3-2-8-3

〈私との通信は常に最優先ラインで、と教えたはずだが。フリーランス気取りの怠惰な生活で、すっかり脳が萎縮したのか〉

 四恩は「岩井悦郎」の文字列が大きくなったり小さくなったりするスクリーンの縁に沿って、視線を動かす。〈共有して〉と、三縁に無線通信を送る。〈う、うん〉自分でも思いがけないほど低い声を出したので、三縁は驚いたかも――。東子がこちらを一瞥したことで、車内の全員が「岩井悦郎」の文字列を見ることのできる状態になったとわかった。

〈わたしも、Sound Only?〉

〈うん〉

〈わたしの仲間と人質を彼に見せたい〉

 カーナビゲーションシステムのモニターに車内の様子が映り、四恩の望む状態になったことを黙示した。

〈私の敵になるつもりなのかい、

 岩井悦郎の、あの分厚い唇の隙間から自分の「名前」が出てくる瞬間を想像してしまう。四恩は寒気を覚えてしまう。しかも、その声の穏やかさときたら。演技な過剰な「父」役の風情。

 この寒気は――恐怖ではなく嫌悪に由来している――。

〈敵になることはできません。初めから、敵だったのだから。

〈私が? 結城と御厨を殺した? どうやって? 私は執務室にいたというのに。殺すことなど、できるはずがない。彼女たちは任務中に、身体拡張者によって殺されたのだ。現実の否認はやめなさい〉

 やめ――?

〈あなたのような、デスクワークで肥え太った軍務官僚が彼女たちを直接に殺せるなど、思っていません。どんなに脳が萎縮しても、ね。《死なせるか生きるままにしておくという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れたと言ってもよい》。あなたは池袋のテロ以前か、あるいはその時点から、奥崎謙一と共謀していた。あなたは――考えたくもないが、何らかの理由により、結乃を死へと廃棄することに決めた。水青とわたしから彼女を孤立させ、奥崎謙一の待つ場所へ送り込んだ。同様に、新宿で水青を死へと廃棄した〉

〈貴女、そんな低い声が出せたのね〉と東子。

〈静粛に! 静粛に!〉と三縁。

〈どんなくだらない理由で、こんなことを始めたのですか?〉

 少しの、ほんの少しの間の後で、岩井悦郎が答えた。

〈お前のことも死へと廃棄しようとしていたのだが、釜石先生がお前に御執心だったのでね。地下の地下の地下に送ることにした。これで、理由の説明にならないか? どうだ? その男にまで辿り着いたお前なら、もうわかるだろう?〉

 その男――誘拐し、拷問し、〈地下物流〉がこの国に運び込んだ財宝の在り処を吐かせた、彼。戦争ではなく戦場そのものから利益を吸い上げていた〈地下物流〉の、管理人の1人。名前は――たしか――。

〈森山森魚さん、だよ〉

〈ありがと〉

 森山さんは――学生支援機構からの「教育ローン」に苦しんで自衛軍に入り、イラク並びにシリア駐留自衛軍の補給部隊の隊員となった。その軍人としての職務は、ルート・アイリッシュの往復で終わるはずだった。だが、彼曰く――棺桶を開けたために変わってしまった。彼は副業を始めた。その副業こそ、〈地下物流〉だった。

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