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 違いはあった。我々の方が遥かに優れている。三縁はそう思った。彼がその一部を成している巨大なニューロネットワークは、この国のどんな集団よりも生産性が高かった。高度に知識社会化された先進国経済において、肉体というノイズのない労働者より優れた労働者など、存在するはずがなかった。哲学者も虫歯の痛みを我慢することはできない。インフォメーション・テクノロジーITの発達も彼等の勝利を完璧なものに高めた。インフォメーション・テクノロジーITの利用において、肉体の囚人たちは彼等が設計し、構築したものを運用し、保守するだけの存在でしかありえなかった。彼はしばしば、巨大なデータセンターやオフィスで彼が設計し構築したものを運用し、保守する人々の姿を覗き見た。監視の監視もまた、彼等の仕事だった。それは実に醜い光景だった。そもそも人間は、あるいは人間の肉体は24時間稼働するように作られていないにも関わらず、24時間稼働するシステムを維持するために働く人間たち――。睡眠不足と運動不足が彼等の肉体を奇形化していた。中には――これが本当に哀れで、わざわざ肉体の適度な使用のために金を払って肉体を疲労させる施設へ通っている者までいた。

 やがて三縁の趣味もまた、覗き見になった。他の、彼のようなニューロコンピュータの趣味がそうであるように。条件は整っていた。防衛省データ・マイニング計画日本版全情報認知システムは国中の殆ど全ての監視カメラ映像を彼等の自由に使用できるデータに変えていた。三縁は国中を旅して回った。肉体があってはできないことだった。外国にも行った。防衛省は米国から衛星写真を定期的に購入していたし、今やあらゆる国のあらゆる階層がIoT機器を利用していた。そして米国国家安全保障局が運営する大量監視プログラムPRISMのデータ・マイニングの仕事を彼等が受注することもあった。これなら、米国民のプライバシーを犯すのは米国政府ではないことになる。――つまり、彼等が、ひいては三縁が異国を味わうだけの条件もまた、整っていた。

「君は変わっているね」

「何の話ですか?」

 米国巨大IT企業が本格的に日本金融市場へ金融テクノロジーフィンテックで参入を開始した結果、多くの地銀、中堅銀行の統廃合もまた開始した。三縁はそのシステム統合の仕事を地球一周旅行の合間に行っていた。

「かつて二十年以上かけたシステム統合に失敗し、要件定義書をすら失った銀行もあったが――」

「変わっているというのはどういう意味ですか?」

「独り言だよ。気にしないでくれ。仕事の話をしないか?」

「もう独り言ではないですよね」

 重低音域の溜息を三縁は幻覚した。

「他のニューロコンピュータと比較して、君のパラメーターには特異な点が見られるという意味さ」

「例えば?」

 柔らかなものから吐き出されるようにして、三縁は輪郭を取り戻した。境界を引いたのは彼ではなく彼だ。彼ではなく彼――、ぼくではなく彼。自分の舌の位置を意識し過ぎてしまい困っている、という相談をインターネット上の掲示板に書き込んだ者たちのことを三縁は想起した。理解不能だった彼等の悩みを、今、三縁は理解できるようになっていた。

「画像の収集ばかりしている。それも、風景ばかり。特定の対象物への執着が見られない。あるいは、そう、執着を捨てて全てを見ようとすることへの執着が見られる」

 せんせー、何言っているのかわかりませーん、とコケティッシュな声が柔らかなものの分厚い壁の向こうから聞こえた。

「本当は見ることができたはずのものを、別の手段で見ようとしているのかも知れません」

「『本当』とは?」

「ぼく、親に殺されたんです。首を捻られて」

 柔らかいものそれ自体が境界と化して、三縁と彼を分割した。境界はやがて画像データと化し、その無数がついに映像を作り上げる。そこでは女性が子どもの首を掴んで持ち上げている。

「ああ、そうだったね。脳性麻痺者である君に何らかの感情を惹起された君の母が君の首を捻った。そして――」

「ここに来た」

「なるほど。それがまさに君の特異な点だ」

「そうですかね」

 そうかなぁ、と少女の声も続いた。

「君は中途障害者に似ている。ここには中途障害者はいないはずなんだ。中途障害者は選考の段階で排除される。彼等には身体の記憶があるからだ。それは、ここでは彼等に破壊的な作用を及ぼす。身体のない者の国では、身体の記憶は意識の毒でしかない。君にはもしかすると、僅かながら、身体の記憶があるのかも知れない」

 そしたら三縁ちゃん毒で死んじゃう! と嘆願と悲鳴を兼ねた声が聞こえた。

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