3-2-6-1 末法資本
前を歩くネイビーのロングドレスは背中を大きく露出させている。その瑞々しい輝きに四恩は目を奪われる。左右に揺れ動く臀部よりも、むしろ、そう、背中の皮膚表面の美しさに。スマートレティーナがその秘密を解き明かすことを期待するが、視界の第二層は肌色の上に文字列を描画――いわく「足元に気をつけてね」。
テキストの「ね」という語尾に、スマートレティーナに内蔵されるAIアシスタントではなく三縁からのメッセージだと気づいた。それから、自分がロングテールのミニドレスを着ていることを思い出す。そして、そのブルーのサテンの布地をヒールで踏みかけていることに気づく。
「四恩さん?」
ネイビードレスがその正面を見せる。ドレスは磐音の身体を包んでいる。正しく、包んでいる。胸の前でクロスするホルターネックはバストアップの効果もあるらしいが、彼女には必要ではないと四恩は思った。ただ、右フロント部分に入ったスリットは眩しい肌色を時折見せるという憎い演出をしており、評価されるべきだ。加えて、内ももに装着されたレッグホルスターは演出過剰だ、とも思った。それで、「峰不二子みたいにしたくないの?」と東子にしつこく言われたが、四恩はミニショルダーバッグを肩に掛けていた。
それに――磐音のレッグホルスターは空だ――。
2人は今、改定統合型リゾート実施法に基づいて建設された、カジノ施設を備えた巨大ホテルの廊下を歩いている。清掃カートを押す従業員が廊下の遥か先に見えた他にはまだ誰も見ていない。時刻は深夜の3時。利用者は全員眠っているか、カジノあるいはバーに出ている。これから訪れる部屋の者たちを除いて――。
初め、「全国に3カ所」「日本国籍者の入場回数を制限する」と施行された実施法は、しかし7年毎の見直しの、その最初の見直しで大幅に規制緩和され、全国に展開されることになった。それは、自動運転車の登場による国際市場での国産自動車産業の敗北と、東京への大規模な人口移動が重なったことで疲弊した地方経済を救うものとして期待されたが、今では結局、成田国際空港に近い横浜と東京ベイエリアのカジノ施設が人気になっている。
彼女たちが歩いているのは、都内「統合型リゾート」でも特に人気のある「にこにこ明るい未来ホテル☆東京ベイエリア」だ。今の都知事によれば、その人気は「人気があるからこそ人気がある」ということだった。四恩は何かそこに詩的なものを感じていた。
けれども、現実というのは必ずしも詩的ではない。
「
磐音が静かにすれ違おうとしていた清掃員に声をかけた。清掃員の――帽子の下、四恩と殆ど近い年齢の少女の顔がある。彼女は素早く廊下の前方と後方とを確認すると、清掃カートのダストボックスから紙包を取り出した。磐音はハンドバッグから分厚いドル紙幣の束とパスポートを取り出す。
取引が始まって、終わり、四恩はミニショルダーバッグの中に拳銃を入れることになる。
熟練の勤労者の背中に、「さんきゅーふぉーえぶりしんぐ」と言うと、彼女は「ビスミッラー」とだけ言って、そのまま離れていく。〈アラビア語だったね〉と三縁の解説。
「5人目の、協りょく者は――彼女のこと――?」
「このホテルの従業員は一部のマネージャークラスを除くと、だいたいが仲介企業に数百万ドルの――ドルですよ――借金をして、パスポートを取り上げられている技術移民なのです。良くも悪くも、お金さえあれば何でもできるの」
レッグホルスターに拳銃を収めながら、磐音が言った。四恩はこのリゾートの人気の秘密を知った。
「カジノで遊んで帰りたいです、隊長」
「隊、長は、やめて――」
二重のブラックジョーク。隊長だなんて――。それに遊んで帰れるはずがない。誘拐現場で遊んで帰る誘拐犯だなんて――いるはずが、ない。
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