3-2-17-3

 内藤もまたバーカウンターの裏に入ると、フライパンをキッチンのラジエントヒーターで温め始めた。

「石嶺、彼の護衛は何人?」

「3人、です」

 研修の時の内藤の低い声を磐音は思い出していた。

「あ、そう……。じゃあ、ここはクリアだ」

 吐瀉物の臭いが上昇気流で部屋中に拡散していく。腑抜けた現地協力者が少量の油さえ入れていない全くの空のフライパンを見つめている。

「鳥栖二郎、お前……逮捕するから……。現行犯……」

「鳥栖二郎は逮捕できない。鳥栖二郎は今でも霞ヶ関でランチを取りながらミーティングをしているし、クウェートで〈身体拡張者〉の遺体を収容するための棺桶にインゴットを詰め込む作業の監督をしている」

「ああ、うん……身元不明のお前だ、逮捕するのは……。顔と指がないのだもの、DNA採取が必要だね……」

「そう! 正解! あひやひやひやひやひやひやひやひやひやひやひやひやひや――。石嶺さん、これも四宮さんの発案かね? 顔を剥がして、指をもぎ取って鳥栖二郎をただの1人の人間に戻すというのは?」

 フライパンは充分に温まったようだ。内藤はそれを持ち上げると、手のひらを表面のすぐ近くで左右に動かした。熱いね。うん。言いながら、バーカウンターから出てくる。ホームパーティーで鍋ごと追加の料理を持ってきたかのような趣。

「というよりは、わたくしたちの。きっとクローン人間ではないだろうからって。クローン人間ですか?」

「まさか。そんな金のかかることはしないよ。この国で毎年どれだけの人間が行方不明になると思う? 鳥栖二郎候補は幾らでも供給があるのさ。眼球と顔面、指を取り替えて、後は定期的に免疫抑制剤と鎮痛剤を投与し続ける。これだけで鳥栖二郎が完成する。他に何か必要かね? 高度に発達した情報社会では認証に用いる生体情報以外のそれの価値は低下し、低減し、無になる」

「ただわからないのが、どうやって貴方たちが情報を共有しているかということ」

に聞いてみるといいよ。機会があるならね」

 そうしますねと、磐音はこの上なく穏やかな声で言った。それから、内藤の方へ手を伸ばす。

「僕がやろうか……」

「いいえ、わたくしが」

 内藤が今一度、フライパンの底へ手のひら近づける。遠赤外線効果から表面温度を推測する素振り。または純粋に時間稼ぎ。それでも磐音が彼を見続けていると、ついに降参した。実際に、そういう表情だった。

 磐音は彼から受け取ったフライパンを鳥栖二郎の指の断面に押し当てた。

 いひひひひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひ――。

 肉の焼ける臭いと彼の限りなく嬌声に近い絶叫とが鼻と耳から入り、磐音の頭の中を満たした。この方法を彼の顔面の止血にも使ってよいのか考えなければならなかった。だが考えられなかった。彼あるいは彼等もまた、作られた存在なのだった。彼あるいは彼等と自分との間にどれくらいの隔たりがあるだろうか。もしかすると、まるっきり、そんなものは無いということもありえる。いや――濃厚でさえ、あり、える。

「石嶺、きみ、東堂さん以外に友だちができたの……。四宮さんというのが、そうなんだね……」

「はい」

「新しい友だち、大事にしなよ……。薄いけど……、しかし確かに『隔たり』になるからね」

「はい」

 内藤は別室へ移動した。磐音には内藤がそこで何を見ることになるか、もうわかっていた。彼には彼の仕事がある。磐音が途中で放棄してしまっていた仕事でもある。そこには大量の、〈活躍の園〉から運び込まれた〈還相抑制剤〉が置かれている。彼女が何足ものパンプスを犠牲して割り出した部屋の一つが、ここだった。鳥栖二郎が医療機関を経ずして、非合法に分配する〈還相抑制剤〉の保管庫。〈活躍の園〉をベランダから見ることができる立地。〈地下金庫〉でもある〈活躍の園〉で何かあれば、大いに役立つことになる。そして役に立った――彼女にとっても。

 まだ〈鳥栖二郎〉という集団そのものにも、彼等を作った意志にも手は届かない。

 でも、少なくとも〈幻想抑制剤〉の分配を操作する手段は奪ってやった。後は麻薬取締部に任せればいい。大麻取締法が廃止されたからというもの、警察化する自衛軍に権益を脅かされ続けた彼等。死物狂いで〈還相抑制剤〉の地下ルートの関係者を追い詰めるだろう。幸運にも顔と指を失った鳥栖二郎を得た彼等の復讐戦が始まる。

 四宮四恩はもう奥崎謙一に会っただろうか。彼女は彼女の、途中で放棄してしまっていた仕事を終わらせる機会を得ただろうか。磐音は今自分が味わっている達成感、解放感を彼女にも是非味わって欲しいと思った。それで、前職の先輩に挨拶することもなしに、〈活躍の園〉へ向かうことにした。新しい友だちを大事にすることに、まさか彼が反対するとも思えなかった。



                               3-2-17 終わり

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