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「〈三博士〉の、幾つかの偉業の内の一つですね」

 武野が宙で指を踊らせながら言った。スマートレティーナが展開する視界の第二層に何か書き込んでいるようだった。

「しかしそれが何か? そこから話を始めて良かったのですか。もうすぐ飯能警察署に着いてしまいますよ」

 窓の外に家屋の数が増えてきた。河の上に架かる橋の数と同様に。市街地は、もう、間もなくだ。

「それが、国家がぼくの研究のスポンサーになってくれることと、どう関係するのかな?」

「全ては関係している。関係していないものなどない。そんなこともわからないのに、よくも研究者になろうとしたものだね」

「才能に恵まれていないとはよく言われるよ」

「幸運には恵まれている。私と出会っているのだから」

 チェシャ猫の笑みが、さらにさらに深くなっていく。釜石は殆ど、鳥栖の両頬の肉は裂けているのではないかと思い始めている。桃色の歯茎まで、彼は露出している。

「考えてもみたまえ。日本版全情報認知システムの構築は省庁横断型の巨大なプロジェクトだよ。クレジットカードの利用履歴を初め、納税記録、銀行口座の出納記録、職務経歴、医療データ、小学校から大学までの成績、ロケーション履歴――これらを全て取得する」

「国民の同意が得られるかね?」

 ただ鳥栖の話の腰を折り、勢いを削ぐためだけに釜石は聞いた。この時にはもう、既に操作されつつある自分に自覚的になっていた。考えるための時間を確保したかった。

「国民の同意! なるほど、ここは平和主義の民主国家だからね! しかしそんなものはもう遠い昔に取り付けてある! テロルとパンデミックのトラウマを喚起してやるだけでいいのだよ。それだけで彼らは羊のように、何もかもに同意してくれる。東京オリンピックを思い出せ! と一喝するだけで済む」

 猛烈な高齢化と少子化の進展、低下し続ける労働生産性、中国の台頭による極東アジアにおけるプレゼンスの低下と言った、先進国からの凋落の恐怖のために、国民はオリンピックという劇薬を服用した。その効用は、高度経済成長期の夢を可能にすること。しかし、期待は全く裏切られた。参加予定国の大半がパンデミックの輸出と輸入を恐れて選手団派遣を見合わせ、数少ない参加国もまた、市中感染をコントロールできていない日本へ渡航する選手達に防護服の着用を強制した。訪日外国人の数も合わせて減少し、政府試算の経済効果は絵に描いた餅そのものになった。そして、さらに、アイドルグループと「イケメン」俳優、それから異様に目の大きな美少女のキャラクターが踊る開会式で複数の圧力鍋爆弾が炸裂し、参列者は防護服と肉の混ざった、紅白の団子の無数と化した。後に残ったのは、民間の買い手がつかない巨大スポーツ施設と赤字国債、そして国内の技能実習生に向けてさらなるテロルを実行するように呼びかける国際テロ組織の声明――YouTubeに「Nightmare for Tokyo」というタイトルで投稿された動画だけだった。

――除染をする同胞の諸君! 工場で指紋を失った同胞の諸君! 出入国在留管理局で夫が自殺した寡婦の諸君! 仲介団体にパスポートを取り上げられた青年の諸君! 我々は貴方たちの味方です。我々は貴方たちの味方です。我々は貴方たちの味方です。我々は貴方達に呼びかけます。……応答せよ! 応答せよ! 応答せよ! 我々の攻撃に続け!

「ああ……。そうだろう。ぼくも同意するよ。もう国家規模のデジタルトランスフォーメーションしか、この国の諸問題を解決する方法はないだろう。少なくとも、そう、そういう気分にはなるよ。これだけ問題が山積していては……」

「国民の同意など、どうでもよいのだよ。そんなものは議論にも値しない。それより考えて欲しいのは、既に述べたようなデータを収集し、産業の合理化を推進するとなれば、どれだけの利害関係者を説得し、まさに同意を取り付けねばならないかということなんだ」

「そうですね。私もその点は気になっていました」

 誰よりも省益に拘る男が釜石の回想に口を挟んだ。

「鳥栖博士は私とは違って、優秀な商人でもあった。彼はある特別な……、特殊なアカウントの配布を彼らに約束した。日本版全情報認知システムにデータを収集されず、参照しようとすると常に虚偽情報ディスインフォメーションを返されるアカウント――つまり今の鳥栖次郎のようになれるアカウントをね」

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