3-2-11-5

〈お前なら何とかできるだろう〉

〈僕がここにいることを全世界に明らかにしてよいのなら〉

 奥崎謙一は動かない。動けない。彼の強さは何処にもいないはずなのに、しかし確かに何処かにいるということに由来するのだから。

 恐らくは怒りのために、奥崎の通話相手は息を飲んだ。

 こっ――。

 とはいえ、もしも彼女がここで奥崎謙一を引き摺り出せていれば、四宮四恩に余計な苦労をさせることもないのだが。

 飲んだ息を吐かせまいとするかのように、奥崎が一気呵成に喋りだす。

〈彼女はどうやら、その肉体が特殊な、一種の金属のようなもので構成されている《高度身体拡張者》だ。外部から加えられた力の一切を、選択的に吸収し、電気や熱といった形に変化せず、そのまま、直接に保存できるらしい。しかも、その一切を、そのまま、選択的に放出することができる〉

〈それで? 弱点は?〉

〈弱点? 女の子だから虫とか苦手かもよ〉

 残念! カムパネルラは虫が好きだった。

〈馬鹿野郎! 冗談を言ってる場合か!〉

〈性差別的発言だったかな。お化け、幽霊はどうだろう〉

 正解! カムパネルラは幽霊が苦手だった。幽霊のほうが虫よりも1000倍も厄介だ。その存在についてコンセンサスが存在しない。

〈こうしている間にも――〉

 奥崎が彼を煙に巻く間にも、カムパネルラは歩を進めていた。歩、を。あと3度も地面を踏まずに目的地へ着くだけの脚力が彼女にはあった。しかし、今の状況こそ、彼女が望んだものだった。

 石油をばら撒いて火の手を大きくするだけのトラックは、既に猛烈な速度のバックで、カムパネルラから遠ざかった。

 敷地内道路の真ん中を歩く彼女を、今、睨めつけているのは、両脇の歩道に並ぶ人々の無数だ。

 彼らは殆ど隙間なく、彼女の目的地までの道のりまで、立っている。

 彼らはタクティカルベストとベースボールキャップと、銃火器を持っていて、そしてその銃口を彼女に向けている点が共通していた。

 銃火器そのものは腰だめに構えることのできる大きさの物もあれば、地面に這いつくばらないと使用できない分隊支援火器もあった。しかしいずれも彼女を殺し尽くすにはあまりにも玩具に近似する武装だった。彼女はもののあはれを感じた。

「『恋せずば人は心もなからまし物のあわれもこれよりぞ知る』」

〈このまま素通りさせるぞ。お前が、やれ。お前が、やるんだ〉

〈いや、君たちが、やれ。君たちが、やるんだ。僕はこの巨大な地下金庫を守らなければならない。これは君たちよりも価値がある〉

〈あれは何処に向かってる?〉

〈彼女はここに向かっていない。彼女は僕の敵ではない――あらゆる意味で。しかし彼女は決して陽動ではない。だから君たちは戦わなければならない。君たちは殺されなければならない〉

 歩道から男が1人、飛び出してくる。その手にはタクティカルナイフが握られている。既に逆手持ち。振り上げられた刃。日光に煌めく。ところが彼の顔ときたら、深淵を覗いた者のそれだ。その対照に、カムパネルラは笑った。笑いの爆発。哄笑。

 いいいっ、いいいっ、いいいいいいいっ、いいいいいいいいいいいいいいい――。

 そのために彼が自分のしようしていることの結果を予め理解したことをカムパネルラは理解した。ちょうど彼女の胸へとナイフを突き立てる軌道を描いた彼の腕は、しかし彼女の衣服を引き裂くこともなく、静止した。

 腕だけではなく、彼の全身が静止する。その場に座り込む。

 その頭頂部をカムパネルラは覗き込む。銃弾が駄目ならナイフ。最早批評の余地すらない、あまりにも稚拙な考え。それとも、彼女が何を吸収しているのか検証するために選ばれたのだろうか。籤引きか何かで?

