2-2-8-1 全世界は急死せよ

 正面入口に立った四恩は、奥崎の姿を求めて周囲を見渡す。

 彼方に此方に、空を犯す黒煙を見る。人の声や爆発音が渾然一体となった、純然たる騒音を聞く。そして、何よりも、臭い。口の中に酸味を惹起するような、臭い。または香り。

《四恩ちゃん》

 三縁の透き通る声が四恩の耳に蓋をした。喧騒が遠ざかる。

 三縁――。

《何処にいくつもりなの?》

 奥崎くんの――。

《まだ彼にご執心なんだね》

 教えて――。

 市街戦の大パノラマを見る四恩の視野の、その天空から半透明の青いシートが降りてきた。スマートレティーナのバッファリングのようなもの。やがて青は完全に脱色される。その時にはもう、この戦場の情報が網膜の上に直接書き込まれることになる。

《死者3 負傷2》

《死者4 負傷1》

《特警大隊、突入開始》

《バーストゾーンを確認》

 いちばん人が死んでいるところへ――。

《死者20 バーストゾーン未確認》

 ちょうど膝のあたりに浮かんだ、大きな矢印のアニメーションに従って四恩は歩いた。

《死者21》

《死者24》

《死者37》

 数値が段々と増えていく。奥崎謙一に近づいているという、まさにその証拠。自然、彼女の足取りは軽くなる。

 黒煙も、騒音も、臭いも、今や消え去った。

 三縁の声も――。

 三縁――。

 一瞬、不安を覚える。立ち止まる。今なら戻れるかも知れない。

 戻れる? 何処に?

 焦燥が彼女の背中を押した。進め! の声。

 成果が、必要だった。成果が、なければならなかった。それと引き換えに、彼女の〈137〉での地位を取り戻すことのできる成果。そして、あの平穏な日々、奥崎謙一との日々を取り戻すことのできる成果。

 一切、一切、一切――全てを取り戻すことのできる唯一無二の成果。

 そのために必要だった。

「そのために――必要、だった」

 水青も、結乃も、三縁も、東子も、磐音も、一切合切、何もかも債務の弁済に充てた。

 そして辿り着いた、2.26事件慰霊碑の前。

 死体の山の上に、奥崎謙一は座っている。

 膝の上に肘を置き、頬杖をついている。もう片方の手も、肘を膝の上に置いている。ただ、その指先だけは小さく、虚空で踊っている。円を描き、四角を描き、直線を描いている。四恩にはその意味するところはわからなかった。ただ、それが結果しているのが何かということだけは、一目でわかった。

 ダンス・マカブル――死の舞踏――。

 血流が停止し、生命を完全に廃棄された人間たち、つまり死体の数多が少年を目指して歩いて来ている。彼等に共通する特徴――その身の表面を駆ける白い光と、光の駆けた後に生じる青い炎。

 奥崎謙一が高度身体拡張者としての能力を遺憾なく発揮し、リビングデッドを実現したのだった。

 少年の爛々と輝く目。紅に染まった瞳。《バーストゾーン》の一見して明らかな現象。彼は無の表情のまま、四恩を見ることもないまま、口を開く。

「『一見したところでは生きている存在が、本当に生命が吹き込まれているのか疑わしいケースと、逆に、生きていない事物がもしかして生命を吹き込まれているのではないと疑われるケース』こそ、不気味なものの顕著な例であると主張した人もあったけど……」

 奥崎のすぐ近くにまで来た死体は、王に平伏す臣下の如き挙動で、素早く地面に額をつけ、そのまま動かなくなっていく。その平伏は、既に平伏した死体の上で行われる。死体の山の形成の過程を、四恩は理解した。

「どうなのだろう。よくわからないな……。生きているのか死んでいるのか、なんて考えなくなった。よくわからない……本当に……。四宮さん、どう思う?」

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