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「〈バーストゾーン〉に行って、還って来る。身体拡張者にはそれができない。彼らは意識を保っている。彼らは意識を保っているんだよ、四宮さん。彼らの脳はその細胞分裂が相対的に遅いから、〈還相〉による生成変化を免れている。しかし、まさにそのことが悲劇を生じさせる。彼らの脳では身体の生成変化による新たな環境情報の処理ができない。彼らの脳では拡張された現実を処理できない。だから彼らは暴れるのさ。助けを求めてね。彼らは悲鳴を上げているんだ。合成麻薬の摂取後、恐慌に陥った人を見たことはない? ちょうど、それと同じだよ」
炎の舌が小町の身体をなめ尽くす。
金切り声が、彼女の断末魔だ。
しいいいいいいいいいいいい――。
「ところが、高度身体拡張者においては、必ずしもそうではない。さっきから、この子も、君の名を呼んでいるだろう? 僕たちは〈バーストゾーン〉に行って、そして還って来ることができるんだ。僕たちの意識は既に拡張されている。高度とは、そういう意味なんだ。こんな超能力なんて……」
胸の前で、拳をゆっくりと広げる。手のひらが蝶のように舞う。その動きの最中に、火達磨になった小町は音もなく炸裂して、灰となった。
風が吹く。遠くの殺戮の音が再び聴こえるようになる。灰が地面を流れていく。誰かの血の中に沈み、消えていく。
「こんな超能力なんて、全然重要ではないんだ。意識の拡張の副産物に過ぎない。例えば、光を感覚できる者の意識は明らかにホモ・サピエンスのそれと同じではない。普通、光そのものを見ることはできない。光の反射、散乱しか見ることはできない。普通、空気の音そのものは聞くことができないようにね。だから、僕たち高度身体拡張者は還って来ることができる。だから、世界を救うことができる」
聞かせたいことを十分に聞かせて満足したのか、四恩は不可視の拘束具から解放された。地面に倒れ伏す。コンクリートの表面を流れる誰かの血液で窒息しないように、横を向く。頬の肉を削る。
「僕も、〈バーストゾーン〉に行った。君の名を呼びながら砂漠を彷徨った。でも君は来てくれなかった。僕はルールを知った。自分がすべきことを知った。でも従わなかった。僕は〈バーストゾーン〉から還って来た。そして日本に帰ってきた。アレッポではね、もうイスラーム過激派の活動なんかないんだ。賢明な者たちはもう、そこから出ていった。そこではただ、〈バーストゾーン〉に行ったまま還ってこられずに助けを求めて殺戮を繰り返す者たちと、まだ〈バーストゾーン〉に行ってない者たちとが戦っているだけなんだ」
〈還相〉による肉体の再構築を今や四恩は感じている。悪寒と、負傷した箇所で生じている、痛みを伴うほどの熱。それに耐えながら、彼女は考えるべきことを考えようとしていた。身体を起こそうとしていた。どうして、彼は、拘束を――解いた?
「僕はこの世界そのものを〈バーストゾーン〉にする。君にも手伝って欲しい。それ以外に、君に生きる方法はないのだから。
髪を掴まれる。うつ伏せから仰向けへ。そのまま奥崎は四恩の身体を引きずり始める。彼女はベッドの中、自分の排泄物で溺死しかけていた頃を思い出す。しかし天井はなく、空が拡がっているだけ。そして何より、空の青には小林小町の気の強そうな、少し釣り上がった目が貼り付いている。
「『ついて来るんだ! ついて来るんだ! ついて来るんだ! さあ、歩こうじゃないか! その時になった! 夜のなかへ歩いていこう!』」
加えてニーチェまで引用されたら、もう四恩がやるべきことはただ1つということになる。
彼女を抱きかかようとする彼の手に噛み付く。奥崎は歩くのを止めて、四恩の顔を見る。
「離せ――!」
命令。
奥崎の顔が歪む。怒りの表情。四恩はその表情に何も感じるところはなかった。なかったはずだが、彼女の口角は上がっていた。
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