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 それを見た四恩は巨大な生き物が斜面に穴を掘ろうとしている光景を幻視する。幻視しつつ、彼女も飛ぶ。

 跳躍。自由落下。触手の森の中へ。加速度のために彼女の体重を一個の巨大なハンマーと化す。肉の枝を引き裂く。引き裂いて、いく。その先では、田川氏の頭が脳細胞の分裂速度の遅さによって、《バーストゾーン》以前のままの大きさで待ち構えている。彼女はそれを踏み潰す。

 踏み潰して、直ちに離脱しようとするが、肉の弾力が彼女の運動エネルギーを奪う。頭蓋骨を叩き割り、その一部を脳の中に沈めただけで、彼女の蹴りは止められてしまった。

 触手の数多が彼女の全身を目指す。その数本が彼女の肩と太腿と、それが腹部に突き刺さる。《バーストゾーン》に移行しているのは、彼だけではない。彼女も、また。悪寒と心地よい温もりとが同時に去来する。その場に片膝を着く。ニーハイソックス越しに、田川氏の身体全体を保護するための粘液の湿度を感じる。感じながら、彼の頭に手刀を突き刺す。頭蓋骨という器が湛える肉汁のスープの中、手を掻き回す。触手の動きが無秩序になる。彼女の頭部を目指しているそれも、今や彼自身の身体に突き刺さっている。

 触手を抜き取る。太腿の巨大な穴は、嫌でも目に入った。その穴の縁の肉が膨れ上がっては破裂し、さらにまた膨れがあって傷口を再生していく様も、また。黄色い液体がニーハイソックスへ浸透し、エナメル靴の底へ溜まっていく。その不愉快さへの苛立ちを、今や反射のみで動いている田川氏の身体を踏みつけて発散。肉からの反発で跳躍した彼女は、宙で一回転してから舞台へ戻った。彼女は万歳でもしたい気分だ。

「四宮さん――!」

 ウルトラCを決めた四恩にそう言ったのは観客ではなく、磐音だった。汗ばんだ額に前髪を貼り付けている。肩で息をしている。その手には何処で調達してきたのかカラシニコフ自動小銃近代化モデルがある。オフィスレディーの如き彼女の恰好とその銃火器の対照に、四恩は笑いそうになった。

 あはっ――。

 笑い声が聞こえた。

「四宮さん――!」

 あはっ――と、今一度聞いて、四恩は自分が笑っているのだということをようやく理解した。

 東子はどうなったの――という声が遠くから聞こえた。

 東子はどうなったの―と、今一度聞いて、四恩は自分が言っているのだということをようやく理解した。

「人工呼吸器と繋がっています。とりあえずは、大丈夫」

 脆い身体だね――と、言ってから、四恩はそれがあまりに挑発的な言辞であることに気づいた。

「あれほどの過電流と過電圧は戦場においてすら想定しなかったようですね。それより、四宮さん、私達の目的を思い出してください」

 わたしたち――? 一人称複数形だ。

「博士を捕まえることです! 三島くんがまだ追っています」

 身体がないのに――?

「カメラで! 三島くんは明らかに違法な手段で博士を追っています」

 磐音はもう殆ど声を荒げるようになっている。それにまた、四恩との距離を詰めてきてもいる。

 わたしは、わたしは、わたしはもう一度、奥崎くんに会って――くる。貴女たちは、好きに――。

「『奥崎くん』というのは高度身体拡張者の、彼ですね? 博士と一緒にいた。彼が一体、何だというの?」

 四恩は話すのが面倒になってきた。そもそも彼女は話すのが得意ではなかった。そうだ。わたしは、話すのが、得意ではなかった――。だから彼女が「話すのが面倒になってきた」と声に出した。

 自分の身体を再び獣へと生成変化させることは、磐音もさすがにしなかった。ただ、そのまだ熱を帯びている銃口を、四恩へと向けたのだった。

「四宮さん、博士を追わないと。彼を追っている限りにおいて、私達の冒険は肯定されるのです。まったく三島くんは……貴女と『幽霊』の個人的な関係なんか一言も教えてくれないし……。『私達』が取りうるのは、彼を捕まえて拘禁、自白剤で胃の中を満たすことです。もうそれしかありません。そうでないと、東子の行動も三島くんの行動も正当化できなくなる。あるいは――」

 話すのは面倒だし、人の話を聞くのも面倒になっていた四恩は銃身を掴んで銃口を床に向けさせた。思わず銃を奪い取られないように引っ張ろうとした磐音に合わせて、四恩はむしろ、それを押し付けてやった。今度は木製ストックから自分の顔を守ろうとしてしまった磐音から、いよいよ銃を奪い取る。客席へ放り投げる。そこでは田川氏が縦横無尽に転がり続けている。時に寄っては跳ねていることもある。

 取ってきたら――?

 歯ぎしりする磐音が四恩を睨みつける。彼女の歯は四恩の喉笛を噛みちぎるためなのか、もう既に狼のそれのように生成変化していた。

 少女は別の少女を生贄に、舞台を降りる。

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