3-2-9-2
教わったことはないよ。そもそも学校に行ったことがないからね、と奥崎は笑いながら答える。鳥栖二郎はまだ無の表情の仮面を顔面に貼り付けたまま。
〈君が手配した部隊は私の手配した部隊が撃破して、東京湾にばら撒いた。私が業務を委託している《傭兵》は君だけではないのだよ。勘違いしてはいけないよ。君はなるほど、最強の《高度身体拡張者》であり、君を操作しているという事実が、〈137〉と〈地下物流〉組織の操作を可能にしているが、私は同時に、常に、プランB、C、D、……と複数の選択肢を温存している〉
奥崎は学校というものに行ったことがなかった。憧れを抱いたこともなかった。憧れは、僅かであれ、実現可能性がなければ成立しない。奥崎の人生には学校に行くという可能性は――「選択肢」はなかった。少なくとも、彼女に出会うまでは――。
〈四宮四恩の頭は完全に壊れているようだ。〈地下物流〉組織の資産には何の興味もないらしい。恐らく、それを破壊しようとしている。奪取ではなく、破壊だ。君を誘き出すためにね〉
彼が何かを選び取ることは、人生の初めは、有り余る幸福によって奪われていた。そう、幸福によって――。最後の都市アッパーミドルの両親は、彼を愛し、彼が欲する前に与えた。食べ物も、子ども部屋も、玩具も……。
次には、不幸によって――。車庫に並んでいた高級外車が1台ずつ消えていき、ついに車庫が空っぽになった後、一週間もせずに、彼の両親は自殺を決意した。あのオリンピックの夢の後に起きた国債の暴落と金利の急上昇、そして新型ウィルスの猛威による経済の縮小が、彼らの経営する会社のキャッシュフローを止め、ストックを無価値にしたのだ。
両親は彼を愛していた。愛は全てを可能にする。愛というメディアは愛の名のもとに全ての行為を正当化する。貨幣や権力がそうであるように。そういうわけで彼は、目を細めた、穏やかな顔をした両親の手で、高層マンションの最上階から1階に住む人の家庭菜園へと躊躇なく突き落とされたのだった。
「『いたわるふりをして――人を殺す手を見たことのない人は、人生をきちんと見てこなかった人だ』」
〈何か言ったかね?〉
〈いや、何も言ってないよ、博士〉
潰れたレタスから立ち昇る植物に特有の香りと、潰れた自分の手足から立ち昇る血の臭いとが混ざり合ったものが、彼の鼻と口の中を満たす。その強烈な刺激が、意識の喪失を束の間、延期する。そのおかげで、彼は見ることができた。彼めがけて落下してくる、両親の凍りついた顔を。
〈どうやら〈137〉は四宮四恩をこそプランBとして温存するつもりのようだ。なおのこと、彼女を殺すことに意味が生じる。我々こそが〈地下物流〉組織の庇護者であることを、示すことができるからね〉
「示して、どうするの。その後は?」
〈君こそ、その後はどうするつもりだった? この末法の資本を独占して、その後は〉
「全世界を〈バーストゾーン〉にするための軍資金にしたかったな」
「なら、私と同じじゃあないか。どうして、目的が同じなのに協力できないということがある? どうして、目的を同じにするパートナーを出し抜こうとする必要がある?」
無線通信ではなく肉声で、鳥栖はそう言った。彼は人民元の山の間に立っていた。無数の毛沢東が何処か遠くを見る中で、彼だけが奥崎を真っ直ぐに見据えていた。
奥崎は彼に会うために、〈活躍の園〉の地下にある〈地下物流〉組織の巨大倉庫を歩いていたのだった。彼は百枚ずつに束ねられた人民元のブロックでできた直方体に腰掛けることにした。
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