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「だから、私の欲望は、私が座っているはずだった椅子に座っている頭が空っぽの、豚のクソ以下の肉袋どもを操作したいということになります」
武野の表情にはやはり何の変化も確認できなかった。しかし、その背後にいる女の反応のために、四恩は彼の発言が一から十まで本気なのだということを理解できた。女は彼のすぐ傍へ音もなく移動し、彼に煙草を勧めたのだった。ところで、女のハーフフィンガーグローブから覗いた褐色の人差し指と中指が挟んでいる煙草には既に火が点いており、武野はそれを当然のように受け取って喫煙を開始した。
「しかし、この今は、私こそが肉袋になろうとしています。同僚の誰に背中から撃たれてもおかしくないし、何処かの街でテロ犠牲者の数を一つ増やしてもおかしくはありません。だから、私の選択肢は多くありません。考えられるのは、そうですね……貴女の身柄を押さえて、引き換えに〈137〉に保護して貰う。あるいは――」
他人事のように言うと、横に立つ女の顔を一瞥した後で続けた。
「彼女と大陸に渡って屋台をやるか」
「無理でしょ」
「無理だと思います」
同時に、重ねるようにして東子と磐音が言った。
「どちらの選択肢が、ですか?」
生真面目にも尋ねる武野に、「両方」と、東子と磐音がまたほぼ同時に答える。武野、「屋台も、ですか」と何故か小さい声で言う。
「契約を、結び――なお――そう」
「ありがたいですね。事ここに至って、第三の道が示されたというわけだ。私が一度、仕事を依頼し、失敗した貴女によって。四宮さん、私を説得できますか。私を、操作できますか」
「でき――」
「状況、ですか。ああ、状況……。33人の身体拡張者が……」
女が耳打ち。
「34。貴様が起業の話をしている間に増えた」
「ありがとうございます、サクラさん」
サクラ――女の三白眼とあの春に一斉に花を咲かせては雨のように儚げに散る落葉樹の印象の差異に、四恩はサクラは佐倉と書き、苗字であるに違いないと結論することにした。
「この短時間に34人の身体拡張者が〈バーストゾーン〉に移行し、街で暴れています。人間を食べたり、あるいは食べずに単純に殺したりしながら。これが異常事態なのは、わかりますね? どういうわけか、身体拡張者というのは普通、自殺してこの世を去るわけですから」
「苦しい、から――。変化するって――」
変化は苦しい。身体の生成変化なら、なおのことだ。身体拡張者が〈還相抑制剤〉のある内に自殺することを選ぶのは、必ずしも、この国の自殺率が高止まりしていることにのみ由来するものでは――ない。奥崎が言ったように、身体の生成変化は環境情報の変化を齎し、そしてその変化に追いつかない認識能力との齟齬のために、薬物依存症患者が離脱症状で味わうような苦しみをゆっくりと味わうことになる。
「しかし、我々が追ってきたこれまでのテロ――池袋、新宿、越生、秋葉原、渋谷とは違って、この34人の鎮圧はかなりの程度、順調に推移しているようです。とはいえ、これが異常事態であることには、変わりない。ですから、総理は海外に派兵している〈137〉の高度身体拡張者を国内に呼び戻すことに決めたようです。当然、〈137〉はさらに多くの予算をも獲得することになります。殆どクーデターですね、これは」
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