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 一瞬先の未来が現在の過去の風景として、彼の脳裏に流れ込んできた。資本主義の夢の嵐が少女たちを包み込む。スプリンクラーはもう、意味をなさない。彼女たちを挽き肉にし、バーベキューが始まる。金地金が腹部に突き刺さり、痛みのために下げた頭をプラチナ地金が打ち、銀の延棒が骨から肉を削ぎ、各国紙幣が傷痕に貼り付いて燃え上がる。油の跳ね上がる音をすら、彼は聞いた。まだ実現していない、未来の音を。

 つまり、彼は慢心していた。

 電子の海に介入するための意識のリソースが急速に、猛烈に奪われていく。〈地下金庫〉へと踏み込んできた哀れな少女たちの死のイメージも急速に、猛烈に萎んでいく。塗り替えられていく。自分の生命を守りたいという衝動へと。

 彼と対峙していた少女もまた、そうであったらしい。重力の操作は中断されている。彼の方を見てさえいない。天井を見ている。他の少女たちもそうだ。

 彼はあの砂漠を生き残った戦士であったから、こういう時に何をすれば良いか心得ていた。優秀な敵は無能な味方よりも、実に、信頼すべきだった。

〈状況は?〉

〈状況……! 状況だと……? ここはな、そうだな、地獄だ。この後はどうなる?〉

 スマートレティーナ越しに外の景色を見る。何も起きていないように見える。人が紙切れのように引き裂かれ、燃え上がり、命の価値が低下し続けていく他には。

〈ここを守りきれば、僕たちの勝ちだ〉

 上の様子を知りたいがためだけに通信したので、奥崎は通信相手の運命に興味がなかった。彼が自衛軍時代の部下とともに鳥栖二郎の下で働いていること、彼に膨大な借金があること、彼に妻と息子と娘がいること、いずれにも興味はなかった。しかしそれらは、スマートレティーナによる中継を維持するためには重要な要素だった。奥崎は彼に安心を与えようと思った。

〈地獄を?〉

〈そう、地獄を。僕たちだけがここを守りきれると証明しないといけない。証明できれば、後はもう交渉すら必要ない。みんな資本マモンの奴隷なんだから〉

 同期されている彼の視界では鉄鎖の他には失う物を持たない最強の戦士たちが次々と彼の方に走ってきては銃撃音とともに鮮血を撒き散らして倒れていく映像が、まるで録画をリピートしているかのように、執拗に繰り返されていた。

〈ああ……〉

 唐突な青の侵入がリピートを終わらせた。スマートレティーナの装着者が空を見上げたのだ。

〈最後の審判か? こんな時に?〉

 空が分割されていく。境界など持たないはずのそれに境界が形成されていく。

〈《われわれの時間概念だけが、最後の審判をそのように呼ばせるのであり、それは、ほんとうは即決裁判である》〉

 初め、それは直線に見えた。青を切り刻んでいくようにして、交差し、平行し、増えていく。やがてそれは直線ではなく円弧であることが、誰の目にも明らかとなる。

 無数にして完全な円形が遥か宇宙から降りて、来る――。

〈活躍の園〉の上空を巨大な瞳の数々が埋め尽くした。惑星大の外宇宙人たちが地球の惨状を覗き込んでいるようでもあり、冷徹なラストオーダー・サイバネティクスの観察者が見下しているようでもあった。

「『太陽砲ソーラ・レイ』四宮四恩!」 

 地下室にいる少女たちの誰かが叫んだ。

「狼狽えないで。今は単なる脱走者だ」

 重力を操作する彼女は何と呼ばれているのだろうか。奥崎謙一はそんなことを思った。思いながら、彼は口を動かした。動かしてしまっていた。

「四宮四恩。し、の、み、や、し、お、ん。我が命の光、我が腰の炎。light of my life, fire of my loins.我が罪、我が魂My sin, my soul.

 これは言葉の正確な意味において脊髄反射だと、奥崎は思った。脳など、彼は使わなかった。光と炎と罪と魂が、彼の舌を動員していた。

 あああああああああああいいいいいいいいいいいいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいいいいいいいいいいいいいぁぁぁぁぁぁ――!

 奥崎の目の前を、きつく結ばれた長い髪の一房が通り過ぎた。重力は、既にこの惑星の平均にまで回帰していた。

「逃げるの?」

「『逃げるは恥だが役に立つ』。知らないの?」

 知らなかったので、奥崎は彼女の血液を沸騰させることに決めた。可能な限り、ゆっくりと。気化した水分が内蔵を圧迫し、最終的には皮膚を突き破る。その痛みは、末期癌患者の苦しみの倍の倍の倍だろう。

 彼は再び電子の海に潜った。あるいは、既に潜航している自分を認識した。そして感覚した。自分へと殺到する弾丸の数多を。

 見ると、白装束の少女たちが床に伏せている。彼女たちの前には二脚を銃架として取り付けた対物ライフルが置かれている。なるほど、確かに逃げるは恥だが役に立つのかも知れない、と言おうとした彼は、長い髪の一房を仔馬の尾のようになびかせながら去る少女と入れ違いに〈地下金庫〉へ運ばれてきたものを見た。三脚を取り付けた無反動砲だった。

 あああああああああああいいいいいいいいいいいいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあああああああああああいいいいいいいいいいいいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあい――!

「どれくらい必要?」

「10人くらいは死ぬことになるかと」

「5人にして」

 アサド政権軍はアレッポから奥崎を追い出すために、ベネズエラから買えるだけの弾道ミサイルを買い、かつてのイスラーム国の「首都」ラッカから発射できるだけの弾道ミサイルを発射した。彼女たちの奥崎に対する態度は、あの中東の長過ぎる紛争に対する過小評価、侮辱であるように、彼は思った。

「『太陽砲ソーラ・レイ』は?」

「まだ、何も」

「素通りさせて」

「でも彼女は」

「いいから」

 それに彼女がここに来るからには速やかに掃除をする必要がある。新渋谷公会堂の続きを、ここで行うのだから。彼女を十全に生きることのできる自由な世界へ連れていけるのは、ありとあらゆる資本で身を守ることのできる、この奥崎謙一のみであると教える必要があるのだから。

「我汝のかたはらを通りし時、汝が血の中にをりて踐るるを見、汝が血の中にある時、汝に生よと言り、即ち我なんぢが血の中にある時に汝に生よといへり」

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