3-2-2-5

〈脳性麻痺というのは出生前診断では排除しようがないから、ぼくの手足が不随意に動くとわかった時に酷く驚いた両親はぼくの首を捻ったんだ。彼らはぼくを殺そうとしたけれども、ぼくは奇跡なのかあるいは神様の気まぐれなのかわからないが生き残ってしまった。もうその頃には公的介護保障というのは全廃されていたからね。全身の皮膚を剥ぐ代わりに、毎日栄養を脳に供給してもらうという契約を軍を結んだわけ〉

「わたしは三縁が生きてて、嬉しい――よ」

 円柱型の水槽の底から、泡の数々が浮かんできた。その数は、三縁の寝顔が見えなくなるほどだった。

〈そんなことを言ってくれる君だからこそ、ここには来て欲しくなかったな〉

「わたし、デリカシー、が――」

〈何だって話を逸らすんだ、君は? 君ほどの人が、ぼくのメッセージがわからないわけがないだろう。君は需要があるんだぜ。ぼくの手紙だって、釜石くんの特別な配慮のもとに受け取ることができるし、そもそも食事だって取ることができたんだぜ。みんながソイレント・ホワイトを吸って暮らしている所でだぜ〉

「あのひと、強姦魔――」

〈強姦魔そのものより酷いよ。他人にやらせるんだから。でも権力者だ。そして君に固執している。彼は妻を甲状腺癌で亡くしていてね。以来、汚染された地球を出て美しい星を見つけることのできる《新しい人間》を作ることに燃えているんだ。宇宙に出るための最初の障害は宇宙線だから、それを克服できる君とか奥崎くんが大好きなんだよ〉

 三縁の水晶の声は完全に地声であるらしく、四恩はその透明度の高さをまだ味わうことができたが、音量といえば既に部屋中の円柱を震わせ始めていた。

〈それに君は死ななかった! 殺されなかったんだぜ。奥崎くんもまた、君に固執していた。そうだろう? 君のお母さんは想像上の君に許しを請い、生命保険受取人に君を指定してる。就職する時の保証人にだって、困りはしないよ〉

「なんの、はなし――?」何が言いたいのか殆どわかっていたが、敢えて聞いた。怒らせるか、泣かせてやりたいと、四恩は思った。三縁は、わたしに、帰れって言ってる――。

「あと、声が、大きい。怖い――」

〈すいません、四宮さん〉と三縁は小さな声で謝り、話を続ける。四恩は瞼の痙攣を味わう。

〈君は大丈夫だから。帰るんだよ。独居房に帰るんだ。それでしばらく静かにしているんだ。そうしたら、釜石先生がしかるべき場所に戻してくれるさ〉

「い、や、だ――」

〈でも、そうしないと、君、死ぬぜ。組織の庇護なくして、ぼくたちは生きられない。組織のバックアップなくして、ぼくたちは生きられない。ぼくたちは組織の用意する大規模な専門家集団を前提して、はじめて、かろうじて生きていけるんだよ。ぼくが君の身体のことを何も知らないとでも思った? 君の貫頭衣の下がどうなっているか?〉

 心臓を鷲掴みにでもされたような感覚。物理的には全く跳ね上がってなどいないのに、一度、猛烈な力で空中にでも放り投げられたかのような浮遊感。内蔵が生暖かい手でゆっくりと上下にかき混ぜられたような感覚。生理的には全く水分を欠乏などしていないのに、一度、猛烈な力で体中の液体を抜き取られたような口渇感。

 貫頭衣の下、〈バーストゾーン〉への移行が今や目視できるほどに現れていることを思い出す。それは〈還相抑制剤〉が可能にする、生と死の境界線上でのダンス――。GNR革命の第一世代が今、社会の何処にいて、何をしているのか、何の情報も得られなかったことを思い出す。長過ぎる任務がいずれ、戦線から退いた者たちを生成変化させ、現世からも退かせるという事実――。

〈君の命より大事なものがあると思う? 《人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに》――〉

 何処か遠くから、少女の泣いている声が聞こえてきた。静かな声で、圧し殺すように――。三縁も言葉の途中で沈黙した。ついに涙の落ちる音が聞こえてくる。やがて、少女の怒鳴り声が聞こえてくるだろう。それはこう言うだろう。

「その、命って、言うのは! 必ずしも肉体的な意味での命では、ない――! はず! 牽強付会! ナンセンス! でたらめな引用で――わたしを、煙に巻くことは! できない!」

 ようやく、その声が自分の声であり、叫んでいるのが自分であるのがわかった四恩は深呼吸した。大きな声は怖いからだ。それで彼女は呼吸を整えてから、頬で水槽に触れながら、囁いた。

「でも、そうすると、三縁が死ぬ――殺される。わたしが、あなたの、してくれたこと――知らないとでも、思った?」

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