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跳ねるようにして、上半身だけ起こす。銃を構える。だが、相対する少女はそうしていない。その両腕は脱力して、拳銃は地面を撫でている。その代わりに、彼女は大きく口を開いている。
その磐音は彼女の口の中を見る。白い歯と白い歯の間の桃色の肉を見る。やがて、視界の一切が微細動したと同時、視界の一切を桃色の肉が埋め尽くす。
違う!
眼球が爆裂し、視界というもの自体を失ったのだ。彼女が大きく口を開いたのは、高度身体拡張者としての能力を機能させるためだ。
――何をされたの?
考えながら、撃つ。撃つ、撃つ、撃つ。
「『ここにいるのは、英雄ではない。ただの少女だ。撃て! 臆病者め!』」
彼女の声のする方へ、撃つ。撃つ、撃つ、撃つ。
「これが私が四宮先輩を止めるためにやってきた理由です」
弾切れ。投げ捨てる。上下が入れ替わり、猛烈な嘔吐感を覚えながら、磐音は立ち上がる。
痛みには、慣れた。痛みには、慣れていた。弟の、あの溶けた皮膚の感触以上に、彼女に強い痛みを喚起するものはありえなかった。
「高度身体拡張者がなんぼのもんですのおおおおおおおおおおおおお――!」
ひっ、と小さい悲鳴を聞く。獣化が始まる。全身の皮膚が燃え盛るような痛みと共に、獣のそれへと生成変化していく。痛みが快楽に置換されていく。
「さあ、殺しあいを続けましょう……」
磐音は言った。
「そんな時間はない!」
東子が言った。
げぇふぇううううううううう――。
少女は叫んだ。
磐音のようやく再生された瞳が、光の眩しさに苦しみながらもどうにか捉えたのは、スポーツ用多目的車が少女を跳ね飛ばす場面だった。日本ではどうしても必要と思われないカンガルー対策のバンパーが今、少女の身体を腕の1本と脚の2本と残余の部分とに区別し、分離し、道路にばら撒いた。
「乗って」
血液で若干スリップしながらも、少女の身体との衝突で減速したスポーツ用多目的車はちょうど磐音の前で停車した。それはなるほど、あらゆる意味で、東子の運転技術の賜物だった。
後部座席の扉が開き、鏡子の小さな手が磐音の腕を掴んだ。引っ張り上げられる。浮遊感。その怪力に驚いて、思わず彼女の顔をまじまじと見てしまう。彼女は頬を少しだけ朱に染めて、顔を背けた。そして、言った。
「『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』」
四恩には奇妙な友人が多いな、と磐音は思った。それは、この車の走行がどんな妨害も受けていないことからも、わかる。
「彼女と打ち合わせてあったのですか?」
車の外、黒衣の兵士たちは自分たちの持ち場を放棄していた。彼らは皆一様に、地面に倒れて、自分の目や耳を、そうすれば少しでも痛みを遠ざけることができるとでも言うように、手で撫でて、庇って、そうして叫び散らかしていた。それは明らかに、磐音の眼球を吹き飛ばした力と同じものが作用した結果だった。
「なにも――」
助手席に座った四恩が、窓の外を見ながら答える。
「でも――怒られた――。何処へでも、行けるのだから――何処へでも、行って、くださいって――。私には、できないから、って――。それで少し口論になって――」
この少女は、きっと〈137〉で特別な存在だったのだ。彼女だけがそれを理解できていなかった。皆、それを羨んでいた。あるいは、自分の側に置いておきたいと望んでいた。本当は何処へでも行ける彼女が、永遠に、何処へも行けないと思い込んでいて欲しいから。
「またわたくしを置いて、何処かへ行ってしまうのかと思って心配しました」
「あの――そのこと――なん、だ」
けどぅ――。
東子の鋼鉄の肘が四恩の顔面を叩き潰して、彼女の言葉を中途で強制終了した。
しぃいいいいいいいいいいいいい――。
唸り声をあげた鏡子が座席から身を乗り出し、東子の首に手を伸ばした。その手を、四恩の手が遮る。鏡子はそれだけで、借りてきた猫のように身を小さくして沈黙した。上目遣いに四恩を見る鏡子の頭を、思わず磐音はその胸で抱きしめてしまった。
東子が真っ直ぐ前を見ながら言う。
「『それは仲なおりの『握手』の代わりだ四恩』」
四恩も鼻血を垂れ流しながら前を見て、言う。
「『サンキュー、東子』」
「東子、わたくしの分もお願いできる? 人を殴ると痛いから嫌なの」
「ん――?」
もう一度、「それは仲なおりの『握手』の代わりだ四恩」「サンキュー、東子」という会話を聞く。胸の中で鏡子が「行くぞッ! ボートが離れたのならお前たちは『裏切り者』となる!」と叫んでいる。
磐音はもう殆ど、このパーティなら世界ぐらいは救えそうだなと思っている。
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