3-2-8-6
〈お前に『自由』をやろう。奥崎があれほど渇望したものを、お前は車を停めて、森山を引き渡し、私の下に戻るだけで手に入れることができる。《地下物流》の富を、我々と奥崎とお前で共有する、どうだ?〉
あははっ、と短く、乾いた笑い声が車内に響いた。全員の顔を見たが、誰も笑っていない。どうやら、それは四恩自身の喉が作った音だった。
「『自由』の定義に拠りますね、それは」
〈お前が三島三縁と呼んでいるニューロコンピュータのCPUの1つは、破棄しないといけないだろう。それは、お前のように二重の身体を持たない。お前はこの今も、飯能市にある公立中学校の特別教室で教育を受けていることになっている。しかし、それは純粋な意味で〈137〉の所有物だからだ〉
「話になりません」
〈どのみち破棄される。この取引がご破算になろうが、成立しようが。どのみち、破棄される。まずあの液体を抜いてやる。奴の皮膚代わりになっている、あの液体だ。あれは単に冷却水ではなくて、今では奴の皮膚でもある。それを抜き取ってやる。そうするとだ、あの水槽の中で奴の身体は落下して、もう何年も使っていない骨が砕けて、脆弱な筋肉と内蔵をゼリー状になるまで破壊する。痛覚もしっかりと残っているからな――お前が三島三縁と呼んでいるアレは、全身に及んでいる神経をそのままCPUにするという実験の成果物なんだ――身体のない人間が死とともに身体を取り戻すと、どんな断末魔を上げるのか? 前例のない実験じゃないのか、これは。え? どうだ? 気にならないか?〉
「今すぐやってみろ、クソ野郎。できるんならな」
震えずに言えた! と四恩が思った同時、金切り声が届いた。遥か遠くから――いや、もう殆どゼロ距離だ。それは、彼女が音源との距離を推測しようとする、その一瞬で彼女たちの頭上にまで到達していた。
〈プレデター! かっこいいなぁ。ああいう身体が欲しいなぁ〉
三縁が呑気にも感嘆している。四恩は彼が三島三縁のために、彼自身のために怒っていないことに怒りそうになったが、彼の感情は彼の自由なので黙っていた。それよりは、このワゴン車の上にぴったりと貼り付いた無人機について考えるべきだと判断した。スマートレティーナ上、視界の端に新しいスクリーンが展開し、無人機の画像とスペックを表示し始めた。
とはいえ――。
とはいえ、それはやはり四恩の口の動きを滑らかにする材料になる。
「あなたたちは本当に奥崎謙一を飼うことができているのですか?」
小型化されたヘルファイアミサイルを4発搭載している無人機はしかし、その1発すら使う気配がない。だからこそ、三縁も「身体がないから空も飛べるんだよ」と相変わらず新しい身体の候補についての評価を続けている。
〈飼うことができていないとしたら?〉
「黙って見てろ、ということになります」
〈それも、ありえる選択肢の1つだ。それならば、わざわざこの私が死を与える必要もない。真実が、お前に死を与える〉
岩井は不気味なほどに落ち着いた声でそう言った後、予告なく無線通信を切った。Sound Onlyのテキストが砂のようなアニメーションとともに、視界の外へと流れて消えた。
プレデターもまた、それと同期するかのように、彼女たちの乗っている車を追い越して、空の彼方へと消えた。
四恩は溜息をついた。煙草でも吸いたい気分だった。ベッドに寝転がり、長い小説でも読みたかった。ユリシーズとか――。そして本を自分の顔に落として、いつの間にか眠りに就きたかった。
「奥崎はさらに雇用主を変えるつもりなわけ?」
東子が言ったが、四恩は腋を流れる汗の冷たさに即座に答えることができなかった。三縁が、四恩を庇うように、ゆっくりと話す。
〈今に至るまで、ぼくの冷却水が抜かれていないことから考えると……釜石くんの影響力はまだ生きているわけだ。そしてそれは『同時多発』テロの規模が、〈137〉の予算増額に必要な程度を超えてしまったということでもある〉
「そしてそれは、プランB――四宮四恩と愉快な仲間たちって選択肢を温存したいくらいの規模ってことね」
〈で、かつ、次の雇用主にアッピールできるくらいの規模ってこと〉
「貴方達、奥崎に救われたわね」
四恩は東子の横顔を見た。それしかできなかった。車内の全員が、そして三縁までが沈黙し、森山さんの呻き声がはっきりと聞こえるようになった。
地下のプールからさらに地下の地下の地下のプールに三縁が移されたのは、その破壊がその他の「CPU」に与える影響を軽減するため、そして、まだ幾つか残っている彼の〈137〉の情報システム部としての仕事を終わらせるため、だけではなく――だけではない――奥崎謙一への対抗策を温存するため――。
希望が、もしくは希望的観測が奥崎謙一のために、湧いてきた。彼という巨大化し続ける暴力そのもののために――。
希望が、次に取るべき選択肢を考えるように四恩へと迫る。目が回りそうだ。自分が次に何を為すべきか、そんなことを考える機会は、これまで殆どなかった。これが自由というものなら、あまりにも重荷かも知れないとまで思い始めていた。
「あの――」
ひどく神妙な顔つきの磐音が、呻き声を上げる森山を指差している。
「この人、もう何処かに捨てませんか。《活躍の園》の何処に財宝があるのかはわかりましたし、呻き声がうるさくて。唾も凄い飛んできて……」
「あら、そう。それなら確かにもういらないわね。肉の盾としても用済みだわ。他に何か用途はある?」
三縁が〈プレデターがぼくたちを無視したのも、警察力比例の原則が理由だろうしね〉と言った時点で、もう彼の運命は決まってしまった。カムパネルラは窓の外を眺め、小さな声で看板と広告に書かれたテキストを復唱しているだけだった。
をををををううううううううううううううううううう――。
走行中の車から、森山さんは放り出された。犬の遠吠えに似た声だけを上げながら、森山さんは宙を舞い、地面に落ち、転がった。走り続ける車と、転がり続ける彼の距離は瞬く間に広がった。
「これで、四恩さんのところの本部長さんも喜ぶかしら?」
「車を停めて引き渡せって言っていたから、喜ばないでしょ。だって走ったままだもの」
ぎゃははははははははは――と同時に笑い声をあげる東子と磐音。
「あと――着替えませんか? 四恩さんも、着替えましょ? ね?」
とにかく、次にやるべきことは明確になった。四恩は安堵した。そう――着替えることだ。まずは着替える。着替えてから、考える。
「『変革者というのは、世界の残忍さをそのまま受け入れ、そして一段と激しい残忍さで世界に応酬できる人間のことを言うのだと思う』」
カムパネルラが窓の外から目を離さずに、言った。
変革者――そんな大したものではない――。
ただの、女の子。ただの、人。ただし、怒りに満ちた。
3-2-8 終わり
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