3-2-8-1 末法資本その3、あるいは資本とは死んだ労働のことである

 黒塗りのワンボックスカーがリアドアを開く。カムパネルラは既に助手席の後ろの席に乗り込んでいる。磐音は音響機器運搬用の箱から人間を取り出して、脇に抱えようとしている。それで、四恩は助手席に乗り込む。

「ご苦労さま」

 東子がサイドミラーを見ながら言った。四恩もまた、サイドミラーを見た。能力を使うことは可能な限り、避けなくてはならない。

 ミラーは1台の、白塗りの兵員輸送車が近づいてくる光景を映している。鏡って便利だな、とだけ四恩は思った。まだ幾らも減速していないそれから、〈137〉の少女が降りてくる。それぞれ、靴の爪先でコンクリートの地面を突付いたり、髪に付けたリボンを結び直したりしながら、こちらに向かってくる。特殊兵器それ自体は、軍事組織の指揮命令に服していないようだった。彼女たちはただ、指揮命令に服している者たちに服しているだけだ。

 あの士気の低さ――。離脱する者がいても致し方ない――。

 コートを脱ぐ。バッグを座席の足元に投げ捨てる。踏みつけて顔を上げると、フロントウィンドウに視界の第二層が拡がっている。

 首都圏エリアの衛星写真。赤い点滅が、青い点滅を包んでいる。包囲ではなく。それは全て、武野無方に提供されたセーフハウスの場所だ。

〈何処に行くの、隊長〉

「わたし、は――隊長では、ない」

〈もう安全ではないかも知れないところを消しておくよ。あと外環は非推奨。自動運転車に前後を挟まれるし。ナンバー自動読み取り装置のある道路はもう消してあるからね〉

 水晶の声がそう言うと、なるほど、赤い点滅はどれか1つをすぐに選ぶことができるほど少なくなった。

 後部座席を見る。カンパネルラと磐音が男の手を取って、こちらを見ている。男は顔を伏せて、小さな声で何かを素早く唱え続けている。

「なんて――」

「般若心経のようです。音声インターフェイスを備えたドローンへの指令ではないみたいですわ」

「『ぶっせつまか、はんにゃはらみた、しんぎょう、かんじざいぼさつ、ぎょうじんはんにゃはらみったじ、しょうけんごうんかいくう、どいっさいくやく、しゃりし、しきふいくう、くうふいしき、しきそくぜくう』」

 カムパネルラが嬉々とした顔で輪唱を開始したので、磐音の予想で当たりだろうと四恩は思った。

「うるさい! で、どうするの? 取り敢えず出す? わたしが決めようか?」

 東子が誰よりも大きな声で言った。

 当然だ。

 もう車を白い制服の少女達が取り囲んでいるのだから。

「磐音――、彼の目を、覚まさせて――」

「承知致しました」

 磐音の拳が男の肩を叩き、カムパネルラは輪唱を止める。男の呻き声が車内を満たす。

「どのセーフハウスにも、行か――ない。奥崎謙一のところへ、真っ直ぐ――」

「承知致しました」

 東子がサイドウィンドウを下げてブルガリア製の短機関銃を外へ突き出し、銃弾を撒き散らす。

 四恩もサイドウィンドウを下げて、口を半開きにしている〈137〉の少女に教えてやる。

「お仲間が――下半身を喪って、泣いて、いる。泣くたびに――腰から贓物を、垂れ、流し――て、い、る」

 戦争の目的は敵の戦争への意志を挫くことであって、敵の戦死者を増やすことではない。だからこそ、地雷はまだ、その兵器としての命脈を保っている。その攻撃は、敵の病床を一杯にし、社会保障制度を破壊する。

 士気の低い彼女たちは、明日も続くはずの、あの蜂の巣のような寮における人間関係ために、仲間を助けることに消極的ではありえない――。

 ますます自分の性格が歪んできていると、彼女は感じる。とはいえ、その試みは成功し、車両を囲んでいた3分の1がホテルの中へ消える。彼女たちはしばらく戻らないだろう。ブービートラップへの警戒と、その警戒をすり抜けたブービーではない者たちへのトラップのために。

〈3分で吐かせなさい〉

〈5分にしてくださいな〉

〈2分30秒〉

〈磐音さん、彼にアメリカと中国へ留学している娘さんたちと最近連絡を取ったか聞いてみて。それから、アメリカにいる子のボーイフレンドが不法移民だってことを教えてあげて〉

〈ありがとう、三島くん。2分でいけそうですわ〉

 バックミラー越しに、男の表情の変化を見る。それから、彼が語り出すことに耳を傾けようとするが、その前に、視界の第二層がフロントウィンドウに再び展開する。

 スマートレティーナが網膜に投影する、その半透明のスクリーン上では「岩井悦郎――Sound Only」の文字列が魚のように泳いでいた。

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