 彼女はエネルギー一般を吸収している。人間も、その活動のためにエネルギーを利用している。だから彼女が彼の頭に手を載せて軽く撫でてやると、彼の体内で彼の筋肉を動かすためにアデノシンとリン酸基が分解することで生成されていた全エネルギーが彼女の両手指へと移行した。

 はっはっはっはっはっ――。

 彼の身体は飢餓状態の自身を救うために脂肪の燃焼を開始したが体温を上げることすらままならない。

 はっはっはっはっはっ――。

 目を見開いた彼、カムパネルラを見上げる。汗まみれの顔に、彼女は手のひらを滑らせる。荒い呼吸のたび、彼の顔面の凹凸を感じる。

 彼の絶命まであと僅か。彼女の手も吸収したエネルギーのために膨れ上がっている。皮膚表面に毛細血管までもが浮き上がっていた。

「ばけもん! ばけもん! ばけもん!」

 振り返ると涙を流しながら立っている男が見えた。彼女は足元の男から手を離した。

 ばけもん! ばけもん! ばけもん!

 バケモンという言葉がゲシュタルト崩壊してBAKEMONという音の連なりにしか聞こえなくなった。彼はそう連呼しながら、片膝を立てて、携帯式の対戦車擲弾発射機を構えていた。

〈RPG-7!〉と三島三縁の水晶の嬌声。

 多脚式戦車の登場以降、その装甲にダメージを与えることもできず、ただ位置を知らせるだけの純粋な自殺機械と化した携帯式ロケット弾発射装置は低強度紛争の現場でも採用されなくなっていた。本当に、今、カムパネルラは珍しい物、古き良き時代の遺物を見ていた。ただ、三島三縁の興奮は意味不明、理解不能だった。

〈飽和攻撃しかない。他に選択肢はない〉

〈どれくらいの量で飽和する?〉

〈それは君達が死ぬことで調べろ〉

 カムパネルラには四宮四恩のように、視界を共有している三島三縁のために彼の喜ぶものを見続けるような優しさはなかった。彼女はRPG-7から、足元の、震える男へと視線を戻す。胸を蹴る。地面に倒す。踏みつける。エネルギーを奪う。奪えば奪うほどエネルギーを生成しようとする人間という発電機から。

 いよいよ彼が絶命する直前に、空気を切り裂く音が鳴り響いた。響いた同時に、成形炸薬弾が音速でカムパネルラの背中へと命中した。

 いや――セーラーワンピースの背中部分の繊維に、触れた――。

〈攻撃し続けろ! あれが死ぬまで。我々が死ぬまで〉

 同時に、推進力を失い、地面へと落下。砲弾先端部分の衝撃信管が振動を感知し、起爆薬を燃焼させる。

 炎が少女を包み込む。

 BAKEMON! BAKE-MON! BA-KE-MO-N!

 彼女は火炎の中で、射手の声を聴いた。

 彼がゆっくりと、平静さを取り戻す過程すら、聴いた。

 その間にカムパネルラもまたBAKEMONがばけもんを意味し、ばけもんが化け物を意味しているということを再度、理解できるようになった。

 四宮四恩に、このお洋服、とっても似合っているねと言われた少女にそれはあまりにも失礼だろうと彼女は思った。

 思ったので、彼女は足元で凍死した彼のATPと成形炸薬弾の推進力と起爆薬の猛烈な酸化から取り出した全エネルギーを膨れ上がった頭部と両手から放出した。

 彼女の頭部と両手がセーラーワンピースのサイズと合うだけの大きさに戻る中、放出されたエネルギーは衝撃波を現象した。

 空気が弾丸そのものとなって、彼女を取り囲む者達の身体を地面から引き離し、次いで、彼らの上半身と下半身を引き離した。

 いいいいいいいっ、いいいいいいいっ、いいいいいいいっ、いいいいいいいっ、いいいいいいいっ、いいいいいいいっ――!

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