しかし前二者よりも、もしかするとこの国に与えたインパクトは大きいと言えるかも知れない。彼女は経済誌のインタビュー――数少ない写真付きの記事――で、朗らかな笑みとともに答えていた。
「それで、鳥栖先生に呼ばれました。本郷にサイゼリヤがあってね。わたし、サイゼリヤって大好き。たらこソースシシリー風を食べながら、鳥栖先生のお話を聞きました。ついに君の夢が叶うって」
――夢、ですか?
「ええ、夢。わたしの、夢。わたしの研究の背後に、鳥栖先生と釜石先生は夢を読み取ったの」
――つまり、お二人は貴女のお仕事から、現実に対する規範的な『抵抗』を読み取った、そういうことになりますか?
「そうですね」
――……そうすると、貴女は研究者を装ったネオ・リベラリストの政治コンサルタントだと言う批判は妥当だということになりませんか?
「そうですね(笑) あなた、ナオミ・クラインの邦訳本に蛍光ペンで線を引いたりしていない?」
――この批判について、どう思われますか?
「マックス・ヴェーバー曰く、『われわれがそのときどきに意義をもつ実在の構成部分を把握するために欠くことができない思想体系は、いずれも、実在の無限の豊かさを汲み尽くすことはできない』。『これらの思想体系はいずれも、そのときどきのわれわれの知識の状態と、そのときどきにわれわれが使用できる概念形象にもとづいて、そのときどきにわれわれの関心の範囲内に引き入れられる事実の混沌のなかに、秩序をもたらそうとする試み』である」
――申し訳ありません、その、つまり?
「こう言っても構いせんよ。どんな社会科学的研究も、時代と文化の刻印からは逃れられない」
――なるほど。では、その夢とは?
「この国の知的怠惰を一掃すること。冷戦構造下の有利な為替レート、近隣諸国の内戦、大戦後の人口動態による高度経済成長が覆い隠していた、あらゆる怠惰を滅ぼすこと。それが可能になったと、先生方は仰った。そして実際、条件は整ったようにわたしには思えました。だから、わたしは社会科学的啓蒙に乗り出すしかなかった」
釜石と鳥栖によるテクノロジーの実装を政治的、思想的に全面的に肯定し、かつその政治的、思想的土台を整備したのが蘭堂だった。少なくない政治家、官僚、上場企業経営者が彼女の支持者となり、その言説を各々の現場で実践し、国の形を変えた。労働市場におけるあらゆる規制が取り払われ、社会保障は消滅し、強力なテクノロジーが自由市場における財産権の不可侵を守る。超資本主義国家が実現した。
〈こんにちは、蘭堂博士〉
「こんにちは。えっと――」
〈三島三縁。三縁ちゃんて呼んでもいいよ〉
「あ、そう。じゃあ三縁ちゃん。わたしのこと、愛ちゃんて呼んでもいいよ」
〈ばあさんて呼ぶことにしようかな〉
「失礼な子!」
〈137〉の地下、ニューロコンピュータのCPUが納められている広大な部屋の真ん中に、蘭堂博士は立っていた。ヘリンボーンのスーツを着た彼女には、まだ中年女性というカテゴリは相応しくないようにも見える。
〈礼を失するのは仕方ない。だって、ぼく、貴女のこと嫌いだもの〉
「あ、そう。でもお客さんには椅子を出しなさい。おばさんにはずっと立っているのは辛いの」
〈ヒール履くのやめなよ〉
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